第八話
《二月 二十三日 土曜日 午前九時半》
俺の婆ちゃんが経営する喫茶店へとやってきた俺達。爺ちゃんも銭湯を経営しているし……あの老夫婦は本当に元気だな。というか何で喫茶店と銭湯に別れてるんだろ。二人で一緒にどちらかの経営に絞ればいいのに。
「婆ちゃーん。朝飯おくれー」
「んー?」
カウンターから奥の部屋へと声をかける俺。すると見た目小学生くらいの婆ちゃんが顔を出してくる。
「あらあら、大地ちゃん。いらっしゃいー」
「おう、飯食わせてくれ。俺とこの子の分」
「はいはい、ちょっと待っててねー。今日はいい天気だし……テラスで食べたらー?」
「うむぅ、そうする」
そのまま花音と一緒にテラスへと。当たり前だが貸し切り状態だ。よし、海が一番見える席へ行こう。今日も水平線が良く見えるぜ。
「あの……大地さん」
「ん? もう敬称も要らないぞ。呼び捨てで気楽に行こうぜ」
「ぁ、ハイ……いや、そうじゃなくてですね……あの子誰ですか? 大地……の姪っ子?」
「姪っ子なんて居ないぞ。っていうか兄弟も居ないし……」
「そうなんですね……そういえば御婆様の姿も見えませんけど……ここの喫茶店、御婆様が経営していらっしゃるんですよね?」
うむぅ、その通り……って、あぁ、成程……ここは少し遊ばせて貰おうか……。
「まあ、その内ひょっこり来るだろ。婆ちゃんはのんびり屋さんだから……」
そしてひょっこり、婆ちゃんがテラスに現れた! その小さな体で、ボリューミーなモーニングセットを二つ、運んできてくれる。
「はーい、お待たせー。コーヒーちょっと待ってね。今テレシアちゃんが淹れてくれてるから」
「おう、ありがと、婆ちゃん」
その時、俺の婆ちゃんを二度見する花音。おおぅ、顔がおもしろい事になってるぞ。
「え、あの……御婆様……?」
「はーい、御婆様ですよー。というか大地ちゃん、この可愛い子どうしたのー。彼女?」
「あぁ、嫁候補だ。婆ちゃん」
花音は婆ちゃんを凝視。そんな花音を俺は置いてきぼりにしつつ、サラダにがっつく。むむ、特性ドレッシング……美味なり。
「あ、あの、あのあのっ! この子、小学生……? え? でも、御婆様?」
「フフゥ、落ち着くんだ、花音。目の前の小学生は俺の婆ちゃん……父親のお母様だ」
あぁ、花音混乱してるな。婆ちゃんの見た目は何処からどう見ても小学生だ。俺は幼い頃から婆ちゃんを婆ちゃんと認識している為、違和感など一切ないが。
「婆ちゃん、自己紹介を頼む」
「はいはい、香野 たつえですぅー。今年で八十八歳ですー。たっちゃんって呼んでね」
一瞬、フリーズする花音。凄まじく無表情だ。きっと頭の処理が追い付いていないに違いない。
「たっちゃん……?」
「はいー、お嬢ちゃんのお名前は?」
「庄野 花音と申します……」
「あらあら、可愛い名前ねー。大地ちゃんの名前は私がつけたんだけど……結構相性良さそうねー? 大地に花なんて……」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいや! ちょ、ちょっと待って! 待ってください!」
むむ、花音が盛大に拒否った。相性良って言われて拒否るなんて……ちょっとワシ寂しい。
「どうした花音、俺との相性が気に入らんのかえ?」
「そっちじゃないです! ど、どう見ても御婆様……小学生にしか見えないんですけど! 若すぎるでしょ! っていうかドッキリか何かですか?!」
「あらー、ありがとーっ」
若すぎると言われて婆ちゃんはご満悦だ!
しかし花音は混乱するばかり。婆ちゃんを紹介すると大抵、人はこんな反応を示す。
「花音や。まずは落ち着くんだ。目の前にいる……このお人は紛れもなく我が祖母なり。決してドッキリではない。婆ちゃん、証拠を」
「はいはい、これ見れば分かってもらえるかしらー」
婆ちゃんが提示したのは運転免許証。生年月日が昭和五年。西暦で言うと1930年だ。今は2019年だから、婆ちゃんの年齢は八十九歳と言う事になる。あれ? さっき婆ちゃん……八十八って言ってたよな。サバ読んだな?
「た、たしかに……御婆様……写真も可愛らしい……」
「婆ちゃんは激動の時代を生きた人だぞ。第二次世界大戦があって……子供の頃、満州で地雷原歩かされたんだっけ?」
「やーねー、船よ、船。満州に送られる時の航路に機雷が沢山仕掛けられたのよ。もういつ爆発するか分からなくって……」
その話は何度も聞いたが、その度に戦慄する。死の恐怖と言うのは簡単だが、婆ちゃんが味わったのは正しく死の恐怖だ。映画の世界ではよくある事だ。でも婆ちゃんが体験したのは正しく現実世界の出来事なのだ。
「死の……恐怖……」
「ん? 花音……なんか顔色悪いぞ」
「え? ううん、なんでもないッス……」
まあ、この話聞いて顔色良くする奴は居ないわな。爺ちゃんとはゲラゲラ笑いながら話してたけども……。
それから俺達は婆ちゃんお手製のモーニングを食べ、テレシアちゃんが煎れてくれたコーヒーを食後の一杯に。ちなみにテレシアちゃんはノルウェーの可愛い女の子だったりする。柴犬をこよなく愛する女子なのだが、何故か婆ちゃんに懐きまくっており、婆ちゃんもいつの間にか雇っていた、と首を傾げる程に……いつのまにかそこに居た子だ。
※
婆ちゃんの喫茶店から帰宅する俺達。家には宗次郎も居る。出来るだけ早く帰ってやりたいと、若干足早に歩を進める。現在時刻は午前十一時前。朝飯を食った直後だが、もうすぐ昼飯の時間だ。ボリューミーなモーニングセットでそんな食欲は無いが。
「あの、大地……さん」
まだ呼び捨てにするのが慣れてないのか、躊躇いがちに「さん」と着ける花音。まあ、気持ちは物凄く分かる。俺も花音の名前呼ぶとき、ぶっちゃけ凄い緊張しているもの。
「どうした?」
「いえ……堺さんの事ですけど……すみませんでした……」
「あぁ……まあ、花音は別に悪くないぞ。割合で言うと八割くらいだ」
「それほぼほぼ悪いですよね?! す、すみません!」
いや、今のは冗談なんだが。確かに堺の言っている事も分かる。俺も立場が逆だったら、何でやねん! と思うだろう。でも最終的に選んだのは俺だ。堺の言い分よりも、俺は花音に言われた事が衝撃的すぎて……嬉しかったから。
「まあ、花音が気にする必要ないぞ。俺が勝手に選んだんだから」
「……選んだ……?」
「俺だってそこまで鈍感じゃない。堺が……俺の事を好いてくれてる事くらい分かってた。でもアイツは……俺にとって友達なんだ。それ以上には……見れない」
堺とは格闘技の話題で仲良くなったんだっけ……。高校に入学してすぐに仲良くなって……。俺が猫飼ってるって言ったら、興奮気味に家に遊びに来て……。
堺とは一緒に楽しい思い出を沢山作った。でも恋愛とは違う。あいつと俺は友達なんだ。俺は一度も、堺の事をそういう風には見れなかった。
「俺がそんなんなのに、堺を選べる筈ないし……。アイツもプライド高いからさ。好きでもないのに恋人みたいな事してても……絶対いつか傷付ける」
俺も嫌だ。自分の事を好きでもない奴が、仕方ないから付き合ってやるか、なんてのは。だったら好きにさせてやると燃えるのはいいが、俺は堺の事を……どれだけ付き合おうがそんな風には思えない。
「大地さん……それ十分に堺さんの事想ってますよ……。堺さん羨ましいなぁ……そんな風に想ってくれる人が居て……」
「そう言ってくれると助かる……実際、上から目線で見下してるだけなんじゃないかって……」
「そんな事ありません! 大地は……堺さんの事、とても大切に想ってるじゃないですか……。そりゃ……人によっては何様なんだって思うかもしれませんけど、今まで堺さんと過ごしてきた大地がそう判断できるなら……それは凄く想ってるって事です……」
花音の言葉が俺の中に浸透していく。それと同時に、堺が怒りを露わにしてくれた事が、とてつもなくありがたく思えてくる。アイツはアイツで、俺の事を想ってくれてる。でもやっぱり違和感が拭えない。今朝の堺は違う。俺の知ってる堺に……今朝の堺は居ない。俺は何か見落としている。
「なあ、花音……今朝堺と……」
最初、何を話したんだ……と聞こうとした時、目の前にスーツ姿のお姉さんが。明らかにこちらを意識している。その視線は睨みつけるような、いや……確実に睨まれている。俺も、花音も。
一瞬誰だ、とも思うが、俺はすぐに気が付いた。目の前の女性は花音そっくりだ。正確に言えば花音が目の前の女性にそっくりなのだろう。つまり、このスーツ姿のお姉さんは……
「お姉ちゃん……?」
やっぱり……花音の姉か。綺麗にスーツを着こなす女性は、花音を大人にしたらこんな感じ……という雰囲気を纏っている。ポニーテールの髪型も、左手に光る腕時計も、ヒールも、眼鏡も……全部カチっとハマっている。つまり似合っている。似合いすぎている。似合いすぎて……どこか怖い。
お姉さんは淡々とこちらへと、ヒールの音を響かせながら近づいてくる。その歩みは、まるでテレビで見る俳優のようだ。その歩みも綺麗すぎて怖い。完璧だ。完璧な大人だ。この人に比べれば……自分達はまだ子供なんだと思ってしまう。
「お姉ちゃん……どうしてここに……」
花音の質問が俺の耳へと届いてくると同時、肌を討つ音が響いた。お姉さんが花音の頬を平手打ちしたのだ。その光景に……俺はただただ、呆気にとられるばかりだった。