第104話
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父親と息子が、死んだ。
ヴィスガルド王国宰相ログレム・ゴルディアック侯爵は、しかしそれで悲しみに暮れ、取り乱すような、わかりやすい人物ではない。
繁雑な政務を、まるで呼吸の如くこなしながら、要人とも会う。
要人と要人の面会をも、こうして手配する。
私も一応、要人として扱われているようではあった。
「御尊顔を拝する栄誉を賜りました事、恐悦至極に存じます。アラム・エアリス・ヴィスケーノ王太子殿下」
この度、私が会わねばならぬ要人は、この男だ。
豪奢な装束の似合う、立派な体格。
押し出しのいい、年配の男性貴族である。
一礼する動きは堂々たるもので、王族たる私に対する敬意の表し方は完璧ではあるが、どこか尊大さを隠しきれてはいない。
私の正体を知っていて、見下しているのではないか。
などと思ってしまうのは、私の被害妄想か。
ともかく。私は、応えなければならなかった。
「私の如き若輩者に対し、そのように畏まるものではありませんよ。バルフェノム・ゴルディアック侯爵閣下」
精一杯、痛ましげな表情を作って見せる。
「この度は、何とお声をかけるべきか……非才の身、言葉が思いつきません。ただ生き残ったゴルディアック家の子供たちにとりましては、貴方がたが頼みの綱です。お気持ち、どうか強く持たれますように」
「まさしく。あの子らは、我らが守り導いてゆかねばなりません」
バルフェノム・ゴルディアック侯爵の口調は、力強い。
一族の危難を、自身の主導によって乗り越えてゆく。
そんな、傲慢な決意が漲っている。
「私どもゴルディアック家は、生まれ変わりの機会を得たのです。これも唯一神の思し召しでございましょう」
ゴルディアック家は、滅びたわけではなかった。
当主ログレムが、まず健在である。
今は王国宰相として、私とバルフェノム侯の面会に、立ち会っているところであった。
ここは王宮の一角。
宰相ログレムが、密やかに人と会うための、非公式の執務室である。
三人、卓を囲んで長椅子に座っている。
「この度の一件」
ログレムが、言葉を発した。
「……バルフェノム卿は、いかなる認識を抱いておられる?」
「私といたしましても。ただひたすら痛ましい、としか申し上げようがございませんよ。宰相閣下」
この両名は、従兄弟同士である。
「大恩あるゼビエル老が、最期を遂げられた今。我ら生き残った者たちで、ゴルディアック家を守り抜き……帝国の威光を保ってゆくしか、ありませぬ」
「大恩か」
「ええ、大恩です。それ以外のものなど、欠片ほどもございませんな」
まっすぐにバルフェノム侯は、宰相と見つめ合っている。
人を騙す者は、まず相手の目を、まっすぐに見つめるという。
目で嘘をつく、ところから始めるという。
「いつかは、ゼビエル老に……お許しを、いただけるものと。私は、それだけを心の支えとしておりました」
王都にあって王宮より歴史が古い、と言われていたゴルディアック家の大邸宅が、崩壊した。
一族の長老ゼビエルをはじめ、ゴルディアック家の主だった人々が、ことごとく死亡した。
異形の怪物が邸内に出現し、人々を殺戮したのだという。
そういう事もあるだろう、と私は思う。
この私も、妻アイリ・カナン・ヴィスケーノも、今や人間ではない。
人外の怪物を造り出す事は、出来る。
それが出来る者は、確かにいるのだ。
(……貴公の仕業か、ジュラード)
ゴルディアック家を、滅ぼす。
それが、あの男の目的であったのか。
ならば、果たされた、とは言えない。
ゼビエル大老と折り合いが悪くなり、王都を追い出され、地方へ飛ばされた者が、ゴルディアック家には大勢いる。
このバルフェノム・ゴルディアックは、その筆頭と言うべき存在であった。
ヴィスガルド王国東部グルナ地方にて、長らく地方領主として、勢力を培っていたようである。
「間違えてはならぬぞ、バルフェノム卿」
ログレムが言った。
「我らが守らねばならぬもの、それは帝国の威光などではない。民の、安寧と繁栄である」
「それは言うまでも無き事。我らの使命は、民を守る事でございますからな」
民を守る。
それを言い訳に、王侯貴族という者たちは様々な事をする。
「民を守る。それは……王侯貴族と平民との間に壁を建て、それを守り抜く、という事でもあるのですよ宰相閣下。その壁こそが、すなわち帝国の威光。失われては、ならぬものです。民衆を、守るためにも」
「王侯貴族と民衆が対等に並び立つなど、あってはならぬ事」
従兄弟を見据えるログレムの眼差しが、ぎろりと強さを増した。
「……その考えは、変わらぬようだな。バルフェノムよ」
「帝国の、偉大なる教訓です。これを守り通すのも、我ら帝国貴族の務め」
バルフェノムが一瞬、私の方を見た。
「王侯貴族と民衆を隔てる壁、それをアルス・レイドック王は……力で、粉砕してしまわれた。結果、帝国は滅び、世は戦乱の時代を迎え、民は殺戮の憂き目に遭ったのです。おわかりか宰相閣下。王侯貴族と民衆が対等に並び立つなど、あってはならぬ事なのですよ。両者を隔てる壁は、民を守るためのものでもあります。乗り越えては、なりません。民にとっても、不幸な事にしかならないのですから」
私が本物のアラム・ヴィスケーノ王子であったなら。
このバルフェノム・ゴルディアックという男を今、即座に、斬殺していたかも知れない。
そう思った瞬間、私は感じた。
今、自分は死んだ……と。
長身の人影が一つ、バルフェノムの傍らに佇んでいた。
黒衣を全身に巻き付けた、細長い男。
痩せた肉体は、極限に近いほど無駄なく鍛え込まれている。
黒い包帯、のようでもある覆面の隙間から、冷たく鋭利な眼光が漏れ出している。私に、向けられている。
それだけで私は、この男に自分が殺される様を幻視してしまうのだ。
「やめよ、クロノドゥール。王太子殿下、ならびに宰相閣下の御前であるぞ」
バルフェノムが命じた。
ログレムが、微かに苦笑したようである。
「その男の入室。私は、許可した覚えはないのだがな」
「お許しを。こやつ常に、いつの間にか私の傍らに居るのですよ。私では、止められませぬ」
「まあ、それが護衛というものであろう」
私も、アラム・ヴィスケーノ王子の護衛であった。
だが私は、アラム殿下をお守りする事が出来なかった。
否。
あの方は、私の拙い護衛など必要とはなさらない。
生き延びて、おられる。
御自身の力で、必ずや。
ログレムが、言った。
「野良犬のような子供を拾って恩を売り、忠実な暗殺者に育て上げる……お前が、昔から手がけている事であったな。バルフェノムよ」
「貴族たる者。皆、している事でございましょう」
「そうかな」
「このクロノドゥールは、実に良い子に育ってくれました。帝国の威光こそが世の安寧、民の安寧のためには必要であると、心から理解してくれています。礼儀作法までは身に付けさせる事が出来ませんでした。私の不徳でございます」
勝てるか、と私は思った。
先程の、紛い物の国王とは違う。
このクロノドゥールという男、恐るべき暗殺者である。
私の、この肉体ならば。一度か二度、刃を受けたところで、即死する事はない。
刺し違える事は、出来るかも知れない。
だが。この暗殺者が、ログレムを標的とした場合。
私では、宰相を守る事は出来ないだろう。
その事態を想定しているであろうログレム宰相が、平然と言った。
「そのような男を引き連れて、あわよくば……この場で私の命を、という事かな」
「それが可能であれば、とうの昔にしておりますよ宰相閣下」
バルフェノムが笑う。
冗談めかした、つもりであろうか。
「クロノドゥールは申しております。この場で迂闊な動きをすれば、まずは自分が死ぬと。私バルフェノムも、ついでのように殺されると……いやはや、さすがは宰相閣下。恐るべき手練れの者を、護衛として使っておられる」
誰だ、と私は思った。
私では、あるまい。
「そのような恐ろしい事。出来るはず、ありませんわ」
涼やかな声。
そこで、ようやく私は気付いた。
柱の陰に佇む、優美な姿。
「私……宰相閣下の、単なる無能な秘書官ですもの」
凛とした男装。
それでは隠せない、魅惑の曲線。
馬の尾の形に束ねられた、艶やかな金髪。
クロノドゥールが、バルフェノム侯爵の前に出た。
黒覆面から漏出する眼光が、険しく燃え上がる。
まっすぐに見つめ返し、シェルミーネ・グラークは微笑んだ。
一見たおやかな細身で、ログレム宰相と私を、背後に庇ってくれている。
「アラム王子……と、お呼びいたしますわね」
眼差しが一瞬、私の方を向いた。
「先程の戦いぶり、お見事でしたわ。私、余計な手出しを考えておりましたけれど」
「……見ていたのか、シェルミーネ嬢。ならば、わかるはずだ」
私は、今や人ではないのだぞ。
バルフェノム侯のいる場所で、私は、そう言ってしまうところだった。
「人が、人ではなくなる様。私これまで散々、見て参りましたのよ」
シェルミーネ嬢は言った。
「特に、物凄い一例をね。先日アドラン地方で目の当たりにしたばかり……あれに比べたらアラム王子、貴方なんて可愛らしいものですわ」




