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第十六話

 《二月 二十四日 日曜日 午後七時》


 実家から三河さんの車で、大地君のお父様が勤めている病院まで走る。

 三河さんは花音の主治医。まだ私が学生の頃、花音と一緒に色々な病院をたらい回しにされている時、出会った人だ。いつでもどこでも白衣を身に着けており、髪を脱色させ、ついでに眼鏡は金色のフレーム。インテリというより、ただの変人だと思われるかもしれない。実際、変な人ではあるが。


「あの……三河さん、花音は……」


 あとどのくらい持つのか。しかし口からその言葉が出てこない。花音がいつ死ぬのかなど、本当は聞きたくもない。もしかしたら、あの子はこの先も生き続ける事が出来るのかもしれない、そんな希望を私は今でも持っている。しかし……


「さあな。この瞬間に死ぬかもしれないし、もう少し持つかもしれん。正直、今の状態で何で生きていられるのか……分からないくらいだからな」


 容赦ない言葉が私の耳に届いてくる。花音はいつ死んでもおかしくはない。でもそれは分かっていた筈だ。世界でも例を見ない症状の病気。病院をたらい回しにされて、色々な医師に言われた筈だ。助からないと。もう持って数日の命だと。


 でも三河さんと出会ってから、花音は普通の生活が出来るようになった。

 花音の病気は内臓が勝手に人間以外の物へ変化していくという……まるでSF映画にでも出てくるような病気。その急激な変化に耐えれる筈も無く、数日で花音は死ぬと多くの医師に診断された。しかし三河さんは違った。私達に……とある希望をくれたのだ。


『とある薬の投与で内臓の変化は止められる。だが劇薬だ。投与し続ければ体はボロボロになる。どの道、お前の妹は死ぬだろう。選べ、多少寿命を延ばせる程度の治療を受けるか、このまま病気で死なせるか』


 まるで悪魔の囁きだ。投薬での治療は想像を絶するとも言われた。実際、花音は治療を始めた頃、苦しいと泣き叫んでいた。私はそんな花音から逃げた。恐ろしくなった。まだ小学生だった花音に「苦しいけど治療する?」などと聞いても、帰ってくる答えは分かり切っていた筈だ。


『大地君に会いたいから……病気なおす』


 私は花音のその言葉を聞いて安心してしまった。でも花音の苦しみ方は尋常じゃ無かった。


 思い出すだけでも体が震える。私は自分が残酷な事をしてしまったと……後悔していた。本当なら、あの時花音は病気に殺されていた方が良かったのかもしれないと……何度も……何度も……


「何を考えている。今更後悔か?」


 まるで私の心を見透かしたような三河さんの言葉。いつのまにか私は泣いていた。実の妹を苦しませたあげく、一人ぼっちにして……一体、私は何がしたかったんだろうか。


「花音は……苦しんで苦しんで……でも死んじゃう……。なんであの子が……あの子、悪い事してないのに……」


「普段の行いで病にかかるなら死刑なんて要らないな。便利なシステムになる」


 病院に向かう車は信号待ちで止まり、三河さんは窓の外を見やる。この人の容赦のない口ぶりには、もう慣れてしまった。少し前までは良く口喧嘩していたが……。


「今年は桜が咲くのが早いそうだ。来週には咲くんじゃないのか? それまで花音が生きていればいいが」

 

 桜……。花音は桜が好きだった。私と違って、花音は花を良く愛でていた。お見舞いで花束を贈られると満面の笑みで喜ぶ花音が脳裏に蘇る。


「あの子に……見せてあげたい……。三河さん……なんとかしてください……」


「俺は何も出来ん。あとは運次第だ。もう投薬も出来ない。今行えば花音は耐えきれずに死ぬだろう」


「……というか、三河さん……来てくれたんですね。私達、黙って病院抜け出したのに……」


 約一年前、余命宣告を受けた時、私と花音は病院を抜け出しこの町にやってきた。その後、三河さんに一応居場所を伝えたが「好きにしろ」という返答が返ってきて、それからは何の音沙汰も無かった。


「香野さんっていう医者から連絡が来てな。花音が自殺を図ったって」


 大地君の父親だ。まさか三河さんと連絡を取っていたとは。


「あの花音が自殺ね……。あまり考えられないが、この町にそこまで思い入れがあったという事か。というか、この町何もないじゃないか。コンビニすら探すのに苦労したぞ」


「……花音、また心臓が止まったって……」


「今はしっかり動いてる。香野さんに感謝するんだな。しかし……あんな優秀な医者がこんなド田舎に居るとは。あなどれんな……」


 信号が青に変わり、車を発進させる三河さん。すると花音が自殺を図った防波堤が見えてくる。花音はあそこから飛んで……大地君が助けた。奇妙で残酷な……偶然だ。


「三河さん……花音……あそこから飛んだんですよ。海に……」


「ほー。俺なら溺れ死ぬなんて御免だがな。中々勇気がある」


「……最初は私も信じられなかったんです……花音が自殺を図ったなんて……」


 花音は死に場所を探していた。もう命の期限が迫っていると分かった時、最後の場所を決めようとしていた。そして……この町に来た。でも私は花音が本当に自殺しようとするなんて……思いもしなかった。


「でも助けられたんだろ。花音を助けたのは香野さんの息子らしいじゃないか。助けようと海に飛び込むなんて……まるでドラマの世界だな」


「下手をしたら……彼まで犠牲になってかもしれないのに……。でも彼はまだ花音に関わっているんです。このまま関係を続ければ……彼まで大きな傷を……」


「それは余計なお世話ってもんだ。海に飛び込んでまで助けようとしたんだ。お前が今更何を言っても彼は止まらん。止める必要も無い」


 なんで……というか、まるで大地君の事を知っているかのような……


「大地君に会ったんですか……?」


「あぁ。俺が花音の様子を見に行ったとき、ひたすらガラス越しに花音を見てたからな。少し話もしたが……彼はいいぞ。いい医者になる」


 三河さんに言われても説得力が無い。三河さんは確かに腕のいい医師かもしれない。でも性格が最悪だ。花音の余命宣告を告げられた時も、まるで世間話をするかのような軽さで言われた。その時、私は思わず掴みかかってしまったが。


「彼と……何を話したんですか?」


「別に。軽く自己紹介して……花音はどのくらい持つとか聞かれたからな。さっきお前に言ったのと同じ事を言ってやった。そしたら何て言ったと思う? あと数秒でいいってよ」


 それを聞いた瞬間、私は自分の愚かさに気が付いた。彼はもう……覚悟が出来ている。私なんかと違って……彼はもう花音が死ぬという現実を受け入れているんだ。


「彼はもう……覚悟してるんですね……」


 再び大粒の涙が私の頬を伝う。実の姉がこんな事では……ダメなのに……。


「覚悟なんて言葉は止めろ。俺は大嫌いだ」


「……?」


「いいか、覚悟なんて言葉はな、死にかけの老人が言えばいいんだよ。少なくとも花音やお前が言っていい言葉じゃない」


 珍しい……三河さんが怒っている。いつでも死んだ魚のような目で、感情を表に出すような人でも無いのに。


「……三河さんも怒るんですね……。驚きました……」


「嫌な思い出があるからな……。あぁ、そろそろ着くぞ」


 車を病院の駐車場へと停め、エンジンを切る三河さん。車から降りる時、三河さんは私へとこう言い放ってきた。


「……頼むから……お前は死ぬ前に覚悟なんて言うなよ……」


 三河さんの嫌な思い出……。

 なんとなく、私は察してしまった。三河さんの担当した患者の中に、恐らく覚悟はできている……と言い残してこの世を去った人間が居たんだろう。そしてその患者は恐らく子供だ。


 確かに、嫌になるかもしれない。

 年端もいかない子供が死ぬ覚悟が出来ているなんて……この世界に希望など無い、そう思ってしまても……無理はないだろうから。




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