第一話
【この小説は、たこす様執筆『映画館の隣に座っていた女性が、出演していた女優だった件』に登場する映画を題材にした作品です】
《2008年 3月 20日 木曜日 午後七時》
今年も桜が咲いた。当たり前の事を思いながら、月明かりで照らされる夜桜を見上げる。これは……綺麗なんだろうか。周りの人は綺麗綺麗と騒いでいるが、私には花を愛でる習慣が無いから良く分からない。まあ、たぶん綺麗なんだろう。
「おねえちゃーんっ」
私が夜桜を眺めていると、浴衣姿の妹が駆けてくる。後ろから母親が「走ると転ぶわよ!」と声を掛けてくるが、妹はお構いなしだ。そして案の定、浴衣の裾を踏みつけ、盛大に転んでしまう妹。私と母親は妹を起こしながら浴衣に付いた泥を手で落とすが、もう染みついてしまっている。
「だから言ったじゃない……あーあー、もう落ちないわねぇ……」
数秒……妹は泥のついた浴衣を見つめた後、ボロボロと大粒の涙を流し始めた。妹は小学三年生。別に転んだのが痛くて泣いているわけではない。浴衣が汚れてしまったのが悲しかったんだろう。
肩を揺らしながら私に抱き着き、そのまま大声で泣き始めてしまう妹。こうなったらもう手が付けられない。泣き止むまで撫で続けるしかない。
「花音……泣いてたら大地君に嫌われるよ?」
「ひぐっ……どうせ……嫌われるもん……浴衣汚れちゃったもん……」
淡いピンク色の浴衣。小さな花びらが舞っているような柄。私も小さい頃に着ていた浴衣だ。この浴衣を着れば、周りの人達は皆、綺麗綺麗と褒めてくれた。だから私はこの浴衣が嫌いだった。
誰も褒めていない事はすぐ分かった。皆、ちょっと可愛い柄をしていれば綺麗と言うだけだ。私は別に綺麗なんて言葉は要らないんだ。ただ、この浴衣を着ている私を“可愛い”と一言あったらそれで……
「花音ちゃーん」
するとそこへ花音の友達、大地君が現れた。こちらはTシャツに短パンというラフすぎる恰好。まあ、男の子はそんなものだろう。というか既にリンゴ飴を両手に握っている。
「なんで泣いてるの?」
大地君の質問に対し、妹は私の背中に隠れてしまう。まあ仕方ない、泥だらけの浴衣なんて見せたくないに決まってる。今日はこのままオンブして帰ろう。桜なんて毎年咲くし、花祭りも毎年ある。好きな男の子に見せつける機会なんていくらでもある。
「リンゴ飴あげるー」
大地君が差し出すリンゴ飴を、首を振って拒否する妹。すると大地君まで悲しくなってしまったのか、ちょっとムっとした顔に。ちなみにこの小学生二人は両想いだ。生意気にも程があるが、可愛らしいので許す。
「花音ちゃん、どうしたの?」
大地君は私へと首を傾げて尋ねてくる。私は「浴衣が汚れちゃったの」と答えるが、大地君は「だから?」と更に首を傾げる。まあ、そうなるわな。男の子にとって服を汚すのは、もはや仕事と言っても過言では無い。そうやって母親を怒らせるのが日常茶飯事だ。
「花音ちゃん、いこー」
浴衣が汚れてしまって悲しんでいる花音の手を引く大地君。しかし妹はイヤイヤと首を振る。でも大地君も諦めない。無理やりに妹を私の背中から引っ張り出し、汚れた浴衣をさらけ出させた。
「ぅ……ううぅぅぅ……」
案の定、更に泣き出してしまう妹。あちゃー……と私と母親は頭を抱えるが、大地君はまじまじと花音を見つめ
「花音ちゃん、可愛い」
と、言い放った。その瞬間、ピタリと泣き止む妹。なんという事だ。なんて……女たらしなんだ、この子は。
「本当……?」
「うん、花音ちゃん可愛い」
正直、小学生に羨ましいと思ってしまった。私はそんな事、一言も言われた事は無かったのに。
そのまま、妹と大地君は手を繋いで歩き始めた。二人でリンゴ飴を舐めながら。
「将来が楽しみねぇ、あの二人」
なんとも呑気な母親の声が耳に届いてくる。私としては少し……いや、かなり心配なんだが。可愛い妹はまだ小学生だ。男性との交際など早すぎる……などと真面目に考えている自分が可笑しくなってくる。
「あんたも早く彼氏見つけなさいよ。もう高校生なんだから」
「そんなの要らないわよ」
男など不要だ。私には花音さえ居ればそれでいい。あの子が幸せに過ごしているのを、遠目から眺めているだけで幸せだ。断じて彼氏が出来ない言い訳ではない。
そのまま私と母親は、リア充小学生の二人に付き祭りを回る。最初は浴衣を汚して泣いていた妹も、今は満面の笑みで祭りを楽しんでいた。私はホっと胸をなで下ろしながら、ふと月明かりに照らされる夜桜を見上げる。その時、初めて桜が綺麗だと感じた。幻想的な夜桜に目を奪われた。
その数時間後……祭りも終わり大地君とも別れ、帰路につく途中。
突然、妹は倒れた。
呼吸も心臓も止まり……ただの人形の様に……