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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第111話

 生き物の死体が、良い匂いであるわけがなかった。


 獣にしろ魚にしろ、美味く食べようと思うならば、まずは臭みを抜く手間が必要となる。

 しっかりと、その手間がかけられた料理だった。


「美味しい……」

 シェルミーネ・グラークは、思った事をそのまま口にした。


 川魚の切り身を揚げ、そこに香辛料をまぶしたものである。

「川のお魚って、臭うものと思っておりましたけれど……」


「はらわたと皮と血合いを、しっかり取り除く事。これに尽きるね」

 屋台の主が、いささか得意げに言った。

 三十歳前後と思われる、いささか太めの男である。

「まあ楽と言えば楽な商売だよ。ほら、そこの川でね。ある程度は好きなように、魚を捕れるようになったから」


 ゴスバルド地方を南北に貫いて流れる、クエルダ川の河岸。

 そこで開かれている自由市場で、シェルミーネは屋台での昼食を堪能していた。


 そうしながら、情報を集めてみる。

「以前は……お魚捕りも、思うように出来なかったと?」

「ひどいもんだったね。旧帝国系の奴ら、川まで自分らのものにしやがって。俺らが魚一匹、釣る度に税金を取りやがるのさ」


 シェルミーネの同行者が、同じく魚の切り身を食しながら、やや居心地が悪そうにしている。

 小さな身体に可愛らしく法衣を着こなした、幼い少女。


 その様子に、屋台の主が気付いたようだ。

「おっと……すまんね、お嬢さん。あんた、もしかして旧帝国の人? 割と、どこにでもいるからね」


「お気になさらず」

 ミリエラ・コルベムが、微笑んだ。

「私たち旧帝国系貴族に……ちょっと感心出来ない方々がいらっしゃるのは、事実ですから」


「いい人たちも、そりゃいるんだろうけど」

 屋台の主は、頭を掻いた。


「少なくとも、この辺りにいたのは……まあ、擁護しようのない連中ばっかりだったね。バラリス・ゴルディアック侯爵って奴がいてさ、そいつを中心に、どいつもこいつも、やりたい放題だったよ」

 ここゴスバルドの一つ南、クエルダ地方の領主であった人物だ。


 クエルダ、メルセト、ロルカ、ゴスバルド、レナム、ザウラン。


 王国南部と一括りに扱われてしまいがちな、これら六つの地方のうち、レナム地方を治めていたのがボーゼル・ゴルマー。最南部ザウラン地方の領主であったのが、彼の協力者であったペギル・ゲラール侯爵。


 他四地方の領主たちは、全員が旧帝国系貴族であった。

 中心的存在であったのはクエルダ地方領主バラリス・ゴルディアック侯で、他三名の領主は、彼の取り巻きのようなものでしかなかった、というのがログレム宰相の話である。


 ゴルディアック家の、王国南部における拠点・中枢。

 バラリス侯爵には、長老ゼビエルから、その役割が求められていたようだ。

 ある程度は果たされていた、のであろうか。


 バラリス侯爵は、王国南部におけるゴルディアック家の代表者として搾取に励み、民を虐げた。

 南方の旧帝国系貴族たちは、バラリス侯を筆頭とする一大勢力となり、ここに腐敗と暴虐が極まった。


 ヴィスガルド王国南部の民は、旧帝国系勢力による暴政に虐げられ、塗炭の苦しみの真っただ中にあったのだ。


 民を、救う。

 ボーゼル・ゴルマー侯爵は、そのような題目を掲げて叛乱を起こした。


 真実どうであったのかは、もはやわからない。


 ただ、彼がバラリス・ゴルディアックを打倒し、王国南部における旧帝国系勢力を叩き潰したのは確かな事実で、それによって大勢の民が救われたのは間違いないところであろう。


「ボーゼル・ゴルマー侯爵は……ここヴィスガルド南部に、独立国家でも作り上げそうな勢いであったと聞き及んでおりますわ」

 その頃の自分は、西の果てドルムト地方で謹慎処分に等しい状態にあった……とまでは、シェルミーネは語らずにおいた。


「それが最終的には結局、南部の民の支持を失って孤立し、アラム王子に討たれた……と。ああ、もちろん貴方がたを偉そうに咎め立てしているわけではありませんのよ」


「……いいさ。咎められても仕方ない、とは思っているんだ。俺たちは、ボーゼル侯を裏切った」

 屋台の主が、苦笑する。


「ボーゼル侯が、旧帝国系の連中をやっつけてくれた。おかげで俺たちは助かった……のは事実で、俺たちは感謝しなきゃいけない。感謝は、もちろんしていたさ。だけど、その……言い訳をさせてもらうと、ボーゼル侯は、ちょっとやり過ぎたと思う。俺たち、だんだん恐くなっちまって」


「旧帝国系の方々に対し、ボーゼル侯爵は……かなり容赦のない皆殺しを、なさったそうですわね」

「殺しまくったよ。女子供まで、な」


 叛乱とは、すなわち戦である。


 グラーク家が七つの地方を領有していた頃も、戦はあった。

 広大な領内は、概ね平和ではあった。


 その平和を維持するために、グラーク家が、いくらか平和的ではない事をせねばならない時もあった。

 そういう時、非戦闘員が一人も死なずに済んだのかと言えば、そんな事は全くなかったのだ。


「で、ボーゼル侯は結局アラム王子に征伐されて……」

「御両名、凄まじい一騎打ちの末に相討ち……と。そんなお話も、ありますわよね?」


「いろんなお話が、あるんだよ」

 屋台の主は、声を潜めた。

「……お客さん方、王都の方から来たのかい? どうなのかな。アラム王子は本当は死んでいて、王宮にいるのは偽物、なんて話も聞こえて来るけど」


「ひとつ、ね。噂話が、ありますのよ」

 シェルミーネは言った。

「亡くなられた、はずのアラム王子が……王国南部のどこかで御存命、わけあって御身を潜めていらっしゃるという」


「ああ、それね。俺の知ってる限り、五人くらいいたかな。自分が実はアラム王子だって奴が」

「……どのように、なりましたの? その方々」


「まあ、ただのバカだったんだと思う。誰にも相手にされなくなって、すぐ消えてったよ。大抵はね」

 屋台の主は一度、言葉を切った。

 話すのを、躊躇うように。


「……一人だけ、ちょっとしぶとい奴がいた。自分はアラム王子で、騙されてボーゼル侯と戦わされた。王宮にいる連中からアイリ様を助け出さないといけない……そんな事を叫んで、ある程度は兵隊を集めるところまで行ったんだ」


「……叛乱、という事ですの? ようやく平和になったばかりの、この南方で」

「まあな。ボーゼル侯が倒れても、すぐには終わらないさ。血の気の多い奴ら、腹に一物ある奴らが、いなくなったわけじゃなし」


 そんな話を、ログレム宰相も確かにしていたものだ。


「で、その偽物アラム王子とその兵隊ども。結局、皆殺しにされたよ。密かに、徹底的に。ここの、新しい領主様にね」

「新たな叛乱を、起こす前に鎮圧されたという事ですのね」


 ボーゼル・ゴルマーの叛乱によって、王国南部六地方の領主たちは、最終的に一人を除いて全員、死亡した。

 その一人というのが、シェルミーネの当面の目的地ロルカ地方を治める、ペギル・ゲラール侯爵である。


 他五つの地方には、王国によって新たに領主が配属された。

 その新領主たちの中に、旧帝国系貴族は一人もいない。


 ヴィスガルド王国は、南方における旧帝国系勢力を、ほぼ一掃する事に成功したと言える。

 ただ。一掃されたはずの者たちの、残党がいる。


「その、偽物のアラム王子……」

 ミリエラが言った。

「…………もしかして、旧帝国系の方々が……」


「擁立」

 シェルミーネもミリエラも、注文した料理をすでに完食していた。

 いくらか消化不良を起こしそうな話を今、シェルミーネは口にしている。

「旧帝国系の、残党の方々が……アラム王子の偽物を旗頭に掲げて兵を集め、この地に政情不安をもたらさんと」


 シェルミーネは、立ち上がった。

 ミリエラを、屋台もろとも背後に庇う格好となった。


 市場を行き交う、通りすがりの客……では明らかにない男たちが、足取り荒く近付いて来ている。

 押しかけて来ている、と言って良い。


「おう! おう、おうおうおうおう嬢ちゃんよォ!」


 声を荒げれば恐がって萎縮する、思い通りになる、と思われている。

 まあ無理もないとシェルミーネは思う。

 こちらは何しろ、若い娘と幼い少女の二人連れである。


「随分よ、なめた真似してくれたみてえじゃねえか」

「まさか逃げられると思っちゃいねーよなぁあ!? 女がよ、男をコケにしといてよぉおお!」


 二十人は、いる。

 声を荒げているのは、最も凶悪そうな四、五名ほど。


 他十数人の中に、先程シェルミーネが投げ飛ばしたり捻り上げたりした男たちがいた。

 視線を向けると、目を合わさず俯いてしまう。


 彼ら自身は、シェルミーネへの報復など望んでいない。

 無理矢理に動員されて来たのは、明らかだった。


「強ぇえ姉ちゃんがよ、俺ら全員の相手してくれンのかぁー!?」

「おおう、後ろの小っちぇえ嬢ちゃんもイイじゃねーの。た、たまんねぇー」


 この凶悪そうな四、五名も、自身の意思で動いているわけではない。

 恐らく、何者かに雇われている。使われている。


 この市場を、破壊するために。

 旧帝国系勢力が衰退した地で、平和的に商売を行う者たちを、不安と混乱へと陥れるために。


 叩きのめして何かを聞き出すべきか、とシェルミーネは思った。


 しかし、ミリエラに危険が及ぶようであれば。

 この剣を、抜かざるを得ないのか。


 アドランの帝国陵墓で入手した力。

 優美なる細身の長剣の形をした、この禍々しい力を。


「おやめなさい、貴方たち……」

 シェルミーネが警告を口にした、その時。


 血飛沫が、噴いて散った。

 シェルミーネは、何もしていない。


 最も凶悪そうな男が四人、いや五人。

 まるで雑草の如く、刈り取られていた。


「旧帝国に与する者……一人たりとも、生かしてはおかぬ」


 五つの屍が、倒れ伏す。


 草刈りのように殺戮を行った者たちが、そこにいた。気配もなく、出現していた。

「見つけ次第、殲滅。それが、ドルフェッド隊長より賜った、我らの任務である」


 武装した兵士が、三人。

 抜き身の長剣から、鮮血を滴らせている。


「ゴスバルドの新しい領主……マレニード・ロンベル侯爵の、兵隊だ」

 屋台の主が、小声を発した。

「アラム王子の偽物どもを皆殺しにしたのも、この連中さ」


 そんな説明の間にも、草刈りのような殺戮は続く。

 無理矢理に動員されてきただけの男たちが、刈り倒されて鮮血をぶちまけ、屍に変わってゆく。


 シェルミーネは抜刀し、踏み込んでいた。


 ヴェノーラ・ゲントリウスの、魔力の具現化。

 禍々しき力の塊である細身の刃が、三つの斬撃を弾き返す。


 三人の兵士が、弾き返された長剣を構え直し、着地する。

 やや遠巻きに、シェルミーネを取り囲む。


 ドルフェッド隊長。

 そんな名前が今、確かに出た。


 王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵の私邸において、シェルミーネは一度、歓待を受けた事がある。

 その時。

 王弟公爵が金に糸目を付けず雇い編成したという私兵部隊が、ベレオヌスを実に油断なく警護していた。


 その私兵部隊を率いていたのが、ドルフェッド・ゲーベルという男である。


 シェルミーネが先程、投げて捻り倒した男たちが、今は座り込んで泣きじゃくり、小便を漏らしている。

 彼らを庇い、三人の殺戮者と対峙しながら、シェルミーネは思う。


 間違いない、と。


 この三人の兵士は、あの精強極まる私兵部隊の構成員だ。


 ここゴスバルド地方の領主マレニード・ロンベル侯爵という人物も、ベレオヌス公の派閥に属する貴族であろう。


 すなわち。

 王国南部は今、旧帝国系勢力ではなく、ボーゼル・ゴルマーでもなく、王弟公爵ベレオヌスの支配下にある、という事だ。

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