冬と曙
叶わない恋は少なからず存在する。それに対して、本人の努力が足りなかったからだ、という反論が発されることは必死だろう。しかし、その一言が叶わぬ恋の意図しない実現の理由を全て言い当てている訳ではない。
運命によって成就するかどうか定められた恋愛もあるということを俺は確信している。
例えば、容姿。身だしなみは自らの努力の範疇だが、顔の整い具合は個人の努力の範囲から逸脱していることは明確だ。それ故に、顔は生まれ持った天命であり、宿命だ。
この世界に蔓延る恋愛なんてものは決して自由な恋愛機会の中から生まれたものではなく、基礎ステータスの格差が大きく影響して成り立っているということを多くの人が知らないのは嘆かわしい。
「あーあもう寝よう。今すぐ寝よう」
くだらないことを考えていると、知らぬうちに一時間経過していた。一般的な意見として、こんなことの為に一日の24分の1も使ってしまってるっておかしくないか?
勉強しろよ俺!
◆◆◆
無音から始まる朝。どうでもいいかもしれないが、俺、幸田雪也は目覚まし時計を使わずとも自分で起きることができるタチだ。
それでもって今は冬。田舎町の早朝というのは静かなものだ。
はあ、心地いい……
午前五時半。値に降り積もった雪が煌めき始める頃合いか。
「少し散歩でもしてくるか」
せっかくの大学がない木曜日だ。全休だ。全能神ゼウス様には感謝しておかないとな。
歩き始めて十分経った。
一人での散歩も飽きてきたし、誰か誘うか。
うーんこの近くなら誰がいるかな……。なかむら、は中学生の頃クラス掲示板にあいつの出来損ないのテストを貼ってから疎遠になってたっけ。じゃあ奈良沢、は絶賛引きこもりゲーマーしてたんだった。あ、あいつは?ナタリアン・一・スヴェロフスク、は故郷の韓国に帰るって言ってたっけ。名前的に東奥の何処かが生まれ故郷だとばかり思っていたから、お別れ会の時に行き先を知らされたときのみんなの顔には「想定外」の三文字が刻まれていたっけな。
仕方なし。あいつを呼ぶか。
インターフォンなんて押したの、そういえば中学生以来初めてかもしれないな。SNSが発達しすぎて最近は全く使わない。……そんなことは置いておいて、あの頃のように呼んでみますか。
「葵ちゃーん!あーそーブフォ!?」
鋭い。この言葉が咄嗟に頭の中に浮かんだ。手裏剣を彷彿とさせるような何かが俺の、というか人間の急所を的確に捉えた。
「アンタ恥ずかしいと思わないの!?」
「幼なじみの家を訪ねることが恥ずかしいことなもんか!てかなんでスリッパを猛烈な勢いで俺の眉間にスナイプした!?」
「まあいいわ、何か用?」
「スリッパの件は通り過ぎる風のごとく無視されたとさ……。まあいいや、散歩しに行こうぜ」
「何なのその『男子同士でラーメン行こうぜ』感のある唐突な散歩行こうぜは」
西島葵。彼女は容姿端麗、癖毛上等、自暴自棄(時々)の三要素で構成されている、俺の幼なじみだ。小中高そして大学と、十六年間も行く道を共にしてきた、所謂腐れ縁ってやつだ。少し茶色がかった癖毛ショートカットとトマトの髪飾りが特徴的だ。というか、トマトの髪飾りをしてる奴なんかこいつしか居ないんじゃないかなと内心思ってるから、街でそれを見かけたら十中八九、葵だと考えていい(偏見)。
「それはそうと、どうして私を選ぶのよ」
「この辺りに住んでいて仲のいい奴ってお前くらいしかいないからな」
田舎かつ特殊な人たちが多い所為で、もう気軽に遊べるやつがほぼ皆無に近くなっていた。
「はあ……アンタのそのマイペースさにはいつまで経ってもついて行けないわ」
玄関を出ると、止んでいた雪がまた降り始めていた。
「そういやお前、同じクラスの奴らにモテモテなんだって?茜から聞いたぞ」
西島茜は青井の双子の妹で、同じ大学に通っている。クラスも葵と同じで、どうしてか俺に姉の近況を報告してくるのが最近の日課だ。あ、双子と言っても二卵性の双子だから瓜二つといえるくらいに似ている訳ではない。
「な、なな何よ突然!つーかアイツ、また雪也に余計なこと吹き込んじゃって……。帰ったらお仕置きしてあげないといけないわねぇ」
僅かな憤怒を感じたが、まあこれは放っておいて問題はない。いつものことだ。
「まあ最近男子の方から話しかけられることが多いのは確かね。でもそれがその、モテている、と呼んでいいのかは判断しがたいけれど……。なんでそんなこと聞いてくるの?」
「どれだけの男を食い散らかしているのか気になってさ」
「ちょっと!人聞きの悪いこといわないでよ!私は男を食い散らかすどころか食ったことすらないっての!てか今通行人に見られちゃったよ!?ご近所さんじゃなかったら名誉毀損で訴えるところだったわ、気をつけなさいよね!」
いきなり捲し立てる癖は未だ健在らしく、少し安心した。ボロが出ているのは気にしないでおこうか。
「アンタは彼女候補とかいるの?」
前方の、雪で埋もれた畑を向きながら訊かれる。
「生憎、拙者は女人禁制の仏教宗派に己が身を捧げることを決心いたしたのでそのような対象に入る者はおらぬよ」
「ふふ、なーんだ。アンタもいないんじゃない」
得意げな顔で俺の表情を覗き込んでくる。お前だってそんな顔できないはずだろうに。棚上げスキル(自己)EXでも持ち合わせているのか?
冷たい風が肌を突き抜ける。
「ああ、寒っ。なんでアンタこんな寒い日に私を呼ぶのよ!」
「ん、葵なら来てくれると思ったからだけど」
「手のひらの上で転がされているような心地がして腹立つ……」
何の脈絡もないけど、個人的に滅茶苦茶楽しそうな企画を思いついてしまったぞ。
葵と話していて時間を忘れていたけど、歩き始めて一時間くらいは経ったかな。
「俺ん家でも来るか?」
「まあ、偶にはいいかもね。久しぶりだし」
◆◆◆
俺の部屋に着くなり葵は何かを探し始めた。ベッドの下や押し入れに収納されている布団の間を入念にチェックしている。
「何やってんの?」
「何って、男の子の部屋に来たらすることと言えばエロ本探しっしょ。男子なら薄い本の一冊や二冊持ってるっしょ?」
にひひ、葵はいたずらな笑顔をこちらに向けた。こいつ、さてはアニメの見過ぎだな。大体こういう場合無いんだけどな。
「あ、あった」
あ、見つかった。
「うーんと何々?幼なじみとあれやこれやしてイチャラブ……この変態!ばか!あほ!」
「誤解だ!俺はその本の中のヒロインが幼なじみであるというステータスに目と心を奪われて買ったわけじゃない!確かに内容は俺の見込んだとおり最高の代物だったけど、幼なじみという言葉に惹かれた訳じゃないんだ!」
「絶対嘘じゃん!だってほらこのページ、幼なじみのヒロインが主人公の家に呼ばれて押し倒されてるシーンあるじゃん!」
「そ、それは……」
空間を裂くような間が空いた。
「まあいいわ。アンタ、ヘタレだし。こんなことできるだけの度胸もないでしょ」
「人に言われるとなんか腹立つなあ」
葵は俺の宝とでも言うべき本を丁寧に元あった場所に戻し、寒そうに小刻みに震えて炬燵に駆け込んだ。猫みたいだな。猫飼ったことないけど。
「アンタ私を部屋にあげたってことは、何か伝えたいことでもあったんじゃないの?」
「ご名答、さすが葵ちゃん」
「ちゃん付けすな。で、要件は何だったの?」
「えーとね」
一旦葵に背を向けて三回ほど深呼吸をし、両頬を二回ずつはたいて返答に踏み切った。
「俺と一緒にいつメンを作らないか?」