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第十八話

 《二月 二十五日 月曜日 午前八時》


 「お姉ちゃん……大丈夫? 魘されてたみたいだけど……」


 ベンチの上で眠っていた私には毛布が掛けられていた。誰が掛けてくれたのかは分からないが、ご丁寧に枕まで置いてある。


「……花音? なんで……だ、大丈夫なの?」


「……うん。三河先生にお願いして……お薬貰ったから」


 薬? なんで……投薬は危険だって言ってたじゃない。

 当の本人である三河さんは居ない。


「花音……体は? 痛く無いの?」


「倒れた時は頭痛が酷かったけど……もう大丈夫だよ。三河先生には、あまり動くなとは言われたけど……」


「そ、そう……」


 私は手で目元の涙を拭いつつ、ベンチから立ち上がる。すると床にメモらしき物が落ちた。拾い上げる前に花音が手に取り、私に手渡してくる。


「三河さんからみたい。はい」


「ぁ、うん……ありがと……」


 メモにはなんてことない、三河さんからのメッセージ。


『家に帰る。あとは好きにしろ』


 ……家とは元々三河さんが居た都内だろうか。もう帰ったという事は……花音への投薬はこれが本当に最後だという事だ。最後の最後で、三河さんは賭けに出たかもしれない。投薬に花音が耐えれるかどうかを。


「お姉ちゃん……なんの夢みてたの? 凄い魘されてたよ」


「……覚えてないわ。どうでもいい夢よ」


「…………」


 花音は私の寝言を聞いていたのだろうか。もしかしたら私は変な事を言ってしまったかもしれない。花音の表情を見れば……いくらか察しはつくが。


「今日は暖かくなるらしいよ。なんか、岐阜の飛騨の方で桜が少し咲いてたんだって。この辺りも蕾が……」


「花音……どうする……?」


 私は花音の話を無視し、一方的に今後についての相談をし始めた。このままこの町に居続けるのかと。もう大地君には悪いが、黙って町を出るという選択もある。まあ、花音は納得しないだろうが。


「……お姉ちゃん、憶えてる? 昔、祭りに行ったじゃん。私……またあれ行きたいな」


「桜祭りの事? 桜も咲いてないんだから……まだやるわけ……」


「……そう、だよね。無理だよね」


 ……残念そうな顔で笑う花音。私は無力だ。桜を咲かせる魔法でも使えればいいのに。何処かに花咲か爺さんは居ないだろうか。


「三河さんには動くなって言われたけど……お姉ちゃん、ちょっと散歩しない?」


「……うん。いいわよ……」


 そのまま私と花音は病院の庭へと出た。そこにも桜の木はあるが、当然ながら咲いてなど居ない。いくら暖かくなったからと言って、すぐに咲くわけが無い。もしかしたら……と期待した自分が馬鹿みたいだ。


「お姉ちゃん……大地君の事嫌い?」


 突然の……花音の言葉に思わず背筋を震わせてしまう。やっぱり私は寝言で大地君の事を何か言っていたんだろう。

 どうしようか……何て答えようか。ここで本当の事を言ってしまえば……もう私は……二人の前で仮面を被れなくなる。もう悪役として二人の仲を裂く役は……出来なくなる気がする。


 何故だろうか。心に決めた筈なのに。大地君に辛い想いはしてほしくない、その一心で被り続けた仮面だったのに。今は……花音に嘘を付きたくない……。あぁ、私は所詮……この程度の人間だったという事だろうか。


「……好きだよ。彼みたいな良い子、そうそう居ないよ」


「……うん……そうだよね……って、え?!」


 花音は物凄い驚いた顔で私を凝視してくる。なんでそこまで驚くの。


「お姉ちゃん……そんな風に思ってたんだ……。てっきり大地君の事、砂粒程度にしか思ってないかと……」


「あんたはどんな目で姉を見てんのよ。私だって……そこまで酷い人間じゃ……」


「ごめんご。ぁ、お姉ちゃん、覚えてる? 子供の頃、私が浴衣汚しちゃって……大泣きした時の事」


「……覚えてる。大地君に可愛いって言われただけで泣き止んで……我が妹ながら、あざといと思ったわ」


 花音は「ひっどーい」と頬を膨らませながら、次の瞬間には満面の笑みを見せてくれる。その笑みを見ると自分が情けなくなってしまう。花音は私の事を慰めてくれているんだ。まるで立場が逆だ。本当なら……


 花音はそのままステップするように桜の木の下に立ち、私に手招きしてくる。

 まるで天使のような笑顔。この笑顔に何度救われたか。私はそんな花音を……一度見捨てたのだ。

 神様が本当にいるなら、こう言いたい。殺すなら……私を殺してくれと……。


 私は花音の元へと歩みより、桜の木を見上げる。蕾が少し膨らんでいるのが分かった。もしかしたら……近い内に咲くかもしれない。


「お姉ちゃん……大地君と、もう一度会って」


 突然の花音の発言に、私は目を丸くする。なんで……? という言葉を言う前に、花音は


「きっと……お姉ちゃんの事も……大地君ならなんとかしてくれるから」


「なんとかって……どういう……」


「いいから。大地君と会ってきて。じゃなきゃ……もうお姉ちゃんとは口聞かないもん」

 

 プイっと可愛く顔を逸らす花音。

 それは困る。花音に口を聞いて貰えないなんて……悲しくて泣いてしまう。


「……分かった、分かったから……」


 私がそういった途端、花音は再び眩しい笑顔を向けてくれた。


 一体どういう事なのか……私はまるで理解できていないが。




 ※




 花音に言われるまま、私だけ病院から大地君の家へとタクシーで向かっていた。花音は病院に残っている。その花音の言っている事は分からないが、私には気になる事もある。大地君が昨日、去り際に言った事だ。


『花音と結婚します』


 どういう意味なのか。彼だって花音の状態は分かっている。それなのに何故結婚なのか。というか、彼は私の忠告などまるで聞いていないという事は確かだ。でも……今の私は……まだ言えるのだろうか。花音に近づくな、と。

 今朝見た夢の内容を思い出す。大地君は私より先を歩いている。大地君と三河さんだけが、花音の事を本当に考えてくれているという事を。

 今再び考え直すと……その通りかもしれない。私は花音の事を考えていると思っていた。でも花音が死んでしまった後の事ばかり考えて……怖くて震えているだけで……


「お姉さん、着いたよ」


「ぁ、はい。ありがとうございます……」


 タクシーの運転手へと代金を支払いながら降りる。当然ながらそこは大地君の家の前。どうやらこの狭い町では『香野さん』と言えば誰でも分かるらしい。それ程までに大地君の父親は優秀な医師なのだろう。私も高校生まではこの町に居た筈だが、そこまで有名な人だとは知らなかった。


 大地君の家の敷地内へと足を踏み入れる。するとまず聞こえてきたのは……


「じゃかしいわぁ! つべこべ言わんと言う通りにしろや! 私は空手部元主将やで! 顔の形変わるまで殴ったろかい!」


 あの女の子の声だ。たしか……堺さんと言ったか。物凄く元気な子だという事は分かるが、今家の中で何が起きているのだろうか。


「うぉい! 堺! こっちはお願いする立場だろうが! 脅してんじゃねえよ! っていうか相手をよく見ろ! もう九十過ぎの爺ちゃんだぞ!」


 すると今度は大地君の声が聞こえてくる。どうやら堺さんは九十過ぎのお爺ちゃんをリンチするつもりらしい。元警察官としては止めた方が良いとは思うが、なんとなく家の中に入るのは止めておいた方がいいだろうか、とか思ってしまう。いや、確実に止めた方がいいだろう。何があったのかは知らないが、そんな老人を痛めつけるのは犯罪だ。いや、老人じゃなくても犯罪だが。


 私はインターホンを押し反応を待つ。するとパタパタと可愛い足音が聞こえてきた。


「はーい、どちら様ですかー?」


 扉の向こうから聞こえてくる可愛い声。子供だろうか。


「あの……庄野 光と申しますが……」


「あーあー、はいはい、今開けますよー」


 なんだろう。子供の声なのに妙に言葉使いが落ち着いている。まるで老人のようだ。

 開け放たれる扉。そしてそこに立っていたのは、やはり小学生くらいの子供だった。私は目線を合わせるように前かがみになり、その子へと大地君は居るか、と確認を取る。居るのは声を聞いたから分かり切っているのだが。


「はいはい、居ますよー。大地ちゃーん、花音ちゃんのお姉ちゃんが来たわよー」


「え?! 光さん?! ちょ、婆ちゃん! こっち来て堺を宥めてくれ! このままじゃあ堺が殺人犯になる!」


 やけに物騒な事態が起きようとしているらしい。というか婆ちゃんって誰の事だ。大地君は誰に向かって……


「あー、もう……。ごめんなさいね、今ちょっと騒がしくて……。上がって上がって」


 見た目小学生くらいの子は、私にスリッパを出してくれる。私はお礼を言いつつ、スリッパを履いて小学生の後ろに着いていくと……堺さんが大地君に……なんだろう、プロレス技のような物をかけて押さえつけていた。


「ギ、ギブギブギブ! あんた本気でコブラーツイスト……ちょ、ギブ言うとるやん!」


「五月蠅い! ギブの前に俺に礼を言う方が先だろ! お前、あと少しで留置場行きだったんだぞ!」


「本気なわけないやん! 少し脅しかけようと思っただけで……」


 そしてそんな二人の目の前……落ち着いてお茶を啜る老人が一人。頭を丸め、暖かそうなセーターを着ている。なんだろう、何処かで見覚えが……。


 その老人へと、小学生は申し訳なさそうに


「ごめんなさいねぇ、五右衛門さん。最近の子は元気が良くて……」


「ええよええよ。若さ吸い取りに来とるんや、儂わ」


 五右衛門さん……? まさかこの人は、あの桜祭りが行われる神社の神主だろうか。

 印象的な名前だから覚えている。子供の頃、良くその名前を連呼しながら神社に遊びに行った記憶が……。


「お? 光ちゃんけ? 大きくなったなぁ。ひさしぶりぃ」


「あ、はい。ど、どうも……」


 私の事を憶えてくれていたのか。なんて記憶力だ。まともに会って会話したのは私が小学生くらいの時だと思うが……。


 私が来た事で元気な高校生二人は落ち着き、大地君は堺さんを開放する。堺さんも大人しく正座し、その隣に大地君も同じ様に座り直す。


「んで? なんやったか?」


 五右衛門さんは高校生二人へと、突然そう尋ね……高校生二人の額に青筋が浮かび上がるのが何となく分かった。


「大地、やっぱ……この爺さん、二、三発ドづいて……」


「待て堺、落ち着け……というか……光さん、どうしたんスか、突然……」


 私は気にしないで、とジェスチャーしつつ、小学生にお茶を勧められると小さなちゃぶ台を皆で囲むように座る。なんだろう、こうしていると……少し落ち着く……。そのまま湯呑を持ち、小学生へとお礼を言いながら口へと……


「おい、爺さん、耳かっぽじいて良く聞けや。桜祭りや、あれ早めに開催せえ言うとるんや」


 堺さんの言葉に、私は思わず飲みかけたお茶をちゃぶ台に置き、高校生二人を見つめる。まさか……この子達は……。


「あぁ、無理じゃ無理。儂の一存で決めとるんと違うんや」


「それを何とかしろ言うとるんや! 邪魔な奴は私が残らず殴り倒して説得するわ!」


「元気ええのー。でもそんな事しても無駄じゃ」


「……ちょっと待って。二人共……何考えてるの?」


 つい、私は口を出してしまう。高校生二人は勿論の事、小学生と五右衛門さんも私を見てくる。


「もしかして……花音のために……?」


 頷く高校生二人。小学生も心配そうな目で私を見てきて、五右衛門さんは首を傾げ……


「なんや、花音ちゃんて……あぁ、そういう事か。お前等本当に馬鹿じゃな」


「馬鹿で構わへんわ! いいから黙って……」


「ええよ。桜祭りやったるわ」


「せやから! そこをどうにか……って、ええええぇ!」


 五右衛門さんの言葉に耳を疑う高校生二人。

 しかしそれは私もだ。桜祭りはこの町の大多数の住民が協力して行う一大イベント。五右衛門さんの言う通り、神主の一存で時期を早めるなど出来る筈が無い。


「その代わり……桜が咲いたらな。咲かん事にはどうしようも無いわ」


 



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