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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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105/195

第105話

「花嫁選びの祭典……まったくもって、実に、楽しい茶番劇でございましたな。シェルミーネ・グラーク嬢」

 形式的な挨拶の後、バルフェノム・ゴルディアック侯爵は言った。


「くだらぬ、と思いつつも引き込まれてしまう……茶番劇を、最後まで見届けずにはおられぬ自分に気付き、愕然としたものですよ私は。シェルミーネ嬢、貴女のおかげです」


「お楽しみいただけて、何よりですわ」

 シェルミーネ・グラークは、微笑んで見せた。


 王宮。

 王国宰相ログレム・ゴルディアックの、非公式の執務室である。


 来賓が二名、宰相本人と共に卓を囲み、長椅子に身を沈めている。


 グルナ地方領主バルフェノム・ゴルディアック侯爵。

 王太子アラム・エアリス・ヴィスケーノ。


 このような非公式の会合に、自分シェルミーネ・グラークは、招かれたわけではない。

 秘書官、という名の護衛として、ログレム宰相に付いているのだ。


 護衛は、バルフェノム侯爵にも付いている。


 黒装束の長身。

 まるで、長く伸びた影である。


 包帯のようでもある黒覆面の隙間から、険しく燃え盛る眼光が漏出し、シェルミーネに向けられて来る。


 クロノドゥール、と呼ばれていた男。

 黒装束の下に、いかなる武器を隠し持っているのかは、わからない。

 戦い方が、まるで読めない。


 護衛の他、暗殺もこなすのであろう、そんな男を長椅子の後ろに控えさせたまま、バルフェノムは語る。


「悪役令嬢が愚かな自滅を晒し、平民娘がめでたく王子と結ばれる……幸せな結末であった、と思います。私も貴女が、最終的な勝利者ではなくて、本当に良かったと思っておりますよ。シェルミーネ嬢」


「酷いお話ですわね、バルフェノム・ゴルディアック侯爵閣下」

 シェルミーネは言った。

「貴方、お貴族様でいらっしゃるのに私の応援、して下さいませんでしたの? 平民娘に肩入れをなさいますの?」


「……そこが、あのアイリ・カナンという少女の恐るべきところ。で、ございましてな」

 バルフェノムの口調は、重い。


「周りで見ている者ことごとくを、味方せずにはおれぬ気持ちにさせてしまう。我ら貴族すらも、味方に引き込んでしまう。そのような平民が……王侯貴族の地位を、獲得してしまった。恐ろしい話とは思われませんか、宰相閣下。シェルミーネ嬢」


「アイリ・カナンを……ふん、危険視でもなさっていたの? あのような、何も出来ない平民娘を」

「何も出来ない平民娘を、王族の地位にまで引き上げてしまったのは……貴女ではありませんかな、悪役令嬢殿」

 バルフェノムは、にやりと笑った。


「まあしかし安心しておりますよ私は。アイリ・カナン・ヴィスケーノ王太子妃殿下も今や、煌びやかな王侯の暮らしに、すっかり染まってしまわれた。ありふれた貴婦人です。あれならば……見る者全てを味方に引き入れてしまう、などという事もありますまい。そう、あれで良いのですよ」


 王侯の暮らしになど、アイリ・カナンは憧れていたわけではなかった。

 ただアラム・エアリス・ヴィスケーノという一個人だけを、彼女は追い求めていたのだ。


 シェルミーネは、腰の左側に右手を伸ばしてしまうところだった。

 鞘ごと帯に取り付けられた、細身の長剣。

 アドラン地方、帝国陵墓にて、入手した武器である。


 抜き打ちの一閃で、バルフェノム侯爵を斬殺する事が出来る。

 クロノドゥールが、いなければだ。


 何故なのか、理論的な説明は出来ない。

 ただシェルミーネは、強く思うのだ。

 このバルフェノム・ゴルディアックという男を、生かしてはおけない、と。


(この男が……)

 それは、特に根拠のない、思い込みに過ぎなかった。

(…………まさか、この男が……?)


 こちらを見据えるクロノドゥールの眼差しに、変化はない。

 だがシェルミーネは、確信した。

 自分が動いた瞬間、この男も動く、と。

 結果どのような事になるかは、実際に動きが起こらなければ、わからない。


 バルフェノムが、長椅子から立ち上がった。

「お会い出来た事、喜ばしく思いますよシェルミーネ嬢。殺人の罪に問われ、王都を追われたはずの令嬢が何故、王太子殿下ならびに宰相閣下のお側にいらっしゃるのか……それはまあ、今は考えずにおきましょう」


「そうしていただけると、助かりますわ。いえ、そんな事よりも」

 シェルミーネは言った。


「……失礼。ゴルディアック家の方には、お悔やみを申し上げなければいけませんでしたわね。この度は、御一族の方々が大変、痛ましい事になってしまわれて」


「お気遣いなく。あの者たちの死を悲しむ者など、ゴルディアック家には一人もおりませんよ」

 言いつつバルフェノムは、ゴルディアック家当主でもある宰相に、ちらりと目を向けた。


「長老ゼビエル・ゴルディアック及び、その取り巻きの親族どもは……我ら旧帝国貴族にとって、紛れもなく害悪でありました。汚物でしか、ありませんでした。ゴルディアック家は、ゼビエル大老から解放されたのですよ。実に喜ばしい」


 そこでバルフェノムは、己の口を片手で塞いだ。

「……ふふ、ふっふふふふふ。貴女も恐ろしい方だ、シェルミーネ・グラーク嬢。貴女に何かを問われると、つい本当の事を吐いてしまいそうになる。ああ、いやいや、本当の事などではありませんぞ。喜ばしいなどと。ああ痛ましい痛ましい。大恩あるゼビエル老よ、その魂、唯一神の御手の中にて、いと安らけくあらん事を」


 バルフェノムは、執務室を出た。

 クロノドゥールが、影のように付き従う。

 最後まで、シェルミーネへの警戒を解く事はなかった。


「……ゼビエル大老の不興を買い、地方へ飛ばされた者。ゴルディアック家には、あの男以外にも大勢いる」

 ログレム宰相が、言った。


「ゴルディアック本家の腐敗に染まる事なく、地方で力を蓄えていた者たち……その中心人物と言うべきが、バルフェノム・ゴルディアックだ。私の従兄弟に当たる」


「ゴルディアック家の本質は」

 シェルミーネは、長椅子に腰を下ろした。

「……今や、王都ではなく地方にありと。そういう事ですの? 宰相閣下」


「…………各地方のゴルディアック家関係者を、バルフェノムは巧みに取りまとめ、今や隠然たる大勢力を有するに至った。長老ゼビエルの死は、あの男にとっては、重石が取り除かれたようなものであろう」


「……叛乱、に近い行動を引き起こすと?」

 アラム王子が、ようやく言葉を発した。

「かの、ボーゼル・ゴルマーのように……」


「王国全土の旧帝国系貴族が、こぞってバルフェノムの支配下に加わるような事になれば」

 ログレムは小さく、息をついた。


「……まあ、内乱・戦乱のような事態が即座に起こる事はないだろう。ただ、起こり得る。その認識を、貴公らには共有してもらいたいと思ってな。この度、あの男に会ってもらった」


「…………気付いている、のではないのか? あのバルフェノムという男……」

 アラムが呟く。

「私も、アイリも……本物ではない、という事に……」


「で、あるにしても。おぬしには、アラム殿下であり続けてもらわねばならん」

 ログレムの口調と眼差しが、アラムに向かって強まった。


「アラム殿下は必ず、お戻りになられる。あの方さえ、いらっしゃるならば……旧帝国貴族どもの、つまらぬ蠢動など、ものの数ではないのだ」


「宰相閣下は」

 シェルミーネは言った。

「旧帝国系貴族の方々を、本当に嫌っておられますのね。それと……アラム王子を、まるで唯一神の如く崇めていらっしゃる」


「この私もまた、旧帝国系貴族……あやつらと同じ血が流れているかと思うと、この身を引き裂きたくなる」

 ログレムが、暗い情念を燃やす。


「旧帝国の古く腐った血など、この王国には必要ない。あの者どもが雑兵の血筋と蔑む、ヴィスガルド王家より出でし英傑! 建国王アルス・レイドックの再来……あの方こそが、アラム殿下こそが、腐りきった旧帝国の血を一掃し、この国に新たなる風と盤石の栄えをもたらして下さる」


「それほどまでに……この国にとって、そこまで大切な方であると、貴方がお思いならば」

 シェルミーネは訊いた。

 いくらか、詰問に近い口調になった。


「アラム王子が、危険な叛乱討伐の戦に駆り出される事態。宰相権限で、止める事は出来ませんでしたの?」

「……実績が、必要だったのだ。万人が、アラム殿下を英傑と認める……そのような実績が」


 シェルミーネは腕組みをして口をつぐみ、さらなる詰問を噛み殺した。


 ボーゼル・ゴルマーが、南方で叛乱を起こした。


 それに何の手も打たず、安全な王宮の中で、愛する妻アイリとただ睦まじく過ごすだけ。

 それでは確かにアラム王子が、王国民に認められる事はないだろう。

 王家の弱腰を糾弾する声が、旧帝国貴族からも上がる。


 力を、実績を、示す。そして黙らせる。

 それもまた、権力を持つ者の責務なのである。


「…………情報が、入っている」

 いくらか迷った後、ログレムは言った。

「アラム殿下、に似たる者がな。王国南部……ロルカ地方にて、目撃されている。領主ペギル・ゲラール侯爵に、兵士として仕えているらしい」


「その程度の情報で……宰相閣下が御自ら、動かれるわけには参りませんわね。確かに」

 シェルミーネは、腕組みを解いた。


「……秘書のお仕事などまるで出来ない秘書官が、ここにおりますわ。御命令をいただければ」 

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