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第二話

 《2019年 2月 22日 金曜日 午前九時》


 高校卒業を間近に控えたある日の朝、防波堤の先端に一人の少女が立っていた。その少女は見るからに高校生。何故ならば制服を着ているからだ。もっと言えば俺と同じ高校の制服。そして後ろ姿からチラっと見えるタイの色からして三年生。


 ここから見えてくる情報だけで言えば、その少女は俺と同じ高校で、しかも同級生だという事だ。もっと言えば俺好みの女生徒かもしれない。後ろ姿だけしか見えないが、海風で揺れる長い髪、そして今にも消えてしまいそうな……儚い雰囲気。恐らく男は皆、儚い雰囲気の女性に何処か色気を感じるはずだ。分かりやすく言えば、病弱な少女。

 

 例えば男女混合の五、六人の友達同士で海へ遊びに行くとする。しかし一人だけ、パラソルの下で本を読む肌の弱い少女が。これだけで男は皆反応する筈だ。つい隣に座りたくなる筈だ。


 その時の俺の心境はそんな感じだと言えば分かってもらえるだろう。俺はとてつもなく、その少女に話しかけたくなった。しかし問題は何と声を掛ければいいか、だ。


『ヘイ、彼女何してるの?』


 これは勿論却下。チャラ男臭満載だ。ナンパだと思われてしまう。いや、今俺がやろうとしている行為自体ナンパ以外の何ものでもないが、このセリフは駄目だ。今時の若者が使うには難易度が高すぎる。


『海、好きですか?』


 これも却下。海が嫌いだったら、わざわざこんなクソ寒い季節の防波堤なんぞに立たない。好きだから彼女はあそこにいるのだ。カラオケが嫌いなのにソロでカラオケに行く奴は居ない。


『何、見てるんですか?』


 これも……却下だ。もし一言で「海」と答えられたら、もう俺に反撃の余地はない。あ、はい……と立ち去るしか未来が見えない。


 どうしよう、まともな案が思い浮かばない。もういい、元々俺はナンパなんぞに縁の無い人間だ。ここは諦めて……


「……ん?」


 突如、目の前から彼女が消えた。一体何が起きた? 今確かに、目の前の防波堤の先端に女性が居たはずなのに……


「誰か、誰かーっ! 女の子が海に……!」


 その悲鳴のような助ける求める声が耳に届くなり、俺は駆け出していた。今は二月の下旬。夏ならまだしも、こんな冬の海に好き好んで飛び込む奴など居ない。いるとすれば事故か、それとも……


 制服の上着、ブレザーを脱ぎ捨てながら防波堤の先端へと。そのまま迷うことなく海へと飛び込む。


 冬の海、もはや説明不要の容赦ない痛みが全身を襲う。


 この時の俺の行動は、彼女にとって正解だったのか、不正解だったのか。

 

 その答えは……誰にも出せない。


 ここから俺達の、かけがいのない一週間の物語が始まる。一生忘れる事の出来ない、忘れるわけにはいかない物語が。





 ※




 

 「ぶっはっ! 死ぬ……マジ死ぬ……!」


 彼女を助ける事が出来たのは奇跡に近い。今俺は彼女を担ぎ、防波堤の上に集った地元の人間に引き上げられていた。漁師のオッチャンが投げてくれたロープ付きの浮き輪に掴まりつつ、彼女を担ぎながら防波堤を昇る。高校でレスリングをやっていて良かった。夏の合宿では自分より体重の重い部員を担いで、スキー場を走らされたのだ。女子高生を担いで防波堤を昇るなど、もはや朝飯前。


「よくやった坊主! おい、救急車!」


 彼女を漁師のオッサンに託し、俺は俺で全身を震わせながら蹲る。もうダメだ。寒くて死んでしまう。誰か、俺を熱い風呂に入れてくれ……


大地(だいち)! アンタ何して……だ、大丈夫?!」


 寒さで震える俺へと駆け寄ってくる女が一人。クラスメイトの堺だ。


「おおぅ、さささささかい……今日はひひひひっひえるな……」


「アンタバカじゃないの?! ちょ……とりあえずコレ着て!」


 堺は俺へと来ていたコートを羽織らせてくる。むむっ、ちょっといい匂い。


「歩ける?! ちょっと道開けて! 邪魔だっつーの!」


 堺は俺に肩を貸してくれて、そのまま近所の銭湯へと運ばれた。というか……俺も救急車で運ばれるべきでは? そんな俺の疑問は暖かいお湯へと放り込まれた時、一瞬で頭から飛んで行った。





 ※




 

 風呂から出た後、俺はコーヒー牛乳が入った冷蔵庫を開け、一本取り出す。突然だがコーヒー牛乳を飲む際、言わずと知れたマナーがある事を皆様はご存知だろうか。勿論、ご存知だとは思うが敢えて説明しよう。


 銭湯で風呂から出てコーヒー牛乳を飲む際、まず腰に手を当てます。この時、男は下半身タオル一枚でなければならない。もし脱衣所に冷蔵庫のない銭湯ならば、潔く諦めて服を着た方がいい。今のご時世、タオル一枚で公共の場に出ようものなら犯罪者認定されてしまう。


 腰に手を当てた際、肝心なのは背筋を伸ばして足を肩幅程度に開く事。これはコーヒー牛乳を飲む際、安定性を確保するためだ。猫背で、しかも内股で飲もうものなら零してしまうかもしれない。


 そして最後に一気飲み。風呂上りのコーヒー牛乳は一気飲みせねばならない。これは外せないマナーだ。しかしどうしても無理だという人は、三口ほどで飲んでもいい。ちなみに俺は一リットルパックの牛乳を一気飲み出来る。こちらはあまり真似しない方がいい。高確率で吐くから。


「フゥー……最高だぜ……!」


「おい……」


 その時、俺の肩に手を置く誰か。なんだか物凄い殺気を感じる。恐る恐る後ろを振り向くと、そこには……ここに居てはいけない人物が!


「おまっ! 堺! ここ男の脱衣所! つまりお前犯罪者!」


「命の恩人に随分な口叩くやん。というか呑気にコーヒー牛乳飲むな! 心配したんだぞアホンダラ!」


 そのまま俺の鳩尾へ正拳を叩きこんでくる堺。

 不味い……腹筋を貫かれた……。いくら俺の腹筋でも、空手部元主将の正拳はきついぜ……。


「ぁ、あぁ……堺、勿論……礼を言わせてもらうぞ。そしてそろそろ周りの視線も痛いから出た方が良いと思いまする……」


 正拳を食らって蹲る俺。堺は俺の言葉に「分かってるわ!」と言い放った後、のしのしと脱衣所から出ていく。むむ、そういえば俺、着替えとかどうしよう。何も持ってきて……


「ぁ」


 すると見覚えのある服と下着が、目の前の籠に放り込んであった。もしかして堺が俺の家から持ってきてくれたのだろうか。なんてこった……俺の部屋のベッドの下とか見てないよな……。



 ※



 その後、堺が持ってきてくれた私服に着替えて銭湯のロビーへと出ると、堺が一人チョコンとベンチに座って待っていた。


「おう、堺。ありがとなー、着替え持ってきてくれて……」


「ん」


 ん、と目の前のベンチ座るよう促してくる堺さん。なんか物凄く怖い顔してる。もしかして怒ってる? いや、待て、先程の正拳で説教は終わってる筈では? 


「なんだい、堺。言っておくが、風呂から出た後のコーヒー牛乳は外せない物で……」


「そんなのどうでもいいわ。大地……なにしてんの」


 なにしてんのって……銭湯入ってコーヒー牛乳飲んで……


「その前! なんで海に飛び込んだんや!」


「なんでって……女の子が落ちちゃったんだし……助けるだろ、そりゃ」


「下手したらアンタも死んでたんよ! アンタが死んだら……誰が宗次郎の世話するん!」


 宗次郎……俺の家で飼っている猫の事だ。ちなみにアメリカンショートヘアーとマンチカンのハイブリッド。短い脚がキュートな猫ちゃんだ。俺の両親は二人共医療関係の仕事をしている為、基本帰りが遅い。そして俺も部活を引退する前は夜の九時過ぎに帰宅していた。堺はそんな家庭で一人ぼっちの宗次郎を世話をしてくれていた。


「いや、ごめんて。ま、まあ特に考えなしに飛び込んだし……悪いのは俺だよな……」


「せや。反省し。あの女にも落とし前つけて……」


 いやいや、落ち着くんだ堺。仕方ないだろ、事故なんだし。


「普通こんなクソ寒い季節に防波堤に立つか? マヌケにも程があるわ」


「まあ、そう言うなて。俺も無事だったし……あんまり怒ってると可愛い顔が台無しだぞ」


 ギロっと堺の視線を浴びせられる俺。あぁ、駄目だ、その目やめてくれ……クセになりそう。


「あの女の子、おじさんの病院に運ばれたらしいで。さっき電話で聞いたけど……命に別状はないそうや」


「おおぅ、聞いてくれてたのか。つーか親父の病院か。見舞いに……」


「アホか! なんでそんなド迷惑な女の見舞いに行くんや! ほっといたらええわ、そんな女」


 なんかやけに噛みついてくるな、堺。まあ、こう見えて優しい奴だし……俺の心配してくれてるんだろう。


「堺、ありがとな。助かった」


「……別に」


 そのままプイっと拗ねた子供のように銭湯から出て行ってしまう堺。


 俺はその後ろ姿を見ながら、彼女の事を思い出していた。防波堤の先端に立つ寂しげな、儚い雰囲気の彼女。


 あの子の事が妙に気になって……頭から離れなかった。




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