第十九話
《二月 二十五日 月曜日 午前十一時》
五右衛門さんの言葉に耳を疑う私達。今、確かに言った。桜祭りをやってやると。しかし桜が咲かない事には開催は出来ない。大地君は急いでテレビを付け、ニュース番組を確認する。でもこの時間帯にニュース番組など……
『えー、現場のシロクマですー。桜ちょっと咲いてますねー。まだ開花宣言には足らんみたいですけど。ちょっと近所のお婆ちゃんにお話聞いてみましょー』
なんだか物凄くやる気のないシロクマがレポーターをしていた。現場は都内某所の公園。桜並木が有名な所だ。レポーターのシロクマはお婆さんを捕まえ、インタビューを試みる。
『婆ちゃん、桜微妙に咲いてますねー』
『あー? 誰が桜美女じゃ』
『アハハ、婆ちゃんテレビ分かってるねー。さくら、びみょうに、さいてますね?』
シロクマは分かりやすく区切りながら言うが、お婆さんは……
『あ? ザクロが毛沢東に逆上がり? 何いうとるん』
『くぁー! おい、ディレクター! お前もっと普通の婆さん捕まえろよ! 何この人! バラエティー番組と勘違いしてない?! ある意味空気読みすぎだろ!』
大地君はその番組を諦め、他のチャンネルへと。しかし他に桜を特集している番組は無さそうだ。それに対し堺さんは携帯で桜が他に咲いている所が無いかをチェック。そういえば花音が今朝……岐阜の飛騨の方では咲いていると言っていたが……。
「んー……この辺りでは微妙なんか? 咲きそうな気もするけど……」
堺さんは携帯と睨めっこし、大地君は再びシロクマの番組にチャンネルを合わせる。しかしもう桜特集は終わり、パンダの八時間クッキングコーナーへと変わっていた。
「駄目だ……もう祈るしか……」
というか何故二人がそこまで必死になってくれているのだ。いや、そうなるのは当たり前か……。花音がもう死んでしまうから……。
花音が……死ぬ。もうその現実を受け止めなければならない。だが今更何を言っているんだ。もう分かっていた事じゃないか。私は目を逸らしてきたわけじゃない。でも……いざその事を考えると手足が震えてくる。花音が居なくなるなんて……考えられない。
そもそも、この二人は分かっているのだろうか。花音が本当に死んでしまうという事を。いや、分かっているからこそ、この二人は必至に桜祭りを開催させようとしてくれている。花音のために、もう一度祭りに行かせてやろうと……。
駄目だ、駄目だ。どうしてもあの日の事が頭を過ぎる。花音が倒れて……心臓も呼吸も止まってしまったあの日の事を。また祭りに行って倒れてしまったら……いや、それ以前に花音は昨日倒れているんだ。
祭りが開催されれば花音は喜ぶだろう。きっと満面の笑みで……笑ってくれるに違いない。でも楽しい思い出を作っている時に倒れてしまったら……この二人はどうなる? 折角花音のために必死になって祭りを開催させたのに、目の前で花音が倒れてしまって……もう目覚めなかったら……。
「ダメ……駄目よ……祭りの開催なんて……絶対駄目よ……」
私は震える声でそう訴える。いつの間にか私は泣いていた。涙が止まらない。この二人の気持ちが嬉しくて……それと同時に花音が死んでしまったらと……
『ほら、花音が死んだ後の事ばかり考えてる』
夢の中で自分に言われた言葉が浮かんでくる。
死んだ後の事ばかり考えてるわけじゃない。ただ恐ろしくて……怖いだけだ。花音が死んでしまったら……もう私は生きていけない。私は一体、これから何の為に生きればいいんだ。
「二人の気持ちは嬉しいけど……もう花音とは関わらないで……お願いだから……」
ちゃぶ台の上に涙の海が出来上がるくらい、私はいつのまにか泣き続けていた。すると堺さんと大地君がそれぞれ私の手を握ってくれる。
「もう、バレバレなんやで、お姉さん」
「そうですよ……光さん」
何が……何が? 一体何がバレバレって……
「お姉さんが花音とコイツを離そうとしてたのって、コイツのタメやろ? もうええんやって。そないな事してると、一番悲しいのは花音ちゃんなんやから……」
いつのまにか……堺さんも泣いていた。泣きながら私の手を両手で握りしめてくれる。優しく……握りしめてくれる。
「正直、私も大地も覚悟なんて大層なもん無いけど……私やったら絶対嫌や。これから死ぬ言う時に周りが仏頂面で泣きべそかいてるんは。せやから……せやから……」
その先の言葉が出て来ずに、堺さんはちゃぶ台に突っ伏してしまう。しかし代わりにと、大地君は
「光さん、花音を笑顔で見送ってあげましょう。今まで花音は苦しい思いして……必死に生きてきてくれたんだ。自殺を選ぶくらいに……苦しかったんだ。でも今生きてくれてるじゃないですか。そんな花音に……俺達が泣いてたら……何でお前等が泣いてんだって言われますよ」
暖かい……二人の手が暖かい。
駄目だ、駄目だ、私は……私は……仮面を被り続けるんだ。
誰に何を言われようと……私は……
『もう、被る必要ある?』
その時、目の前に高校生の時の私が立っていた。
これは幻覚……白昼夢? その高校生の私は真っ白な仮面を持っている。
『もういいんだよ。花音から逃げたっていう罪悪感。それがあるから、辛い想いをするのは自分だけで十分だって思ちゃったんだよね。でももう気づいてるんでしょ? そんなの罰でも何でもないって事くらい。本当に辛いのは花音なんだから』
そう、私は花音から逃げた……だから……
『逃げてなんかいないよ。ずっと悩み続けてきたよ。悩んで悩んで……毎日吐き続けて……それでも悩んで……。でも、そんな貴方を見て一番辛いのは花音なんだよ。苦しむ貴方を見て花音が喜ぶの? もういい加減……気づいてよ。花音が見たいのは、そんな貴方じゃないんだよ』
違う……違う……違う!
途端に幻は消え去る。現実に戻った時、綺麗に磨かれた、ちゃぶ台に写るのは涙でぐしゃぐしゃの自分の顔。酷い顔だ。確かに、こんな顔を見て花音が喜ぶわけが無い。
でも、それでも……私は苦しみ続けるしかない。
それしか……花音から逃げた自分の道が見えない……
「お願い……お願いだから……」
私は二人の手を握りしめながら、そのまま崩れるように……懇願する。
どうか、私に罰を。
花音以上の、花音が味わった苦しみ以上の……罰を……私に与えてくれと。
「お願い、妹と別れて……。お願いよ……もう、花音には関わらないで……もう……」
「嫌や……」
「嫌です」
二人はきっぱりと断り、そのまま私を両側から抱きしめてくれる。
その瞬間、私は更に泣いた。私だけじゃない。堺さんも大地君も……。
三人で泣いた。ひたすら泣いた。
もう、花音の前で見せる涙が無くなる程に。
ひたすら泣いた後……真っ白な私の仮面は……粉々に砕かれていた。




