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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第110話

「このような身体になってしまうと」


 巨大な肥満体を寝椅子に沈めたまま、王弟公爵ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノは言った。

 自身の、でっぷりと肥満した腹部を叩きながらだ。


「女を抱くのも、億劫でな……わかるか、ガロム・ザグよ」


「は、はあ……」

 そんな曖昧な受け答えを、するしかなかった。


 王弟公爵の私邸。

 豪勢な酒食が並んだ卓を今、三名で囲んでいる。


 邸宅の主ベレオヌス公。

 自分ガロム・ザグ。


 そして、ベレオヌスの腹心と言うべき男が一人。

 黙々と肉料理を食らい、酒を飲んでいる。

 傷跡の走る禿頭が、ぎらりと脂っぽく光ってガロムを威圧する。


「ドルフェッドはな、息子や部下たちに女遊びを許す一方……自身は絶対、そのようなものに参加しようとせん」

 ベレオヌスが言った。


「こやつはな、妻を亡くしておるのよ。まあ夫婦と呼べる間柄であったのかどうかは、ともかく……その女が、ゼノフェッドの母親である事に違いはない」


 ドルフェッド・ゲーベルは無言のまま、酒杯の中身を呷った。

 ベレオヌスは、語り続ける。


「私には、妻はおらぬ。が、いくらか派手に遊んでいた時期が無いわけではない……一応はヴィスガルド王家の血を引く子供ら若者らがなあ。実は今あちこちにいるのだよ」


 聞いてはならぬ話だ、とガロムは思った。


「今はな、そんな元気も消え失せた。有り体に言えば……男としての機能が、私は、ほぼ駄目になっているのだよ。わかるか、ガロム」

 またしてもベレオヌスが、己の肥え太った腹を叩いている。


「この腹の出張り具合が、せめて半分であった頃ならばともかく……今の私にな、シェルミーネ・グラーク嬢に手を付けるような生命力はない。安心せよと、そのような話をしているのだ」


 ガロムは肉を食らったが、味がしなかった。


「それが心配であったのだろう?」

 問われても答えられない。

 王弟公爵が、にやりと笑った。


「シェルミーネ嬢を、このベレオヌスに近付けまいとして……ガロムよ、そなた自身が近付いて来た。私から、何かを引き出すためにな。それが何であるか、という話になってしまうのだが」


 腹心の部下に、ベレオヌスは問いを投げた。

「ドルフェッドよ。そなた、ガロムに吐かせる事は出来るか? この私に近付いて来た、真の目的を」


「半日ほど、お時間を賜りましたならば」

 ドルフェッドが、ようやく言葉を発した。


「この小僧を、叩きのめし、痛めつけ……お求めの情報を、全て引き出して御覧に入れましょう。グラーク家が、こやつに何を命じておりますのか」


 グラーク家は、関係ない。

 今ここで自分が、それを言い募ったところで意味はない、とガロムは理解した。


 グラーク家が、ベレオヌス公の暗殺をガロムに命じた。

 ガロムを拷問し、そう言わせる事が出来る。

 グラーク家を攻撃する理由を、作る事が出来る。


 ベレオヌスとドルフェッドは、そう言っているのだ。


「まあ飲め、ガロムよ」

 ベレオヌスが言う。

 ドルフェッドが、ガロムの盃に酒を注ぐ。


 一礼し、飲み干すしかなかった。

 味は、わからないままだ。


「安心するがいい。グラーク家を相手に事を構えようという気は、ないのでな」


 今は、まだ。

 ベレオヌスが、その言葉を省略したのは、間違いない。


「ともあれガロムよ。この度の働き、見事なものであったようだな。ゼノフェッドらが、そなたを誉めていた」

「…………ありがたき、幸せ」

「ドルフェッドよ。隊長として、おぬしも誉めてやってはどうだ」


「ガロム・ザグ。貴様はな、役に立つ兵士である事を己自身で証明して見せた」

 言いつつドルフェッドが、ガロムの盃に、またしても酒を注いだ。


「……今後も、兵士であり続けろ。一介の戦闘要員に徹し、ひたすらに前線で働き続けろ。余計な事はするな、考えるな。それが結局、誰も不幸にならない道なのだからな」


「……はい」

 ガロムは、そう応えるしかなかった。


 一口、酒を飲んでから、ベレオヌスは言った。

「リオネール・ガルファと、出会ったそうだな?」


「はい。戦いました」

 応えつつガロムは思わず、王弟公爵を睨んでしまうところだった。


 知っているのか。

 ガルファ兄弟を、知っているのか。

 何かを、命じたのか。


「仕事の出来る兄弟では、あった」


 どのような仕事を、させたのだ。

 その問いをガロムは、今は、酒や肉と一緒に飲み込んだ。


「我々、仕事を依頼する側としてはだ。終わった仕事に関するあれやこれやは、墓の中まで持って行ってくれるのが最もありがたい。だが、まあ……生きながらえて時間も経てば、つい与太話が口から出てしまう事もあろう」


「与太話……ですか」

「そう、与太話だ。人が得意げに語る過去など、ことごとく与太話と思わねばならんぞ。真に受けるものではない」

 ベレオヌスは酒を飲み、息をついた。


「と、いうわけで私からも与太話をひとつ。酒の席での戯言として、聞くが良い……私の甥アラム・ヴィスケーノ王子はな、実に危険な男であった。その奥方アイリ・カナン王太子妃も、また」


 どろりと酒気を帯びた目で、王弟公爵は遠くを見つめている。

「あの夫婦が健在である限り、安眠も出来ぬと。常々私は、そう思っていたものだ」


 今は、安眠が出来るようになったとでも言うのか。

 そんな言葉が、ガロムの中で渦を巻いた。

 ベレオヌスが、声を上げて笑う。


「真に受けてはならぬと言ったであろう? 健在も何も、王太子御夫妻は本日も王宮にて、仲睦まじくお元気であられた。私の可愛い大甥・フェルナー王子と共にな」


 脂肪の塊でしかない、はずの巨体が、ただ寝椅子に沈んで酒を飲んでいるだけで、ガロムを威圧する。


「今はな、皆が幸せなのだよ。誰も不幸になっておらぬ。それで良いではないか? なあガロムよ」


(化け物め……)

 呻きを、ガロムは肉と一緒に噛み潰し、酒で流した。


 そんな化け物から、しかし自分は、聞き出さねばならない。

 調べ上げ、暴かなければならない。


 それも、しかし、このベレオヌスという男には読まれている。掴まれている。


(これが……権力者、か……)


 人が空を飛ぶ様を、俺は初めて見た。


 その男も、しかし飛びたくて飛んだわけではないだろう。

 掴みかかり、かわされた。

 そう見えた瞬間、宙に浮いて地面に激突し、今は苦しげに呻いている。


 そこへ、冷ややかな声が投げられる。

「お食事中、でしてよ?」


 若い、女性客である。

 馬の尾の形に束ねられた金髪に、見る者の目はまず向くだろう。

 顔は、美しい。

 気軽に声をかけようと思えないほどにだ。


「お静かに、なさいませ。もちろんね、賑やかにお喋りをしながら食卓を囲む事はございますけれど……貴方がたの騒々しさは、それとは全く違いますわ」


 どこかの貴族の令嬢ではないのか、と俺は思った。

 こんな粗末な屋台で昼飯を食べるような御身分なのか。


「ただ、ひたすらに非礼なだけ……」


 身にまとっているのは、所々に部分鎧の貼り付いた戦闘服で、肌の露出は無いに等しいが、引き締まって凹凸のくっきりとした身体つきは全く隠せていない。

 そんな魅惑の肢体が、まるで俺の屋台を庇ってくれるかのように立ち、男たちと対峙している。


「庶民の方々にも、礼儀作法は守っていただきますわよ」


 形良い腰には、細めの長剣を帯びている。


 女ながら、腕に覚えありというわけか。

 その腕を、俺は目の当たりにしたのか。

 掴みかかった男が、勝手に宙を舞い、転倒したようにも見えた。


「てめえ……」

 数人がかり、にやにやと笑いながら女性客一人に絡んでいた男たちが、今は頭に血を昇らせている。

「女だからってなあぁ、優しく扱ってもらえると思ってんのか!」


「おう姉ちゃんよ、いいモノ腰にぶら下げてんじゃねえの。抜けよコラ」

 男の一人が、刃物を抜いた。


 幅の広い、片刃の剣。

 女性客の腰にある細身の長剣よりも、殺傷力はずっと上に見える。


 その抜き身が、しかし次の瞬間、別の男の喉元に突き付けられていた。


 女性客の一見たおやかな両手が、抜き身を持つ男の腕を無雑作に捻り、切っ先の狙いを操作したのだ。


「ぎゃああああああ! おっ折れる、腕がぁーッ!」

「わっ、バカ危ねえ何しやがる!」


「そう。刃物ってね、とっても危ないもの。ですのよ?」

 にこりと微笑みながら女性客は、男の腕を解放した。


 二人の男が、大騒ぎをしながら、もつれ合い転倒する。


 信じなければならない、と俺は思った。

 この金髪の娘、本当に腕に覚えがあるのだ。

 その腕を、俺は見ているのだ。

 勝手に宙に浮いたように見えた一人目の男も、この娘に、普通に投げ飛ばされていたのだ。


 王国南部と一括りに扱われがちな地方群の、北からの入り口とも言えるゴスバルド地方。


 南北に流れるクエルダ川の河岸で開かれている、自由市場である。


 俺は、屋台を引いて参加している。

 クエルダ川で穫れたものを、主に串焼きにして売りさばいている。


 魚や貝の生臭さを取り除くのが俺は得意で、この屋台もそこそこの売り上げを叩き出しているのだが、生活は楽ではなかった。少し前までは。


 その頃、この辺りは旧帝国系の連中が支配し、俺たち下層の物売りからも大いに税金を搾り取っていた。


 そういう連中を、ボーゼル・ゴルマー侯爵が一掃してくれたのだ。


 ボーゼル侯は死んでしまったが、その後の混乱を、あのドルフェッド・ゲーベル隊長が収めてくれた。


 俺たちの生活は、格段に良くなった。


 この屋台の売り上げの一部も、王弟ベレオヌス公爵の懐に流れ込んでしまう。

 そんな仕組みが、いつの間にか出来上がってしまったようだが、別に構わないと俺は思う。


 ドルフェッド隊長とその軍隊が、俺たち下層の物売りのために色々と尽力してくれたのは事実だからだ。


 俺たちは、以前よりはずっと安心して商売が出来るようになった。


 とは言え、こういう輩もいる。

 俺は、この男たちに難癖を付けられていた。

 女性客が、助けに入ってくれたところである。


「あ、あの……」

 もう一人、女性客がいる。

 幼い少女で、唯一神教会の法衣を着用している。


 見習いの尼僧、であろうか。

 転倒した男たちに優しく声をかける様には、幼くとも聖女の風格がある。


「お怪我を、なさったのですか? それなら治療を」

「甘やかしは禁物でしてよ、ミリエラさん」

 金髪の娘が、言った。

 いささか年齢の離れた姉妹、のような二人組である。


 男たちに、俺は声をかけた。

「……お前ら、もうやめろよ。どうせアレだ、旧帝国系の残党どもに雇われているんだろ? こういう市場を、ぶっ壊すためにさ」


 男たちは、凶悪な目で俺を睨んだ。

 困窮した人間の凶悪さだ、と俺は思った。

 結局こいつらは、悪意ある連中に、つけ込まれ、こき使われているだけなのだ。


 それ以上、何かする事もなく、男たちは逃げ去った。

 倒れた仲間を、しっかり助け起こしてゆくあたり、まだ救いようが無くもない。


「旧帝国系の、残党……」

 金髪の娘が、呟いた。

「……そのような方々が、いらっしゃいますのね」


「色々めんどくさいんだよ、この辺りは」

 俺は言った。

「助けてくれて、ありがとう。そういうものとは関わり合わず、こんな所は早々に素通りしちまいなよ。お嬢さん方」


「そうしたいところ、ですわね」

 綺麗な笑顔を、俺はつい見つめてしまった。


 見覚えがある、ような気がしたのだ。

 そんなはずはない、と俺は思い直した。


 悪役令嬢シェルミーネ・グラークが、こんな所にいるわけがないのだ。

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