猫屋敷と少女2
猫屋敷に少年がやってきてから、一週間が過ぎたが、今だに零は此処の生活に馴染めないでいる。
その原因は、あの少女、島峰桜であった。
正直、手伝いの掃除や里美との関係はとても良かった。
元々、人付き合いを好まない性格もあり、この海辺の訪問客の少ない生活はとても、居心地のいいものだったし。
里美も、零の性格を察してか、あまり馴れ馴れし過ぎない程度の距離感で、子ども扱いもせずに接してくれていたことも、少年にとってはとても好感の持てる所だった。
少し、紅茶の話を喋りだすと止まらない所もあったが、紅茶の話自体は嫌いではなかったのでそこまで苦痛に感じることもなかった。
しかし、桜は別物であった。桜が部屋から出てくることは殆どなかった、日3度の食事の時間以外は、時々ふらりと出てきて、テラスから海を眺めるぐらいのものだった。
仕舞には、小さな踏み台を桜が部屋まで運ぼうとして、よろめいたので咄嗟に零が支えたのにも関わらず、睨まれる始末である。
最初は、零もどうしたものかと悩んでいたが、正直一ヶ月だけのことだし、食事の時間も里美が気を利かして何かしらの話をしてくれているので、気まずくはなかったので、
部屋からほとんど出てこないのだから、一々良好な関係を築く事も無いか、と思う様になっていた。
そんなある日、「零君ちょっと町まで行って、テラスにある植物の肥料を買ってきてくれないかい?」
「いいですよ、どんな肥料かだけ教えてもらえれば買ってきますよ。」
「ありがとう、でも内の肥料は特殊でね、売ってる店がちょっとわかりずらい所な上に、その店で特別に調合させてもらってる代物なんだよ。」
「そうなんですか、じゃあ里美さん空いてる時でいいですよ。」
「いや、その調合が出来るのが桜だけでね。」
零が少し、苦い顔をしたのに、里美が気付くと取り繕う様に言う。
「まあ、あの子も根は悪い子じゃないんだよちょっと無愛想なだけで、お願いできないかねぇ昨日腰をやっちまってね、いつもは私と桜で行くんだけど今回だけ頼めないかい?」
「分かりました、大丈夫ですよ」
と言うと零はニコリと笑った。
「そうかい!桜にはもう言ってあるから、支度出来てると思うよ。部屋を見て来てくれないかい」
そう言われた零は、重い足取りで二階への階段を上っていく。
階段を上り終えると、ちょうど桜が部屋から出て来る所だった。
桜は零がいるのに気づくと、部屋の扉を勢い良くしめた。
バタンと強烈な音が鳴り響い居た後、二人の間に少しの静寂が流れた。
その、静寂を終わらせたのは桜の方だった。
「木ノ島さん今日はよろしくお願いします。」
桜はいつもの威圧感のある表情で言った。
それからの、町までの道程は酷い物だった。二人とも一言も喋らず、目線すら合わせようとしなかった。
実際の所、零に至ってはあんな先制パンチをくらって、どうしたものかと考えたが、今一いい話題も浮かばず、空を眺めながら歩いて現実逃避することにしたのだった。
そんなこんなで、町に着くと喋りだしたのは、桜の方だった。
「町では人通りも多い上、結構路地裏も通るので離れず付いて来てください。」
流石に、小学生じゃないんだから迷子にはならないだろと思ったが、一々角を立てる必要もないので素直に聞き入れた。
「分かりました、できるだけ離れない様にしますね。」
それを聞くと桜は慣れた足取りで町を歩いていく。
少女の歩行速度なので置いて行かれることはなかったが、人ごみを避けて歩くのが上手いのと、路地裏がかなり入り組んでいるのも会って、時々、見失いそうになったが何とか付いて行った。
そうしている内に、桜が何の変哲もない花屋の前に立っていた。
「ここですか?」
そう、零が聞くと、「はい」と最低限の返事だけをして、桜は店の中に入っていく、それを、追いかける様に零も中に入ると、20過ぎ位のショートヘアーの女性が居た。
「いらっしゃい」
女性がそう言うと、桜が前にで喋りだした。
「お久しぶりです、栢島さん、いつもの肥料を作るために調合室を使わして頂きたいのですがよろしいですか?」
「いいよ~、お金は里美さんから前来た時に、今日の分も貰ってるからどんどん作ってちゃって、
それで、後ろにいる少年は桜ちゃんの友達かい?」
そう言われて、零は慌てて答える。
「島峰さんの所で夏休みの間だけお世話になってる木ノ島零です、今日は里美さんの代わりで僕が。」
「そうだったの、零君カッコイイから桜ちゃんの彼氏かと思っちゃった。」
「え、あ、いえ、その」
零が栢島の冗談にあたふたしていると、桜が怒ったような口ぶりで割って入った。
「栢島さん、余り、からかわないで下さい!!」
そう言うと、桜は足早に奥の調合室へと入っていった。
「あちゃ~、ちょっと冗談がすぎたか…、まあ、調合やらせとけば機嫌治るでしょ。私たちは調合が終わるまでこっちでお話しましょ彼氏くん。」
そう言いながら、栢島はおもちゃを見つけた子供の様に笑った。
「島峰さんが入ってから1時間くらい経ちましたけど、結構かかるんですね調合って。」
「まあね、聞いてるかもしれないけど、あの肥料は、里美さん所にある植物のためだけに作られた特別製なのよ。だから、結構調合の比率もシビアでね。」
「へ~、そうなんですか。でも何でそこまでしてあの植物を育ててるんですかね?」
「それなんだよね~、元々あの植物ってここら一体にしか自生してない物らしい上に、栽培したり、他の地域に植え替えたりすると、直ぐに枯れちゃったりする、すごいデリケートな植物らしいのよ。
でも、それを出来るようにしたのが、植物学者だった私のお爺ちゃんが作ったあの肥料なのよ、でも実際、そんなすごい肥料を作っても元の植物自体が美味しい訳でも、何かの役に立つわけでもないから5年前にお爺ちゃんが死んでからは、里美さんの旦那さんと桜ちゃんにしか、作れないし、作ろうとする人もいなくてね。その上、去年里美さんの旦那さんも亡くなったって言うから今じゃ、作れるのは桜ちゃんだけって感じなんだよね~。
今使ってる桜ちゃんの調合室も元々はお爺ちゃんの研究室だったの貸してあげてるの、無駄に余らせて置くより使える人が使った方がいいと思ってね。」
「へ~、そうなんですか~。」
零が興味なさそうに店を見回していると、栢島が椅子を寄せてきた。
「で、実際の所どうなの、お姉さん的にはそっちの方がききたいんだけど。」
「実際の所と言うと…」
零の目が泳ぎだす。それを逃がすまいと、栢島が更に詰め寄る。
「あんた達、一つ屋根の下に住んでる訳だし何かないの?」
零は諦めた様にため息をついた。
「同じ家に住んでるって言っても、まだ一週間ちょっとで、何よりも島峰さんは僕のこと相当嫌ってる様ですし、栢島さんが思ってる様なことはこれからもないですよ。」
「嫌われてるねえ…私から見れば結構好かれてるように見えるけど。」
「え?どこがですか…」零は心底不思議そうな顔をしながら聞く。
「では、お姉さんから一つだけヒントを上げよう、桜ちゃんはね、本当に嫌なこととか嫌いな人間には無言で睨み付けるだけなのだよ。」
「それ、僕一回やられてますけど。」
「あれれ…、まあ、お姉さんの感を信じなさい!!」
そう言うと、栢島は紅茶のお替りを入れに奥へと逃げて行った。
一人になった零はまだかかりそうなのかと、調合室を除いてみる。
そこには、エプロンをして顔やエプロンに土を飛ばしながら一心不乱に肥料の調合をしている、桜がいた。
秤に材料を乗せる動き、肥料を混ぜ合わせる姿、一つ一つ動作と表情から素人の零でも分かるくらい妥協の余地が見受けられない、表情に至っては一生懸命と言うよりは最早、鬼気迫るものがあった。
零はこれまでに、見たどんな物よりも圧倒され目が離せなくなっていた。
「すごいでしょ、桜ちゃん」
突然、零の後ろから声がして、後ろを振り向くと栢島が立っていた。
「調合をやってる時の、桜ちゃんは本当にすごいよ、あんな姿見せられちゃ、こんなぼろい調合室なんていつでも、幾らでも使ってけって感じだよね。」
そう語る栢島さんの表情は自分のことの様に嬉しそうだった。