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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也
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第1話

 平民の娘アイリ・カナンが、最後まで残ってしまった。


 もっと徹底的に虐めておけば良かった、とシェルミーネ・グラークは思う。潰しておくべきだった。

 17年に及ぶ人生のうち、最大の後悔と言って過言ではない。


 グラーク家は、ここヴィスガルド王国における最大の名門貴族ではある。広大な領地を何代にも渡って良く治め、民に安寧をもたらしてきた。実績と声望は申し分ない。

 唯一、足りないのが王家との血縁である。

 当主オズワード・グラークの長女シェルミーネに課せられた使命。

 それは、この度ヴィスガルド王家によって開催された『花嫁選びの祭典』を勝ち抜き、王子アラム・ヴィスケーノと結ばれる事であった。


 王国全土から花嫁候補者が集い、妍を競った。

 大半は、大貴族の令嬢である。

 財力にものを言わせて美貌を磨き、教養を高め、技芸を身につけてきた精鋭集団である。


 平民の娘が、勝ち残るはずはなかったのだ。

 アイリ・カナンは、しかし残った。


 この少女をシェルミーネは、一目見た時から気に入らなかった。

 身の程知らずだから。それもある。

 だがそれ以上にアイリは、見る者が見れば間違いなくわかる原石であった。


 勝ち上がって来る、かも知れない。芽を摘んでおかなければ。


 シェルミーネはアイリを舞踏会に誘い出し、稚拙な踊りを衆目に晒させた。茶会に誘い出し、貧乏人そのものの卑しい飲み食いをさせて笑い物にした。学芸の場に誘い出し、教養の無さを露呈させた。


 アイリの心は、しかし折れる事はなかった。


 踊りを、作法を、知識教養を、彼女は凄まじい吸収力で身につけていった。

 シェルミーネの行った数々の嫌がらせは、アイリ・カナンという稀有な原石を磨き上げる事にしかならなかったのだ。


 花嫁選びの祭典、その優勝賞品たる王子アラム・ヴィスケーノは、王族という身分が無くとも奪い合いが起こったであろうと思わせる好青年であった。


 眉目秀麗である、だけではない。

 文武両道の呼び声高く、ヴィスガルド王家始まって以来の若き英傑と言われていた。


 それは誉め過ぎにしても、とシェルミーネは思う。会話をして、理解出来た事はある。

 このアラムという青年に対しては、大貴族グラーク家の名前は何の役にも立たない、と。

 後ろ盾の家名で花嫁を選ぶような、生易しい相手ではないと。


 平民の娘であろうと、丁寧に研磨された宝石であれば、この王子は選んでしまいかねない。


 そして。アイリという原石を磨き上げてしまったのは、シェルミーネ自身である。


 徹底的に虐めておけば良かった。否、それは違う。

 平民の娘など、放っておけば良かったのだ。

 原石は、泥まみれの石ころのまま人知れず脱落していただろう。


 およそ1年間に及ぶ花嫁選びの祭典。

 月を経るごとに脱落していったのは、泥まみれの原石を侮り、嘲り続けた貴族令嬢たちであった。


 自然と彼女らは、シェルミーネの周囲に集まるようになった。


 恨み重なる平民の娘を、グラーク家の令嬢に叩き潰してもらう。

 そして見事、シェルミーネが王家への輿入れを遂げた暁には、栄華のおこぼれに預かる。


 そんな下心があからさまで、教養と技芸を高めてきたはずの令嬢たちも、こうなると哀れなものであった。

 自分もあるいは、こうなっていたかも知れない。そう思えた。

 だからシェルミーネは、彼女たちは好きなようにさせておいた。


 それが、大いなる間違いであった。


「シェルミーネ……」

 床に座り込んだまま、アイリは怯えている。


 この日のため彼女のために仕立て上げられたドレスが、血に染まっていた。

 アイリ自身の流血、ではない。


 花嫁選びの祭典、最終日。

 間もなく最後の舞踏会が催され、そこでアラム王子自らが、祭典を勝ち抜いてきた花嫁候補者2名のどちらかを踊りに誘う。


 シェルミーネ・グラークかアイリ・カナン、どちらかが選ばれる。


 舞踏会が開かれる王宮の大広間。その傍ら、花嫁候補者の控え室。


 床も壁も調度品も、血まみれだった。


「シェルミーネ……私……」

 怖いもの知らずの平民娘であり続けたアイリが、怯えている。


「リアンナが……リアンナがぁ……」


 胸に短剣が突き刺さったまま、リアンナ・ラウディースは暴れ回り、のたうち回ったのだろう。

 室内あちこちに鮮血をぶちまけた挙げ句、壁際で力尽き、事切れていた。


 いや、まだ辛うじて生きている。

 呻いている。怒りの呻き。のたうち回りながら、アイリに罵詈雑言を浴びせていたのだろう。


 それが聞こえて、シェルミーネは駆けつけて来たところだ。


 アイリは青ざめ、震え、何か言おうとしている。


「……何も、おっしゃらないで。アイリさん」

 ひとつ声をかけてからシェルミーネは、リアンナを抱き起こした。

 アイリと同じく、この日のために仕立てたドレスが、血で汚れた。


 構わなかった。もはや舞踏会どころではない。


「……シェルミーネ……様……」


 呪詛の呻きが、懇願に変わった。

「……勝って……どうか、汚らしい平民女を……蹴り落として、下さいまし……」


 脱落してシェルミーネの取り巻きとなった令嬢たちの中でも、リアンナ・ラウディースは最もアイリを憎んでいた。

 シェルミーネが行ったものよりも遥かに悪質な嫌がらせを、仕掛けていたようである。


「晴れて……王妃となられたらば、どうか……ラウディース家に、救い……を……」


 ラウディース家の財政危機に関しては、シェルミーネも噂は耳にしていた。


 家を、一族を救うため、リアンナは花嫁選びの祭典に出場したのだ。

 家を、一族を救うため、脱落した後もシェルミーネに望みを託した。


 そして。シェルミーネの手強い競争相手を、刺殺しようとした。家を、一族を救うために。


 だがリアンナは、ここまで這い上がって来た平民娘の、根性と、しぶとさと、腕っ節を、侮っていたようである。

 容易く刺し殺されるアイリではなかった。


 揉み合っているうちに、リアンナは誤って己の胸を刺してしまったのだ。


 裁判になれば、しかしアイリが刺し殺したという事にしかならないだろう。

 正当防衛とは言え、殺人である。それも平民の少女が、貴族の令嬢を殺害したのだ。

 アイリはこのまま収監され、舞踏会は中止。花嫁選びの祭典は終了。


 晴れて、などとは言えないにしても、シェルミーネがアラム王子の花嫁となる。


 リアンナは、事切れていた。


 王宮の衛兵団が駆け付けて来るのは、時間の問題である。


「私……わたし……リアンナを……」


 自分が殺した、とアイリは裁判で認めてしまうだろう。

 殺されそうになったから仕方なく、殺すつもりはなかった。そんな言い訳をする少女ではない。


 終わりだ、とシェルミーネは思った。

 アイリ・カナンは、このまま自ら消えてくれる。


 自分はアラム・ヴィスケーノ王子と結ばれ、大貴族グラーク家の繁栄と栄光は磐石のものとなる。

 勝ち誇る、べきなのだろう。


「…………よくお聞きなさい、アイリさん」

 リアンナの屍を膝に乗せたまま、シェルミーネは言った。


「この子は貴女の命を狙った。それはね、私の命令ですのよ」


「…………何、言ってるの? シェルミーネ……」

 青ざめながら、アイリは呆然としている。


 シェルミーネは睨み据えた。

「しぶとさだけで這い上がって来た子は、頭の中身が実にお粗末! まさか、お気付きになりませんでしたの? 私、貴女が大っ嫌いですのよ。アラム王子はお優しい方、薄汚い平民にも直にお声をおかけになってしまう。そこにつけこんでの厚かましく図々しい振る舞い、万死に値しますわ!」


「シェルミーネ……」


「お黙り。下賤の者が軽々しく私の名を口にするなど、蛆虫が人に語りかけるようなもの。滑稽すぎて無礼を咎める気にもなりませんわ」

 シェルミーネは、嘲笑って見せた。


「蛆虫を殺処分するお仕事をね、私はリアンナにさせてあげましたの。アイリ・カナンという身の程知らずを、この世から消すように……とね。グラーク家が王家と結ばれた暁には、ラウディース家をいくらでも助けてあげられる。リアンナは私に逆らえませんわ」


「…………やめて、シェルミーネ……」


「なのに、この子は決行直前に怖気付いて……虫も殺せない役立たずに成り下がってしまいましたのよ。生かしておけるわけ、ありませんわ」


「やめてシェルミーネ! そんなわけ、ないじゃないの!」


「役立たずをね、たった今、私の手で始末したところ……貴女に見られてしまいましたわねえ」


 衛兵たちが、駆け込んで来た。

 シェルミーネは立ち上がった。


「まったく、上手くいかないものですわ……図々しい平民娘。お優しいアラム様に甘えきって、せいぜい自堕落にお生きなさいな」

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