第五話
《二月 二十二日 金曜日 午後六時》
芳ばしい香りが台所から漂ってくる。どうやらメニューはハンバーグのようだ。宗次郎も俺も、昼飯を食べたのは昼過ぎ。最初は食えるかどうか分からなかったが、既に俺達はハラペコだぜ!
「しかし宗次郎よ。君のご飯の時間は……少しずれちゃったな」
ちなみにいつも、宗次郎は朝と夜にご飯を食べる。今日は海に飛び込むなどのイベントが盛沢山だった為、ご飯をあげるタイミングがズレてしまった。まあ、一日くらいいいか。
「ハラへったか? 宗次郎よ」
ニィーッ、と甘えるような声を出す宗次郎。可愛い奴めっ、撫でまわしてくれるっ!
そうこうしている内に本格的にいい匂いがしてきた。家中既にハンバーグの芳ばしい香りで一杯だ。もう俺も宗次郎もヨダレが止まらない。
「おまたせしましたーっ」
台所からハンバーグを持ってきてくれる庄野さん。ムム、配膳くらいは俺がやらねば。宗次郎も俺と同じ気持ちなのか、自ら台所に行き庄野さんの作った料理を見つめている。しかし君は食べれないぞ。味濃すぎるし。
しかし俺だけ美少女の作った美味い飯を食う、というのは宗次郎に申し訳ない気がする。仕方ない。今日は特別な猫缶を開けるか。ちょっとリッチな、人間の俺でも非常に美味そうと思ってしまった商品だ。
「宗次郎、今日は特別だぞー」
庄野さんの作った料理を運びながら、宗次郎の猫缶も一緒に運ぶ。
「ぁ、宗次郎君のご飯はそれなんですね。わ、わたしあげてもいいですか?!」
興奮気味に、ちゃぶ台の上に置かれた猫缶を見つめる庄野さんと宗次郎。どっちが猫だ。
「庄野さん、これ宗次郎専用のお皿ね。これに出してあげて」
「は、はい……緊張の一瞬ですね……」
何がだ。餌あげるだけだろうが。
そのまま猫缶を開封する庄野さん。その様子を宗次郎は食い入るように見つめている。
「ほわぁぁぁ、いい匂い……クンクン……」
「ニィーッ」
あぁ、庄野さんと宗次郎が完全にシンクロしてる。二人とも猫缶の香りに目を細め、クンクンと鼻を鳴らしている。というか庄野さん、ハンバーグ冷めちゃいますぞ。はやくせよ。
「ぁっ、ごめんなさい……じゃあ宗次郎君……いくよー……」
そのまま宗次郎専用皿へと猫飯を盛る庄野さん。宗次郎は待ちきれない様子だ!
「はーい、どうぞー。ちゃんと噛むんだよ?」
はぐはぐご飯を食べ始める宗次郎。そして俺も待ちきれないぞ。早く食べてヨシの合図をおくれ。
「えっ?! 先に食べてればいいじゃないですか……」
「作ってもらったのにそんな事は出来ぬ。というわけで……いただきます」
「いただきます」
ちゃぶ台の中央に置かれた大皿。その上にハンバーグが計十個程並べられて……ってー! 今更だけど結構あるな! 庄野さんってもしかして大食いキャラなんだろうか。
「庄野さん……結構食べる方?」
「まあ、そうですね。このサイズのハンバーグなら二個はいけます」
ちょっと待て、じゃあ残り八個は……俺が……? ちなみにハンバーグのサイズは手の平よりも少し大きいくらい。流石の俺も、このハンバーグを八個はキツいのでは……。
そっと一つを白米の上にワンバウンドさせつつ、そのまま齧り付く。
「……どうですか?」
感想を求めてくる庄野さん。それに対し、俺は無言でハンバーグの一つ目を白米と一緒に食べきる。そしてそのまま二つ目へと……
「え?! あ、あの……シカトですか?! 感想! 感想が欲しいです先生!」
「むふぅ、だが断る」
「なんで!」
そのままハンバーグを貪り続ける俺。感想など言えない。男は基本的に恥ずかしがり屋なのだ。本当に美味しい手作りご飯を食べた時、美味しいと言えないのが男という生き物!
【注意:個人差あります。本気にしないでください】
というかヤベェ、八個多いとか思ったけど……このハンバーグなら余裕で倍は行ける。白米も止まらん! ご飯に滅茶苦茶合う!
「お、美味しいですか? 美味しいですよね?」
「ごめん、ちょっと今忙しいから……」
「あぅぅぅぅ! 感想! 感想下さい! 食べる側の当然の責務なり!」
「……むぅ。まあ仕方あるまい」
作ってもらっておいて尊大すぎる態度の俺。既に五個のハンバーグを完食しており、少し間を置く為に箸を置き……
「庄野さん、こんな話を知ってますか?」
「えっ、なんですかいきなり……」
「昔々、ある所にお爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは芝刈りに……お婆さんは川へ洗濯を……」
「桃太郎ですか?」
フフ、大正解!
「もう俺に言える事は何もない……余は満足じゃ……というわけで六個目いただきます」
「ちょっと待ちんさい。感想言ってくれるまで、ハンバーグはお預けです!」
ハンバーグの乗った大皿を取り上げる庄野さん!
あぁ! そんなご無体な!
「今後の参考にしたいんです! 夫の好みを知る事は基本なり!」
「あー、婚姻届の事すっかり忘れてた……。そういえばそんな話だった……」
恐らく読者も忘れていたに違いない。しかし今はそれどころではない。ハンバーグの感想を言わねば六個目を食す事は出来ない。っく、どうする?
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素直に感想を言う
無理やりハンバーグを奪う
とりあえず腕立て伏せ
→警察を呼ぶ
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「庄野さん……俺のハンバーグを返してください……さもなくば警察に通報します!」
「どうしてそうなったし……。というか感想聞かせてくれるだけでいいんです! お願いします!」
うぅ、なんでだ……なんで感想を言わねばならぬのだ!
なんか「美味しい」って言うの、小っ恥ずかしい! 理由はよくわからんけども!
「お、お……」
「お?」
美味しい、美味しいだ。その一言さえ言えば……俺は六個目のハンバーグを食す事が出来る。しかし犠牲が大きすぎる。そんなリスクを犯さなければハンバーグを食べれないなんて……っ!
「お、織田信長……」
「誰が戦国武将やねん。はぁ……もういいです。勝手にしてください」
あぁ! 庄野さんが拗ねてしまった! 既に猫飯を完食した宗次郎が笑っている気がする。
『お前、ヘタレすぎ』
くぅぅぅぅ! 宗次郎め……あとで腹に顔を埋めてモフってやる……!
しかし残りのハンバーグが食べれないのは辛すぎる。冷める前に食さねば……いや、冷めても美味しそうだけども……ちょっとスパイシーで歯ごたえのある、俺が今まで食べてきた中でも最高峰の……
「お、美味しいッス……」
「え? なんて? 聞こえないッス」
絶対聞こえてただろ!
「お、美味しいです……」
何故か赤面しながら言い放つ俺。そんな俺に対し、庄野さんは……
「ぁ、ハイ……」
って―! 反応薄っ! 頑張って言ったのに……って、庄野さんも凄い顔赤いぞ。どうした。
「い、いえ……香野さんの反応が……思いのほか可愛くて……無理やり言わせたのは良いけど……その、なんていうか……」
そっとハンバーグの乗った大皿を戻す庄野さん。お互いに何故かは分からないが赤面しつつ、そのまま食事を続ける。
こうして俺と庄野さんの初めての晩御飯は、何故かは分からないが微妙な空気のまま終わった。
でも決して悪い空気ではない。見事にハンバーグを完食した俺に対し、庄野さんは……とても素敵な笑顔を返してくれた。
俺はその笑顔を……ずっと見続けていたい、そんな風に……思ってしまったんだ。