表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/24

第十七話

 《二月 二十四日 日曜日 午後九時》


 三河さんに案内され、私は花音が入院している集中治療室の前に。そこには大地君とあと一人……同じ年頃の女の子も座っていた。この子は……あの子だ。私が花音を殴ったあの日……大地君の家を尋ねた時、玄関で猫を抱いて待っていた子だ。


 私は自分の心を殺すように、人格を入れ替える。別に多重人格というわけでは無い。私は大地君の前では、冷静で冷たい人間でいなければならない。ちなみにこの人格のモデルは三河さんだ。本人が聞いたら心外だと思うかもしれないが。


「大地君、それと……」


 ベンチに座る二人へと声をかける私。大地君はしっかりとした目で私を見上げ、女の子の方は疲れているのか、大地君の肩へと頭を預け眠っていた。毛布に包まりながら、悪夢でも見ているのかというくらい……悲しい表情で。


「こんばんは……こいつは……堺です。俺のクラスメイトです……」


「そう。可愛い彼女が居るじゃない。今日はその子ともう帰りなさい。タクシー代なら出してあげるから」


「……じゃあ、堺だけお願いします。俺はここに居ますから」


 私は分かっている。大地君に何を言っても聞いてくれない事くらいは。それでも私は……


「いいから帰りなさい。花音は今夜の所は大丈夫よ。この主治医が保証して……」


「誰も保証なんぞしてないぞ。今にでも花音は死ぬ」


 途端に三河さんを殴りたくなってくる。

 あぁ、分かってた。三河さんが空気を読んでくれるんじゃないか、と期待した私がバカだって事くらいは。


「もう……目を覚まさない事も……」


 大地君の言葉に、三河さんは当たり前のように頷く。そのままガラス越しに花音を見ながら


「香野 大地君。何故面会時間という物が設定してあるのか、考えた事はあるかね」


 そんな事を言い出した。


「それは患者に余計な負担をかけない、という当たり前な理由の他にも様々な事柄が関わっている。例えば、もしここで君が疲労困憊で倒れたりでもしたらどうなる。夜勤の看護師にとってはいい迷惑だ。君がいくら大丈夫と言っても、看護師には看護師の仕事がある。そしてさらに、花音の容体が急変したらどうする。全ての看護師が君を無視して花音の方へ行くと思うか? 最低一人は君の面倒を見なければならない。つまりだ。君がここに居るだけで、看護師は気を遣う、という事だ。更に簡単に言えば邪魔だ。帰れ」


 三河さんの言葉に、大地君は組んでいた両手を握りしめ俯く。しかしそんな事を言っても大地君が素直に帰ってくれるわけが……


「分かりました……。もし花音の容体が急変したら……」


「連絡くらいしてやる、タクシーも呼んでおいてやるよ」


「ありがとうございます……」


 あっさりと……大地君は堺さんをオンブして立ち去ってしまう。あまりに予想外だった為、私はタクシー代を渡すのを忘れてしまった。私はその場を三河さんに任せ、大地君を追いかける。するとエレベーターフロアでなんとか追いつく事が出来た。


「大地君、これタクシー代。おつりはいらないわ」


「……どうも……」


「その子の家は? 遠いの?」


「コイツは……学校の寮生です。でも今日は家に泊めます。婆ちゃんも居るし……大丈夫ですから」


 そのままエレベーターに乗り込み、一応大地君がタクシーに乗り込むまで見送る事にする。タクシーに堺さんだけを乗せて、自分だけ朝まで病院の前で待機……などをしないように。


 下降していくエレベーターの中で、大地君は泣いていた。堺さんをおんぶしながら、ただただ目元から流れる涙。その涙を見て、私も思わずもらい泣きしてしまいそうになる。


「俺は……何も出来ないガキだ……」


 そう呟く大地君。私はそんな事は無い、君のおかげで花音は楽しい思い出を作る事が出来たんだ、そう言いたい。でもダメだ。そんな事は……口が裂けても言うわけにはいかない。


「そうね。人を助けるには確かな知識と技術が必要よ。花音がこれまで生きてこられたのも……あの三河って医者のおかげなんだから」


 ただただ事実だけを言いながら、エレベーターが到着すると大地君を先に降ろし、私も降りる。そのまま病院の正門へと向かうと、ちょうどタクシーが到着していた。先程三河さんが呼び出したばかりだというのに、中々に早い。たまたま近くに居たんだろうか。


「じゃあね、大地君。風邪なんか曳かないように」


「……光さん、俺……花音と結婚します」

 

 大地君と堺さんをタクシーへと乗り込ませた時、彼の言葉に一瞬混乱する。 

 今……この子は何と言った? 結婚?


「それじゃあ……失礼します」


 そのままタクシーは走り去る。


 花音と……結婚……?


 彼のその言葉が……いつまでも頭の中に残り続けていた。





 ※





 三河さんの所へ戻ると、相も変わらずガラスに張り付くように花音を眺めていた。ひたすら無表情で、何を思っているのだろうか。私はなんとなく、三河さんの過去を勝手に想像していた。今までの言動からして、相当に苦い経験があるんだろう。覚悟という言葉が嫌いと言っていた。


「三河さん、大地君……帰りました。ありがとうございました」


「邪魔なのは本当だからな。お前にとっても……この方が好都合だろう? 今の内に花音が死んでくれれば、彼は死に目に会わずに済む」


 私は何も言えずにベンチへと腰かける。今の内に花音が死んでくれればなんて考えれる筈がない。でも近い事は思っていた。今花音が死んでしまえば……大地君は確実に傷つく。もう彼を……花音に近づけるわけにはいかない。たとえ花音が危険な状態に陥ったとしても……彼に連絡など出来る筈も無い。


「三河さん……花音の事はもう彼には……」


「あぁ、分かった分かった。彼にはもう一切花音の情報を与えない。例え花音が死んでも……俺は彼を無視して地元に帰る。これでいいか」


「ありがとうございます……。花音も……そっちの方がいいと思ってるでしょうし……」


「……俺は、お前の方こそ花音に近づけたくないがな」


 ……なんとなく三河さんの言いたい事が分かる。

 でもだからどうした。私は花音の姉だ。妹が死んでしまう時に……姉が傍に居なくて誰が……


 そのまま私の意識は落ちていく。ここ最近、眠った記憶が無い。

 瞼が重い。とてつもなく重い。駄目だ……この睡魔には……抗えない……。




 ※




 「お姉ちゃん、たこ焼き! あーんしてー」


 いつかの祭りの夢を見ている。これは夢だと一発で分かってしまった。何故なら私は、まだ高校の時の私を後ろから見ているから。

 まだ小学生の花音は、高校生の私にたこ焼きを食べさせてくれる。あぁ、覚えている。まだ花音の病気が見つかる前……何のこと無い、幸せな毎日が続くと信じて疑わなかった時だ。


 私の隣では母親がカメラを構えていて、ことある毎に娘二人の写真を撮っていた。今日会った母親とまるで別人だ。(こちら)の母親は明るくて元気な印象。しかし現実(あちら)の母親は今にも死にそうな顔で、まるで死神に憑りつかれたかのような様子だった。


 そして夢の中の私は、少しめんどくさそうな顔で花音と大地君の世話をしている。めんどくさそうなのは顔だけだ。本心では楽しくて仕方なかった。花音と大地君の未来を想像しながら、二人の会話や行動を見守っていた。


 この二人は将来結婚するんだろうか。もしそうなったら、私はどんな服を着て行けばいいんだろうか。パーティードレス? それとも着物……? あぁ、早く花音の花嫁姿が見たい……


『見れないよ。花音はもう死ぬんだから』


 その時、夢の中の私が私に話しかけてきた。顔を険しくしながら、夢の中の私は私を睨んでくる。


『何で花音を一人ぼっちにしたの? 自分だけ大学を出て……挙句の果てに警察官にまでなって……何で自分だけ無難な人生送ろうとしてるの?』


 私は何も答える事は出来ない。ただひたすら、自分から責められながら黙りこくっている。


『そんな(貴方)が、なんで花音の花嫁姿を見たいなんて言えるの? 私達にそんな資格無いんだよ。花音が投薬で苦しいって泣いてた時、私達は逃げたんだから。良く両親(あの二人)を責めれたわね。あの人達はずっと苦しむ花音を見ながら、花音と一緒に心中するかどうかで悩み続けてたのに』


 ……知ってるよ。分かってるよ。私にはそんな資格ないんだって事くらいは……両親が……心中しようとしてた事くらいは……


『まだ……分からないの? 私は全然、これっぽっちも……花音の事なんて考えてないんだよ。本当に花音の事を考えていてくれるのは大地君だけ』


 ……違う……私だって花音の事……考えてる……。

 今でも……花音が死んじゃったら……って……


『ほら、花音が死んだ後の事考えてる。結局自分の事しか頭にない。花音が死ぬ事が怖くて怖くて……それしか考えられない』


 違う……違う……

 

『違わないよ。もう私達は逃げたんだから。花音から逃げたんだから。どれだけ花音が私達を求めても、傍には居られないんだよ』


 違う……違う! 私が花音を見送らないと……


『そう考えてる時点で的外れって気づかないの? 大地君はもう……私達の先を歩いてる。本当に花音の事を考えてくれてる。三河さんだってそう。三河さんも花音の事を考えて……』


 やめて……やめて! 貴方に何が分かるの……私は……私だって花音の事考えてる……。

 あの子の覚悟を無駄にしない為にも……大地君を巻き込むわけには……


『覚悟って何? 一人ぼっちになる事が覚悟? 花音を一人ぼっちにして後悔してたのは誰?』


 うるさい……うるさい!

 私は……彼に辛い目にあって欲しく無くて……


『なら……そう言えば良いじゃない。悪役に徹して二人の仲を裂いても無意味なんだよ。自分を蔑ろにする人に、誰かを幸せにする事なんて出来ないんだから』


 その瞬間、目の前が真っ白になる。

 夢から現実世界へ。窓から差し込む日光の眩しさで叩き起こされ目覚めた時、私の目の前に……花音が立っていた。酷く悲しそうな顔をした……花音が。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ