お客様の中に〇〇はいらっしゃいますか
ふわりという浮遊感とともに機体は大空へと飛び立った。片道6時間の空の旅をお楽しみ下さい、というアナウンスが流れるとシートベルトを外せるランプが点灯する。しっかりと固定されていたシートベルトを外すと体ばかりか心も開放的になった気がした。席は窓際で徐々に遠のいていく地上が良く見える。
毎日毎日仕事仕事仕事、休日は溜まった洗濯物を片付け掃除をし買い物に出かけて食事を作っているとなんやかんやで一日が終わる。しかも休日でも仕事先からの呼び出しなどしょっちゅうで、家にいる時間よりも職場にいる時間の方が長い。それを毎日繰り返していれば誰だって癒しが欲しくなるというものだ。
仕事を鬼のような勢いで片付け、成果を出して見せてからようやくもぎ取った有給だ。何をするか? そんなもの旅行に決まっている。日本国内など生ぬるい、ここは海外に行って思いっきり心を洗われて来ようと思った。海外に出てしまえば仕事先から呼び出されても行けないだろうという思惑もある。
初めての海外旅行、しかも一人旅だ。ツアーなどではない、完全に自由気ままな旅である。くあ~、と小さくあくびをこぼした。
緊張して夕べはちょっと眠れなかったのは内緒だ。子供の頃から遠足前夜は寝付けないタイプだった。6時間みっちり何かをやる気はない。せっかくなので仮眠を取ろうと思った。
時差を考えると現地に着くのは朝の7時過ぎ、体内リセットには丁度いいかもしれない。しかしせっかくなのでもう少し空の景色を堪能したら……と思っていたときだった。
何やら客室乗務員が慌しく前の方へと走って行く。一体何事かと他の客もきょろきょろしていた。このときはまだ、何かあったのかな、くらいにしか思わなかった。
すぐに客室乗務員が姿を現したが、何やら様子がおかしい。客一人ひとりに声をかけながらゆっくりと通路を歩いてきている。誰か探しているようだった。
ここでピンと来た。これ、昔のドラマとかで見たことある。いわゆる急病人が出て「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか」ってパターンだ。何だ何だ、空港から飛んで10分もたっていないというのに。具合が悪いのなら乗らなければいいものを、とまるっきり他人事のように考える。こちらは久しぶりの旅行だ。急病人を降ろす為に途中で違う国の空港の降りられたのではたまらない。
「お客様の中に……はいらっしゃいますか」
ほらきた、やっぱり急病人。
「お客様の中に、爆弾処理班の方はいらっしゃいませんか」
……。
おいこら、ちょっと待て。
乗務員の声を正確に聞いてしまった乗客たちの心が一つとなり盛大に突っ込みを入れる。
「あの」
何があったのか気になったのだろう。たまらず客の一人が声をかけると、客室乗務員は「救われた!」とでも言いたげな輝かしい笑顔を見せた。
「爆弾処理班の方ですか!?」
んなわけねえだろ。頭大丈夫かお前。喉まで出かかったがグッと堪える。
「違います」
「あ、そうですか……」
あからさまにがっかりしたような顔をした乗務員に、客は不安そうに問いかけた。
「あの、何があったんですか?」
一瞬真顔になった乗務員だったが、次の瞬間には営業スマイルを浮かべて優しげな声で言う。
「いえ、特に何もございませんのでご安心下さい」
(うそこけや! 爆弾処理班探してる時点で爆弾見つかった以外の何があるってんだよ! つーか仮に爆弾見つかったからってピンポイントで爆弾処理班を探すなよおかしいだろ、普通いねーよ! 何をどう安心するんだ言ってみろ! 安心しろっつってる時点で安心できない案件抱えてんだろ!)
軽い頭痛を感じながら内心で盛大に突っ込む。ごまかされた客はそれ以上つっこむのが怖かったのか、そうですかとだけ言ってそのまま会話は終わってしまった。周囲の客はざわざわしている。
もしここがアメリカだったら緊張感も出るが、生憎テロにも戦争にも疎い日本国民100%の機内だ。え、マジで? いやいや、まさかね、とざわつくだけだ。
(これマジか? 冗談でそんな客探すわけないし、爆弾っぽい何かが見つかったと思うべきかどうか。うわあ、これから6時間空の旅かよ、どっかで降ろしてくれねえかなあ)
降ろされるなど冗談ではない、と思っていた先ほどとはうって変わって今すぐどこかの空港に着陸して欲しいと思う。しかしそういったアナウンスは流れないのでどうやらこのまま予定通りフライトするようだ。それほど問題ではないのだろうか。
すると今度は後方にいた乗務員が前に向って通路を歩いて来る。こちらも何やら客に声をかけていた。
「お客様の中に、パイロットの方はいらっしゃいませんか」
はいいいいいいいいい!?
一気に客がどよめく。乗務員は慌てて「落ち着いてください」と声をかけるが無理な話だ。とうとう客の一人が声を上げる。
「おい、さっきからなんなんだ! 明らかに何かあっただろう」
「いえ、特には……」
「こんな状況でそれ信じるアホがいるか!」
(そうだそうだ、もっと言ってやれ)
「何があった!」
「コックピットに仕掛けられた爆弾がいつ爆発してもおかしくない状況でパイロットが非常にマズイ精神状態になってアップアップです」
(あ、やっぱ聞きたくなかった)
そう思った瞬間、ガタンと大きく機体が揺れると左右に揺さぶられ始める。あちこちで悲鳴が上がり、乗務員も立ってられなくなり床に伏せた。前方にいる乗務員に先ほどの乗務員が叫ぶ。
「佐竹さん! 機長を落ち着かせてきて!」
(乱気流とかじゃなくて機長のドリフトかよ!)
乗務員の叫びに泣きたくなる。精神状態がやばいと言っていたか、確かに爆弾があったら嫌だがそこはプロなのだから気張れといいたい。
間違ってもどうせ死ぬなら道連れに、とか考えないで欲しい。絶対に。
しばらく揺れていたが何とか機体の体勢が整い、乗務員が立ち上がる。泣き出す子供、どうなっているんだと混乱する中年男性、半泣きの友人を必死に励ます友人同士、機内は軽く混乱している。
(クソ、電車か車ならまだしも飛行機の中とか何もできない。とりあえず落ち着け、悪い方にばかり考えがいかないよう落ち着いて)
何とか冷静になろうと必死に心を落ち着かせようとする中、無情にもドダダダダ! と物凄い駆け足の音が聞こえてきた。
「おおおおおおお客様の中に物凄い速さで飛び回る宇宙人みたいなのをしとめられるハンターはいらっしゃいますかあ!?」
「いるわけねーだろあほか!」
とうとう我慢できずに大声で突っ込んだ。
「必死に冷静になろうとしてんだから邪魔すんじゃねーよ! 何だよ飛び回る宇宙人みたいなのって!」
「そうおっしゃられましても、早すぎて姿が捕らえきれないんです! あ、ほらあそこです!」
乗務員が指差したところを振り返ろうとしたが、一瞬黒い影がビュっと音を立てて席の合間をすり抜けていった。
一瞬静まり返ったが、急にざわざわし始める。後ろの席に座っている男子高校生2人組の会話が聞こえてきた。
「見えた?今の」
「尻尾は4本あったよね?」
「マジ? なんかイカみたいな形してたけど」
「ウロコは見えた」
「宇宙人っていうか、こう、猿とキツツキと非常ボタンのガラスカバーを混ぜたような感じだったな」
意味がわからん。わからんがもうこの際だ。
「もうお前らでいいだろハンターは、姿がモヤっと見えたなら。行って来い!」
「えええええ、ちょっと待ってくださいよ」
「あんなのがコックピット行ってみろ、今度は機長がどんな運転すると思ってんだ! 航空ショーも真っ青なアクロバット飛行して垂直に海に突っ込む未来しか見えねーだろ! 絶対前に行かせるんじゃねー!」
そういわれた瞬間男子高校生らは顔を青くして立ち上がる。そして手持ち鞄から何かを取り出した。
「じゃあ、行って来ます!」
二人揃ってハモると一人はファイティングナイフ、もう片方に至っては鉈を取り出していた。
「何でマチェットなんて持ってるんだてめーはああああああ!」
「あ、お兄さんマチェット知ってるんだ! さては相当サバゲー好きですね? 後でID交換しましょう!」
「しねーよ!」
グっと親指を立てて爽やかに走り去る少年に思い切り立てた親指を下に向ける。そして先ほど走ってきた乗務員をギロっと睨んだ。
「金探は!?」
「は、きんたん? いえ、焼肉は最近食べてないです」
「誰が表参道の焼肉屋の話したよ! 空港内で金属探知機やってるはずなのになんであいつらはあんなもん持ってきてんだ! どんだけゲート管理ガバガバなんだよ!」
「あ、だから爆弾なんて仕掛けられちゃったんですね!」
「納得★みたいな顔するんじゃねーよ張っ倒すぞ!」
怒涛のような会話を終えると周りから注目されている事に気づいた。それはそうだろう、生きるか死ぬかの状況になっている時にこんなにもアホな会話でぎゃーぎゃー騒げるのは稀有だ。
「いや、あの。なんかスミマセン」
「いえ、緊張感は和らいだかと」
真ん中のブロックにいた女性から一応フォローされ、急に恥ずかしくなっておとなしく席に座る。座ってから、いつの間にか自分は立ち上がっていたことに気づいた。いかん、興奮し過ぎたと反省する。考えてみれば寝不足なのだからイラつきやすいのかもしれない。
もう、何があっても絶対に、ぜええええったいに反応しない! と心に誓って目を閉じる。どうせ空を飛んでる飛行機の中で自分ができることなどないのだ。爆弾が爆発すれば墜落は免れない。先ほどの猿? キツツキ? 非常ボタンのカバー? のようなものも、彼らに任せるしかない。自分では目で追うことすらできなかったのだから。
今更だが非常ボタンのカバーってなんだ、あのガラスカバーのことか。猿とキツツキの混ざりものならまだ猿にくちばしと羽をつければ想像できるが非常ボタンのガラスカバーってどこに混ぜる要素があるんだ、生き物ですらないというのに。
それともあれか、「つよくおす」とでも書かれているのか、その謎の生物に。いやちょっとまて、あいつらウロコが生えてたとかイカみたいだとか言ってなかったか。うろこはまだしもイカの形して猿とキツツキ混ぜたような生き物? 尻尾は4本とか言ってたか。え、ちょっと待って想像できない。そこに「つよくおす」がどう絡んで来る……
「眠れん」
思い切り眉間に皺を寄せて目を開く。自慢ではないが寝つきは良い方ではない。遠足前にそわそわしてしまって、こういう時は羊を数えようと羊が一匹羊が二匹と数え始めたら数えるのに夢中になり4万7000匹あたりで数えるのをやめた過去もある。
後に「羊はsheep、眠るはsleep、母音が似ていて繰り返し唱えることで眠れ眠れと暗示するようなもの。つまり英語圏の人間が使う眠る為のおまじないで日本人にはまったく意味がない」と知り最初にこの言葉日本に広めた奴許すまじと思ったものだ。
ついでに日本人はコーヒーのカフェインがあまり効かないと知ったときもコーヒーで眠気覚まし説を最初に唱えた奴地獄に落ちろと思った。羊の数えすぎで眠い朝を迎えた日はだいたいコーヒーを飲んでいたからだ。
くだらない事をごちゃごちゃ考えていると逆に冷静になってきた。相変わらず飛行機はガタガタで、後ろの方からは先ほどの少年達が頑張っている声が聞こえて来る。
「そっち行った!」
「クッソ速ぇなこのミジンコ!」(ミジンコ?)
「だめだ刃欠けた! どんだけ硬いんだよあの触手!」(触手……)
「倒せるか、俺達に倒せるのか!?」(え、そんなに強いの?)
「信じろよ、あの人も信じて任せてくれたんだ! これの首でも持って行けば喜んでくれるだろ!」
「喜ぶわけねーだろ」
最後だけ声に出して呟いた。なんだか会話の内容がどんどん恐ろしくなっていっている気もするが、まあ気のせいだという事にしておこう。
ざわざわする乗客の会話もさることながら先ほどから乗務員が福袋セールよろしく様々な呼び声が飛び交っている。それに対してこれまた様々な乗客が律儀にも突っ込みを入れていた。
「お客様の中にぴんくでネバネバしたものを触っても大丈夫な方はいらっしゃいますか!」
「なんだよそれ意味わかんねーよ自分達で触れよ」
「触るとちょっと幸福な夢が見れた後涙が止まらず立ち上がれなくなってしまいますが悲しい事に慣れていてこれ以上絶望しようがない卑屈な方はいらっしゃいますか!」
「試したんかい! さっさと絶望の淵にいる同僚助けに行ってやれよ可哀想だろ!」
「お客様の中に接着剤の臭いを嗅ぐと興奮する方はいらっしゃいますか!」
「いや、確かに嫌いじゃないけど何で興奮を付け加えたの今!? 絶対嫌!」
「お客様の中に第三次世界大戦に参加予定の方はいらっしゃいますか!」
「いねーよ!」
「じゃあ世界大戦2.5Verに参加している方は!」
「え、何!? もう始まってるの世界大戦2.5!」
「お客様の中にレフリーはいらっしゃいますか!」
「絶対いないけどいたらどうすんだ!」
「機長と副機長が喧嘩し始めたのでちょっと取り仕切ってほしくて!」
「何で煽る方でまとめようとしてんだよ馬鹿じゃねえのか! そこで良い試合して両方倒れてみろ全員死ぬんだよ! そんなのが理由で墜落したら化けて出るからな!」
「お客様の中にカウンセラーの方はいらっしゃいますか!」
「今度は何!?」
「乗務員チーフが恋の悩みで塞ぎこみ始めました! さっきの接着剤みたいな臭いが原因みたいです!」
「もう放っといてあげてよその人の事! もしかしたら接着剤が原因じゃないかもしれないでしょ!」
「お客様の中に猫のふぐりを揉むのが日常で野良猫を発情させるのが趣味の方いらっしゃいますか!」
「あ、はい私です」
「いるのかよ!!」
最後だけは間髪いれずに声を上げて突っ込んでしまった。突っ込みにめげずに立ち上がった20代らしき女性は右手をわしゃわしゃと起用に動かす。顔を輝かせた乗務員に連れられ、女性はコクピットへと歩いていった。
それから1分もしないうちに、女性の悲鳴が上がる。
「いやああああああああああ!」
悲鳴はすぐに収まり、しんと静まり返った中(後ろからは相変わらずサバイバルな音がしてくるが)女性が泣きながら戻って来る。その手はピンクに染まっているが右手だけはいまだに何かを揉みしだく動きを続けている。
ああ、触っちゃったんだ……
全員が思った。何を、とは言わない。泣いているのが証拠だ。そもそもこの女性は自分のおかしな趣味を晒された挙句触りたくないモノまで触って絶望の淵にいるのだ。何だこの仕打ち。女性は泣きながら「だって金太郎がカワイイのが悪いよぉ」と意味のわからない事を言っている。
「いや、そもそもどうなってんだコックピットと機長」
つぶやいてはみたが絶対に行きたくない。そもそも爆弾はどうした爆弾は。そう思っているとまた乗務員がバタバタと走ってきた。いい加減頭にきて立ち上がって怒鳴る。
「今度は何だよ!」
「あああああ、大変なんです! ちょっとラリって気持ちよくなっちゃった機長が副機長にケツバットをし始めて」
「何でバットがあるんだ操縦席に!」
「ケツバットの気持ちよさに目覚めちゃった副機長が疲れてやめちゃった機長の脳天に踵落としをして機長気絶です!」
「ああああああああ!!! クソがああああああああ!!」
「いえ、操縦自体は自動なので今すぐ墜落はしませんが」
「あ、なんだ」
「副機長がストレスと痛みと快楽を引き金に持病が悪化しまして真っ青になって泡吹いて呼吸が止まりそうです!」
「ほっとけよ!」
「いえ、操縦は自動ですけど着地はパイロットいないと無理なんで!」
「っだあああああああああああああ!! めんどくせえええええええええええええ!」
「というわけで、お客様の中に」
「今度はなんだ! ケツバットが上手い奴か! 踵落としにも屈しない脳天持ってる奴か! 昇天した馬鹿二人をあの世に送れる坊主か、神父か、牧師か、それともパイロットを肉体におろして着陸してくれる霊能者か! サイコキネシスで飛行機着陸に導けるエスパーか!」
「いえ、あの、機長と副機長の具合を見てくださるお医者様はいらっしゃいませんか……」
ヒートアップした言葉に完全にびびったらしい乗務員が消え入りそうな声でぼそぼそと呟く。
その瞬間彼は今にも泣きそうな声で思い切り叫んだ。
「俺だよ畜生!!!!!!!!」
こうして乗り合わせた彼のおかげで馬鹿一号(機長)と馬鹿二号(副機長)は無事回復し、爆弾は爆発する事もなく無事着陸。謎の生物は高校生二人になます切りにされて無事殲滅、ピンクの粘液やらシンナー臭やらよくわからないものは特に影響もなく飛行機は無事目的地である空港に着陸した。
ただしギャイギャイ騒いだので6時間どころか11時間もかかり、到着した頃にはふらふらで何もしたくなくなっていた。
観光など無論行ける精神状態ではなく、結局ダラダラと過ごして日本に戻り病院に出勤した彼はこの話を同僚で友人の内科医にした。もちろん友人はゲラゲラ笑っていたが、本人にしてみれば笑い事ではない。ストレスが溜まるだけの休暇だったのだ。それでも話してすっきりしたらしく持ち場に戻る彼を見送りながら友人は思う。
最初の異常があったのが飛び立って数分後なら、その場ですぐに羽田に戻れって言えばよかったのに……
口に出したら暴れそうなので、絶対言わないが。
END