第七話
《二月 二十三日 土曜日 午前八時》
歯を磨き終え、今俺は自分の家から追い出されるという仕打ちを受けていた。何故俺がこんな仕打ちを受けなければならないのか。言い出したのは堺だ。
『アンタ、ちょっと出てな』
そのまま堺は庄野さんを連れ、家の中に。ちなみに宗次郎もだ。つまり今俺……ひとりぼっち……なんて寂しいんだ。宗次郎すら居ないなんて……悲しくてラーメンでも食べに行きたくなってしまう。というか本当に行くか? どうせ何もすること無いんだし……。しかし現在時刻は朝の八時。こんな朝早くから、こんなド田舎でやっているラーメン屋など無い。電車に乗って街に行けばあるかもしれないが……。
ふと携帯の時計を確認しようとするが……あぁ、そうだった。俺の携帯……ぶち壊れたままだ。お父様にお願いして新しいのを購入しないと……。いや、でも修理でいけるか? 一度お店に持っていって診て貰えれば、もしかしたら治るかも……。
「フザけんなや! 何言っとるんや!」
その時、凄まじい堺の怒号が。なんだなんだ、一体何が起きてんだ。
俺は家の中へと入りリビングへ。するとそこには、頬を抑える庄野さんと、息を乱す堺が……。
「おい、堺……何して……」
「アンタ……本気なん? これ」
堺が俺に一枚の書類を見せつけてくる。それは花音さんが持ってきた婚姻届。
「いや、これは……」
「忘れたとは言わせんで。アンタ、この女のせいで死にかけとるんよ! このマヌケが、このクソ寒い季節の海なんかに落ちるから! それで何? 助けてもらったお礼に婚姻届? アホちゃうか?!」
「おい、堺……ちょっと口が過ぎますわよ」
「やかましい! 何をちょっとオネエになってるんや。オネエになれば全部丸く収まると思ったら大間違いや!」
ま、まあその通りだ。オネエになるだけでは何も変わらない。っていうか何の話だ。
「で、アンタどうすんの? まさかこの女とホンマに結婚でもする気か?」
「え? いや、その……」
どう答えればいいんだ。結婚する気など俺には更々無い……無いが……
「結婚なんて出来るわけないわなぁ。うちら、まだ高校生やで。卒業したってアンタも私も大学行くし。この女はどうするか知らんけど……まあどうでもいいわ。興味ないし」
「おい、堺……そんな言い方無いだろ。っていうか殴ったのか? 空手部元主将が一般人殴るとか……結構シャレにならん……」
「やかましいわ! アンタ……この女に何を、そそのかされてるんや。美味い飯でも作ってもらったんか? 昨日泊まって何してたんや。どうせ、変な事して誘惑されとったんやろ、アホンダラ」
いや、美味い飯は作ってもらったが変な事云々はマジで何も無い! 残念なくらいに昨日の夜は何も無かった! しかしそんな事を主張しても堺は納得なんてしないだろう。むしろ火に油だ。
「堺、一から説明するから聞いて……」
「全部聞いたわ! あんたの親父さん、本気か? ホンマにこの女、嫁にする気か? ちょっと美人やからって……男ってホンマ馬鹿ばっかりやわ」
「いや、堺だって可愛いぞ。胸は残念だけど」
「よし、アンタ、自分が埋まる穴掘れや。庭にさっさと掘らんかい!」
あぁ! ガチギレした! てっきり腹パンが来ると思ってたのに、穴を掘れと催促してくる堺はマジでキレてる時だ!
「堺さん……」
その時、フラつきながら立ち上がる花音さん。そのまま堺を見つめながら
「私は……大地さんの事が……好きかどうかは分かりません。まだ出会ったばかりですから……。でも……私は……大地さんがいいんです。優しい大地さんが……いいんです」
……マジか。
「何をわけのわからん事言っとるんや。アンタのせいで大地は死にかけたんよ。余計な事せず、さっさと家帰れやボケ」
「嫌です……」
「ああん?」
「嫌です! 私は大地さんと一緒に居ます! 貴方一体、大地さんの何なんですか! 恋人か何かですか?!」
おおぅ、庄野さんが凄い強気だ。さて、堺が俺の恋人なわけがないが……どう反論を……
「私と大地は……って、そんな事アンタには関係無いわ! いいからさっさと出ていき! 家に帰れ!」
「嫌です……私は……大地さんと最後まで一緒に居ます……」
「あっそぅ。じゃあ大地に決めてもらおか。ほら、大地。アンタ、この女と結婚するんか? する気ないなら帰ってもらい」
結婚……いや、出来るわけがない。でも庄野さんは目に涙を浮かべ、俺と一緒に居たいと言ってくれる。正直、滅茶苦茶嬉しい。あぁ、俺本当に単純だ。単純すぎる。
「堺、今日は……帰ってくれ」
「……そう。じゃあお幸せに」
……ん?! なんか堺、気味が悪いくらいアッサリ退いたな?!
なんなんだ、一体何が起きた。
「あの……大地さん……私と……ずっと一緒に居てくれますか?」
俺はその言葉に、ゆっくり頷いた。一緒に居る、と。
まだ出会って一日……それで婚姻届まで作成する男女など、中々居ないだろう。
でも俺は……彼女を受け入れた。真剣な表情で、俺を求めてくれた彼女、花音さんの気持ちに……どうしようもなく、答えたいと思ってしまったからだ。
この時、俺は微かに違和感を感じていた。堺の様子がいつもと違ったから。
アイツは何があっても、格闘技の心得の無い人間を殴ったりはしない。ましてや初対面の人間を殴るなどありえない。それに……堺はあんな怒り方はしない。確かにガサツな奴かもしれないけど、一方的に怒鳴りつけるみたいな怒り方は……
※
堺の襲来に、すっかり忘れていたが朝ご飯がまだだ。俺は宗次郎へと朝食のキャットフードを皿に盛りつけ、オマケに猫用ソーセージを一本足してやる。堺が怒鳴りちらして宗次郎も怖かった筈だ。ごめんよ、宗次郎。
「ニィー……」
堺さん、どうしたんですか? と首を傾げてくる宗次郎。なんて優しい猫なんだ、君は。でも君が気にすることは無いさ。堺だって……たぶんちょっとイラついてただけだ。落ち着いたらまた遊びに来るに違いない。
「さて……俺達も朝飯食うか」
「ぁ、私用意しますね」
台所へと行こうとする花音さんの手を掴む俺。自分でもビックリだ。こんな大胆な事をしてしまうとは……。女の子の手をいきなり掴んでしまうとは……!
「え? あの……」
「朝飯は……食べに行こう。知り合いの喫茶店なら格安で食わせてもらえるから。宗次郎、留守番頼むぞ」
「ニィーッ」
※
お互いパジャマから私服に着替え、海辺の道を歩く。今日は土曜日だからか静かだ。漁師のオッチャン達も今日はお休みなんだろう。
「あの、知り合いの喫茶店って……」
「あぁ、この先にある……白い別荘みたいな建物の喫茶店、知らない?」
「今まで中に入った事は無いです……いつも怖そうなおじさんやお兄さん達が集ってましたから……」
あぁ、そういえばそうだった……。基本的にあそこは仕事前、または仕事帰りの漁師達が集う場所だ。しかし今日なら静かな時を過ごせるだろう。
「今日なら大丈夫。モーニングで結構ボリュームあるから、俺みたいな奴には人気の店なんだ」
「大地さん……大食いですからね」
そこまで大食いじゃないぞっ。
っていうか……
「あの、花音さん……その服……似合ってます」
うわぁー! やべえ! 何言ってんだ俺!
くそぅ、堺のせいだ。アイツのせいで、なんかいつの間にか花音さんも名前で呼んでくれるし……プロポーズされてしまうし……。
いや、あれはプロポーズだったのか? ずっと一緒に……ずっと一緒……
「大地さん」
「うほぅ! 何かしら?!」
「なんで時々オネエっぽいんですか? まあ、それはさておき……喫茶店着きましたよ」
おおう、いつの間にか目の前に喫茶店が。危ない危ない……通り過ぎる所だったぜ。
「でも……定休日って書いてありますけど……」
「それは……大丈夫。ここの喫茶店やってるの……俺の婆ちゃんだから」