可憐なあの子
「はあ?」
当然の反応だよな。正直、葵が訝しげな表情でこの言葉を発するのは想像に難くなかった。
しかし、その表情に隠れて、想定がいすぎる程度に、多分俺でなきゃ見逃してしまうような具合で目を輝かせていた。
「いつメンってあれよね?仲の良い人達が集まって、毎日のように何処かに遊びに行ったりゲームしたり、時には勉強会を開いたりして爽やかな学園生活を送るために組織よね?」
言葉とプルプルと震えた声を聞かなければ、呆れているような雰囲気が出てるのになあ。こいつ、もしかして自分の感情が表に出てしまうタイプか?世に言う『犬系女子』ってやつなのか?
いやいや、気後れするところだった。
「組織言うな。でもまあその通り。華やかな大学生活を送りたいと考えた結果、いつメンさえ結成すればいいことに気づいたのだ!」
息を吐きすぎて酸欠になりそうだったので一呼吸置く。
「だって考えてみろ?俺たちが憧れる漫画やアニメ、あるいはドラマで充実した学生ライフを送っている奴らは大体同じようなメンツとしか絡んでいないだろ?その原理を現実で応用すれば、誰でもリア充になれるって寸法よ!」
勢いよく言い放ったが、まさか息切れしている自分がその後に存在するなんて思いもしなかった。
「な、何興奮してんのよ?普通に引いちゃったわ?」
少しばかり軽蔑するような表情で見られた。流石の俺でも傷つきかけたがなんとか耐えた。
「……でもいいわね、この案」
葵はそっぽを向いてボソッと呟いた。
「ってことは加入してくれるってことか!?最高じゃねえk――」
「でも条件があるの、雪也」
俺の早とちりを遮って葵が冷静な声色で言う。
「条件って、何だ?」
葵のことだからどうせ無理難題な条件を提示するに違いない。
「条件は一つ、私以外にメンバーを連れてきて頂戴。これを見事達成した暁にはその……いつメン?に入って欲しいっていう要求にも応じてあげるわ」
「要求に応じてくれるってことはあんなことやこんなこともぅ!」
相当な威力のローキックが俺の臑を完全に捉えた。
「そろそろ怒るよ?発言の一部分だけ切り取るとか、タチの悪いニュース番組と同じだからね?」
「すみませんでした……」
やば、泣きそう。
「まあ、分かった。お前以外に二人連れてきたらいいんだな?すぐに集めてきてやらぁ!」
あ、そういえば俺、大学に友達いたっけ……?
◆◆◆
いつメン候補かあ。誰かいるかな。大学にはいないだろうなあ。講義室を見回してみてもピンとくる奴はいなかったし、まず初対面の人に話しかける勇気ないし。
「ちょいちょい」
この肩をつつかれるような感覚。これは間違いない。いつものアレか。
「どうした茜、今日の『葵日報』か?」
背後を振り返ると、さらさら黒髪ショートカットの美人が立っていた。
「今日も何か新しいスクープでも手に入ったのか?」
「それがね、特に何もなかったの……」
耐性のある俺だから大丈夫だったけれど、今の困り顔を常人に見せてしまっていたら完全に魅了されていただろう。危ねえ危ねえ。
「はは、伝える内容が皆無でも俺の元に来るんだな。葵と違って健気で可愛いな、茜は」
「そんな可愛いだなんて……」
あっぶねえ落ちかけた。いや、落ちるというより昇天しかけた。赤面しながら上目遣いとかいうスペシャルコンボを決めてきやがった。
「……そういえば、茜は最近調子どうなんだ?葵のことしか報告してくれないけど」
大学以前ならともか、最近の茜については全くもって無知だ。
「まあ普通かなぁ。変わり映えのない毎日をただ只管に繰り返してるって感じで、一切変わったことなんてないよ」
「それはそれで心配だな……。俺が言えたことじゃないが」
反射的に自虐してしまった!?
「うん、雪也が言えたことじゃないね。」
この子、見た目可愛くて綺麗なのに言うこと辛辣すぎないかね?
「そうだ、昨日お姉ちゃんと会ったんだっけ?」
「おう。一人で散歩するのも寂しかったからな」
「それでその後そのままお姉ちゃんをお持ち帰りしたと?」
「その言い方は人聞き悪すぎないか!?外が寒かったし、特別な用事もあったから部屋に上げたんだよ」
怒濤の質問攻めを喰らわされている。心なしか、茜を黒いオーラが纏わり付いているように見えるんだが。
「なんで私を呼んでくれなかったの!?!?!?!?」
平生物静かな茜が絶叫した。恥ずかしがり屋な茜が学部棟内で絶叫した。
「……どうして誘ってくれなかったの?」
さっきの声の所為か声が小さく聞こえたが、おそらく普段のボリュームでそう問われた。
「だってお前、朝弱いじゃん。早朝とか絶対起きれないじゃん」
「ハッ……!」
「朝弱いから起きていないだろうなと思って、朝早起きな葵を呼んだんだよ」
茜はそれから悄然とした様子で次の講義室へトボトボと歩いて行った。茜が去ってすぐに彼女をいつメンに招待するのを忘れていたことを密かに後悔した。
◆◆◆
「よーし今日最後の講義終了っと」
リュックにしまっていたスマホを取り出し、画面を開く。
「あれ、着信。誰からだろう」
大学に入学してからというもの、ほぼ誰とも通話したこと無いんだが。もっと言うと中高でも友達との通話は殆どしなかったし、したとしても業務連絡がせいぜいだ。しかも、こんなゲリラで着信が入ってくることなんて皆無に等しかった。
まあ俺の悲しい過去はどうでもいいや。誰からの着信だろうか。恐らくはフランス語のクラスの奴の誰かからの業務連絡かな、なんて。
「て、えぇ!?奈良沢!?」
一応中学生頃に連絡先の交換はしたが、恐らくあちらの方から着信が来たのは初めてだ。
しかもよりによって奈良沢かよ。
いつもならその日の最終講義を終えると帰宅タイムアタックをするのが習慣だが、今日は最寄り駅よりも先にキャンパス内の広場へ向かった。ここはパリピ勢が屯しながちな場所で、それ故に毛嫌いしていたのだが、今日は珍しく人が少なかった。あそこのベンチ(いつも空いていない)も空いてるし。場所とっとこ。
奈良沢から電話なんて滅多にないどころの話じゃない。内心少し焦ってるし、緊張もしてる。この緊張は、会話する機会が減って種々の理由で話すことが無くなった友人と久しぶりに言葉を交わすときに変に緊張してしまうアレだ。
「ふう」
が、俺がこうも動揺してしまうのには、実は他の理由があるからだ。というか、それが一番の原因であると言えなくもない……。
……それはそうと早く電話をかけるか。
「ユキチは男らしくないなあ。そんなだから好きな女の子を捕まえられないんだよ」
横顔に生温かい風が当たる。聞き覚えのある声がした。耳に心地のよい声だ。だがそれと同時に、ここでは聞くことのできるはずのない声でもあった。
「て、えぇ!?奈良沢!?」
「アハハ、それさっきも聞いた」
彼女は苦笑いを浮かべて答えた。
奈良沢ひな。雰囲気がホワホワしている癒やし系女子だ。俺と同じ小中学校に通い、剣道部に所属していたことも共通していた。剣道女子といったら堅実なイメージがあると思うが、奈良沢の場合はその一般的な固定観念が当てはまらない。特にマイペースな正確には、三年間驚かされ続けたほどだ。授業中には枕を持ってきてガチ居眠りを遂行したし、部活ではいち早く武道場に着くなりそこにある体操マットでベッドを作って寝るしで、つい心配になってしまうほどだった。高校に入学した途端、ゲームとアニメにドはまりして、学校にいる以外の時間はそれに耽溺していたらしい。今は引きこもりゲーマーしてるんじゃなかったっけ?
「奈良沢がなぜここに?自宅警備員してたんじゃなかったのか?」
奈良沢は一瞬瞠目し、間髪入れずにいつもの眠そうな表情に戻った。
「なぜって、ボクもこの由緒正しき衣笠大学の一学生だからだよ。一般入試は落ちて、センター利用での入試だけどね!因みにユキチと同じ社会学部だよ~。てか、自宅警備員してるって誰情報なの……」
「マジかよ。全然気づかなかった。まだ事態を完全には飲み込めないくらいには動揺してるし」
奈良沢は口角を上げた。
「だろうね~。何せ、依然好きだった子がまさかの自分と同じ大学に通っているという事実を知って、尚且つ今自分の前に姿を現しているんだからねぇ」
「それをお前が言っちゃうのか!?気まずくてそんなこと言えるはずないよ普通!?FPSのし過ぎで脳細胞溶けちゃったんじゃないの!?」
「失礼だなあ。ゲームは高校は行ってすぐの頃に興味を持ち始めたけど、あっという間に冷めちゃったよ。一ヶ月もやってなかったんじゃないかな」
あれ、茜から得ていた情報との齟齬があるぞ?アイツ、ひょっとして情報の更新忘れしてるな。……おっと、知らないうちに無料の情報屋みたいな扱いにしてた。慣れって怖い。
「でも比較的家が近いのに高校時代全然会わなかったと思うけど……」
「あー、もしかしてユキチ、僕が引きこもりゲーマーしてると思ってたの?心外だなあ」
その呆れ顔やめて!自分で調査して掴む、という正当なプロセスを踏まなかった情報を信じた俺も俺だけど!
◆◆◆
駅に着くまでにすっかり話し込んでしまったな。てか本題に入るの忘れてた。動揺しすぎか俺。
「で、何の用があって俺に電話なんか寄越したんだ?」
奈良沢は「漸く聞いてくれたか」と言わんばかりの表情をこちらへ向けた。
「今日さ、ユキチが最近企んでいることを茜ちゃんから聞いたよ」
「企んでるって言うなよ人聞きの悪い!」
彼女は楽しそうに笑う。そして提案する。
「ボク、『いつメン』ってやつに参加したいかも」
茜、おまえは本当にすげえな……。今度ご飯にでも連れて行ってあげよう。