第4話:菓子
私の持つバスケットからは焼き立てのクッキーの香りが、かけられた布ごしに辺りに漂う。
匂いに釣られてか、それとも私の姿にか。すれ違う魔族の皆さんが、何故か二度見する。
その中を、私はトボトボとした足取りで歩いて行く。
私の思い浮かんだ作戦は至極単純だ。
――毒殺、である。
武器も駄目、魔法も駄目。使える攻撃手段は無く、けれども魔王に近い存在として接触を警戒されないこの立場。
これはもう、差し入れと称して毒を盛るしかない、と閃いたので早速食堂の料理人さんに頼みこんで、厨房を借りた。
だが、思いがけない罠が立ちはだかった。
私の体調を気にして、食事のメニューを考えてくれるような料理人さん。そんな相手に、魔王様にお菓子の差し入れをしたいと相談したのだ。
さて、どうなったでしょう。
答えは、ものすっごく親切な事に、作るのを手伝ってくれた、でした。
いや、私の考えが足りなかった。というか、どうやらこの身体の持ち主であるベールは、全くといっていい程に料理とは無縁だったようだ。
料理人さんに言われるまま、せっせと材料を混ぜてこねる私を、それはもう可哀想な程にハラハラとした表情で見守り、失敗しやしないかと、私の一挙手一投足を見守ってくれる。毒を入れる隙が無い。
というか、まず第一に毒の用意を忘れた。
私、馬鹿だなって、クッキーの型抜きをしながらしみじみと思った。
思い立ったが吉日で飛び出し過ぎた。
前に、騎士の男と戦闘の立ち回りについて、ああだこうだと意見を交わしていた時の事だ。
私は魔法の射線に飛び込んでくる騎士が邪魔で、騎士は私の魔法が攻撃のタイミングを阻害するから邪魔だと、お互いに罵りあっていた。
そこに勇者パーティーの一人、僧侶が呆れた様な表情で言った事がある。
『貴方達は控えめに言って、剣が使える馬鹿と魔法が使える馬鹿ですね』
これにはもう、普段は見せない連携で騎士の男と二人で全力の抗議をした。そんな抗議に、本当の事だろうといけしゃあしゃあと言ってのける僧侶。それを勇者が間に入って宥めるのが、いつものパターンだった。
そんな懐かしくも楽しくない思い出に浸っている間に、料理人さん指導の下に完成したクッキーは、既製品かと思う程に均等な厚みと綺麗な焼き色がつき、辺りには甘い匂いが漂う。
鉄板の上に放置して水分を飛ばす間、一枚だけ味見として食べてみたが、サクッほろっとした食感ですごく美味しい。料理だけではなくお菓子作りもできる料理人さんが、クビにならなくて本当に良かった。
バスケットにクッキーを詰めて、お礼を言って厨房を後にしたのはいいが、ただの普通に美味しいクッキーを持って行くのは、何とも気が重い。
魔王は、正直そう会いたいものじゃない。あの、重苦しい程に濃密な魔力は、かなりキツイ。
「マルコにあげちゃおうかなぁ……」
しかし、せっかく料理人さんに手伝ってもらったのに……と、悶々としている間に、足はしっかりと魔王が居るという執務室の前に辿り着いた。前回は謁見の間という部屋だったが、今の時間なら執務室にいるだろうと、料理人さんが教えてくれた。
まぁ、今回は色々暴走して失敗したけれど、次に作戦実行する時の踏み台と思えば良い。次回は二度目だから大丈夫と料理人さんに告げてさり気無く退出してもらえばいいし、毒も用意しておかなければいけないし、魔王がどんな反応するのかを確認すると思えば。
よし、と心の中で気合を入れて、扉横に控えている警備の魔族に取り次いでもらう。間も無く許可が下りて、室内に入る。
目を見張った。
床一面に何らかの書類が散らばり、それほど大きくはない部屋には巨大な机が置かれ、その上にもたくさんの紙束が積まれ、その山の奥に魔王の角らしきものがチラリと見える。
「魔王、様……?」
「ベール、すまない。キリの良い所まで片付けるから、そこのイスに座って待っててもらえるか? 乗っている紙束は退かして構わない」
そこ、がどこを指しているのかは見えないが、部屋の片隅に赤いスツールが、これまた大量の紙束を乗せて置いてあるのを見つけた。
退かしていいと言われたので、紙を地面の上に置く。ちらりと見えた書面の内容は、税収がどうのこうのという文章と数字が羅列されている。
考えてみれば、魔族にも国があって、そこに生活している魔族が居るというのは人間と変わらない。なのに、魔王の部屋で税収の収支報告書を見つけるという事を、全く考えた事も無かった。
数日前の、ザ・魔王の部屋といわんばかりのあの謁見の間に終始居るのだろうと思っていたが、こんな事もしていたのか。
何とはなしに、退かした税収の報告書を見つめる。書いてある内容を理解するにつれ、自分の眉が吊り上がっていくのが意識できた。
「ベール、待たせて悪かっ――」
「魔王様!」
椅子から立ち上がり、やっと書類の山から顔を出した魔王に、私は退かした紙束の一番上の紙をひっつかんで、その眼前に差し出す。
「この書類、酷いです! 計算も滅茶苦茶だし、税金なのに私用で使ってると思われる記述まであります! 税金の使途に制限は無いのですか!」
「えっ……あ、あります……」
「しかも全体的に記述がざっくりし過ぎていて、何に使っているのかが意味不明です。一体こんないい加減な書類誰が作っ……て……」
書類の最後に、サインが書いてあった。
イザベラ・ベール。
私じゃないか。
部屋の中を沈黙が覆う。
私はそっと、突きつけていた書類を山の上に戻し、代わりにクッキーの入ったバスケットを差し出した。
「休憩に、しませんか……?」
「そ、そうだな……」
気圧された様子で、魔王が頷く。
この書類を作成したのは私ではないのに、穴があったら入りたい気分だ。
書類の山がいくつも出来上がっている執務室で食べるのも、という事で隣にある魔王の私室で食べる事になった。
こちらは執務室と違って、最低限の家具だけが置かれ、どこも綺麗に整理されている。
テーブルの上にクッキーの入ったバスケットを置き、被せていた布を取り払うと、ふわりと甘い香りが辺りを漂う。
「ベールが作ってくれたのか?」
「料理人さんに手伝ってもらったので、不味い事は無いと思うのですが……」
そういえば、魔王は甘いものは大丈夫だろうか。
勇者は甘いものが好きだったが、騎士は嫌いだった。僧侶は好んでは食べなかった。
好みも知らないとは、かなり杜撰な計画を立ててしまった。あの酷い報告書を作成したベールと、私はそれほど頭の出来に差は無いのだろう。
落ち込む私に気付かずに、魔王はバスケットからクッキーを摘まむと、躊躇う事も無く口に含んだ。
「サクサクしてて、美味しい」
「本当ですか? 良かった……」
二枚目以降も、パクパクと食べてくれる様子に、ほっと安堵する。それから飲み物の一つも用意して居ない事に気づいて、慌てて椅子から立ち上がった。
「申し訳ございません、何か飲み物を持ってきます」
「あぁ、それなら私の部屋に用意があるから、大丈夫だ」
魔王が椅子から立ち上がり、棚の方へと歩いて行く。
棚の中からカップとポットと茶葉缶を取り出し、慣れた手つきでお茶の用意をしている。これは部下である私の役目だろうと手伝おうとするが、これくらいは任せてくれと断られた。
魔王は魔法でお湯を用意すると、更に魔法でポットとカップを浮かせて運んでくる。平然とやっているが、かなり繊細な技術力が求められる技だ。私なら勢いよく吹っ飛ばして部屋にお茶をぶちまける。
見えない人間でも居るのかという程に、自然な動きで勝手にポットからお茶が注がれる。
「熱いかもしれないから、気を付けて」
魔王はそう言って、私にカップを渡してくれた。
琥珀色の液体から、絶えず立ち上る白い湯気を見ながら、そっとカップを口に含む。
「――っ」
「あぁ、ほら」
不出来な妹を見るような優しさで、魔王が私の顎を指で掬い上げる。それから、反対の手で唇をなぞる。ミントのような爽やかさが口内に広がると、ヒリヒリとした舌の痛みが消えていく。
それから私の手にあるカップの上に、手を翳す。立ち上る湯気が、僅かに穏やかになる。
ふーふーと冷ましてから、再度口に含む。今度は、丁度良い温度だった。
クッキーが甘いからか、甘さが控えめでさっぱりとした紅茶だ。
「……美味しい」
「よかった」
穏やかに微笑む魔王の顔を見て、私はクッキーに視線を移す。
そして、自分の浅慮に気づいた。
考えてみれば、魔王に有効な攻撃を与えられるのは、この世にたった一つだけ存在すると言われている聖剣だけだ。だからこそ、その聖剣に選ばれた持ち主は勇者と呼ばれ、祭り上げられる。
そんな勇者と共に旅をした私達は、あくまで勇者が魔王との対決を無事に迎えられるよう、送り届ける為の護衛でしかなかったのだ。
聖剣のみでしか攻撃できないというそんな相手に、毒が効くのか?
僧侶は、魔法によって毒を治す。なら、莫大な魔力を持つ魔王だって、毒ぐらい治してしまうのではないか。現に、火傷は一瞬にして治された。毒と火傷は違うけれども、魔王が魔力による治療手段を持っているのは間違いない。
第一、大怪我を負ったイザベラ・ベールを、治療した人物が居る。どれ程の怪我だったのかは分からないが、魔王にすら攻撃できる聖剣で負った怪我だ。
そして最初に魔王に会った時、彼は「酷い怪我だった」と言った。
「魔王様」
「どうした?」
「私の怪我を治してくださったのは、魔王様なのですか?」
魔王は私の質問に、きょとんとした表情を浮かべて、それから何やら得心したのか一つ頷く。
「そうか、記憶が無いのだったな。そうだ、そなたの治療は私が行った。……だが、どうやら特殊な傷だったようで、完治させる事はできなかった」
魔王が、表情を曇らせる。
おそらく、魔王はベールが聖剣で攻撃された事に気付いているのだろう。それはつまり、魔王は勇者が誕生した事を知っているという事だ。
「まだ、痛むのか?」
私の表情が曇っていたのだろうか。魔王が、心配そうな表情で私の顔を覗き込む。フルフルと首を横に振って否定した。
ただ、私如きに、魔王を倒すなんて無謀も無謀、阿呆な考えだったと気づいてしまっただけだから。
なら、私にできる事は、何もないのか。
狙っていた魔王がすぐ目の前、手の届く所に居るのに。
それとも私に、今まで散々敵として打倒を目指していた魔王を、守れというのか。
魔族として、人間の敵になれと、いうのか。