一度ならず二度三度
「流石によく分かっているみたいね」
「そりゃあ、付き合い長いですからね」
一同、顔を見合わせて、なんとなく乾いた笑いをかわした。
「じゃあ、僕は遠慮なく休ませてもらうけれど、何かあったら叩き起こしてくれる?」
「もちろん。陸ではうちのキャプテンよりも旦那のほうが頼れますからね!」
子分からそんな風に言われてしまう海賊王とはいかがなものか。
「その一言から、クイーン・フウェイルの皆の苦労が偲ばれるわね」
「あははー」
笑ってごまかすタカだった。
セインは気遣ってくれる二人の言葉にようやく一息つき、久しぶりに姿をセインロズドへと変えた。彼の輪郭がぼやけたかと思うと、霞がかかったようになり、セインの代わりに一振りの長剣が現れる。
柄に嵌め込めれたアメジストが、きらりと輝いた。
「へえ。そんな風に変化するんですか」
「変化って言うのかしら。まあ、いつ見ても不思議よね」
「でも、いつもみたいに手から出されるより良い気がするっスね」
海賊とは、皆一様に好奇心が旺盛なのか、それとも彼らがあのギャンガルドのクルーだからなのか。
それは分からなかったけれども、タカはまじまじとセインロズドを眺めやっている。
「あの。…タカ?あんまり見られると、落ち着かないのだけれども」
ぽつりとセインが喋ると、タカが飛び跳ねた。
「うお!喋れるんですか旦那!」
「…その反応、懐かしいなあ」
かつて、クイーン・フウェイルの風読みであるラゾワも、同じように驚いていたのを思い出す。
「いや、すいやせん。水晶やら装飾やらも見事ですけど、刃身が本当に凄いなあって。うちのキャプテンが欲しがる訳だなあと思いやしてね」
ぺこぺこと頭を下げるタカには悪いが、この姿の自分を見て、ギャンガルドに同調しないでいただきたい。
「伝説の剣とか聖剣とか関係なく見事ですわ」
「うん、褒めてくれるのはうれしいんだけどね?」
キラキラと、子供みたいな眼で見つめられれば、落ち着いてなんかいられないではないか。
「当たり前でしょ?セインは私が引っこ抜いたんだから」
そこで、何故かキャルがふんぞり返る。
「さ、タカ。あんまり見てたらセインに穴が開くわ。後片付けは全部終わったの?」
「おう。全部終わりやしたぜ!」
キャプテン譲りだろうか。にっかりと白い歯を見せるタカに、キャルは箒を持たせる。
「じゃあ、一緒にお掃除手伝って頂戴。ここは済んだけど、向こうの部屋がまだよ」
「おっしゃ!任せときなっ!」
タカが住居側の部屋の扉の奥へ行くのを見送って、キャルはセインロズドへ振り返る。
「これで安心して眠れるでしょう?そっちの玄関は鍵が閉まっているようだし、ゆっくり寝てなさいよ。セインの言うとおり、何かあったらすぐに起こしてあげるから」
「ありがとう」
あまり見せないキャルの気遣いに、セインは何だかくすぐったい気分だった。
「お言葉に甘えて、寝させてもらうよ」
「そうしてちょうだい。早く治ってもらわないと、あたしが困るのよ。まったく、ギャンギャンには担がれて町中走り回られるし。セインなんか引っこ抜くんじゃなかったわ」
「酷いな。そこでそれを言う?」
「ふん。さ。早く寝ちゃいなさいよ。あたし、まだ寝巻きで、ここで着替えなきゃいけないんだから」
照れ隠しに憎まれ口を叩くキャルに、セインは小さく笑う。今なら、剣の姿だ。笑った事もバレないだろう。
「お休み。キャル」
「お休みなさい」
セインが静かになると、キャルはそっと鞄を引き寄せて着替えを済ませ、掃除をしているタカを手伝いに足音を忍ばせて部屋を出た。
「タカ!あとはどこを掃除したら良いかしら?」
「お嬢、何だったら旦那の傍にいてやればいいのに」
名前を呼ばれてタカが顔を上げる。
「寝ている人の隣にいたってつまらないわ」
「ま、そりゃ、そうかも知れねぇっすけど」
ぽりぽりと顎を掻くタカに、キャルは両手を腰に当て、鼻息も荒く言い放つ。
「いつまでたっても使い物にならないセインなんか、お荷物にしかならないのよ。ちゃっちゃと治ってもらわなきゃ、いつギャンギャンにどんな目に合わされるか分かったものじゃないわ。例えば今朝みたいにね?」
それを言われてしまえば、タカは黙るしかない。しかし、お荷物扱いされてしまったセインがちょっとかわいそうだ。
「キャプテンにはよく言って聴かせますんで」
小さくなってしまったタカに、キャルはクスクス笑う。
「冗談よ。タカが悪いわけじゃないし、ギャンガルドの事だもの。誰が何を言ったって、直るものでもないでしょう?」
「はあ、まあ」
タカはますます小さくなる。
本当に、海賊だというのにこの連中は。キャプテン以外は、実は良い人だらけなのではなかろうか。
以前、クイーン・フウェイル号に乗せて貰った時、皆で歓迎の宴会を開いてくれたのを思い出す。船を下りるときも、お別れに大きなケーキを用意してくれて、朝から皆で腹一杯食べた。
「皆、元気かなあ」
もう、随分前の事のように思える。
「元気も元気ですぜ。皆、おれたちを待ってる。お嬢と旦那の顔を見たがってやしたよ」
あのケーキを焼いてくれた本人が、にかりと笑う。
「そうね。昨日の刺客のことも気になるけれど。早くお城に着いてしまえば問題ないのよね」
終わり良ければ全て良し。
そうなると、ギャンガルドの帰りが待ち遠しくなるのだから不思議なもので。
キャルもタカも、分担して家中の掃除をさっさと済ませてしまった。
「おかしいわね」
「……おかしいっすね」
ちらりと時計を見やれば、もう針は正午を示しそうなところまで来ている。
「お昼までには帰ってくると思ったのに」
「そうっすね。時間かかり過ぎっスね」
ギャンガルドとジャムリムが出かけて既に三時間は経過している。
セインはまだセインロズドの姿で寝かせたままだ。何せ帰ってくる気配が無い。
二人はもう、三十分くらいはジャムリムの住居側の部屋のソファで、タカの淹れたコーヒーを飲んでいる。
タカはミルクだけ、キャルはミルクとジャムを入れて、美味しくいただいている。
が、あまりに二人が帰って来ないので、玄関から出て路地の向こうを覗いてみたり、窓から外を窺ってみたりと、先程からそわそわと忙しない。
この家の主であるジャムリムは剛毅な女性であるのだが、彼女は意外に少女趣味であるらしく、裏側のセインを寝かせている店の装飾と違い、住居側の部屋は白い壁紙に綺麗なトールペイントが施され、窓はカフェカーテンで飾られ、木綿のレースのフリルと手作りらしい小物でいっぱいだった。
「雑貨屋さんのようね」
「そうっすね」
朝は薄暗く、色々忙しくて気が付かなかったが、日が昇って明るくなり、落ち着いてみてみれば、女性が好きそうな物で溢れていた。
「おれっち、なんか居辛いんすが」
「セインが居たって同じ事を言うわよ」
男性にこの部屋はいたたまれないだろう。
隣ではセインロズドに姿を変えたまま、セインが眠っている。
起こすのはぎりぎりで良いだろうと、二人でこの部屋で大人しくしていたのだが。
「勝手に昼食作っちまっても良いですかねえ?」
「そうね。あ。十二時になったわ」
ぽーんぽーん、と、壁掛けの振り子時計が正午を知らせる。
「オハヨウ」
かちゃりと、裏側の扉が開き、セインが顔を出した。
「眼鏡忘れているわよ」
「うん。取って来る」
まだ眠いのか、瞼を擦りながら戻って行く。髪の毛は寝癖がついていた。
「旦那って、寝惚けるんだ」
不思議そうにタカが言うので、キャルは呆れてしまった。
「当たり前じゃない。いっつもボケボケしてるんだから、寝惚けるくらいするわよ」
「へ、へーえ」
素直にタカは驚いている。
「ちゃっきりした旦那しか見た事ねえっスもん。へえー」
そんなものかと、キャルは視線を窓へ向けた。
ばしゃばしゃと水音が聞こえるのは、セインが顔を洗っているのだろう。
次にセインが姿を見せた時には、ちゃんと寝巻きも着替えて眼鏡も掛け、髪も綺麗に整えられていた。
いつものセインだ。
「もう大丈夫なの?」
コーヒーに口をつけながら聞けば、にっこりと返される。
「ありがとう。おかげさまで、久々に体の調子が良いや」
「そ。じゃあ、怪我は?」
傍に寄ってきたセインの上着を、容赦なくべろりとめくった。
「うわあ!」
不意を付かれて慌てるセインを無視して、傷の痕の残る腹を見る。
まだ、盛り上がって完全には治癒し切れていないようだ。
キャルの眉間に、どんどん皺が寄る。
「傷」
「あ、あの?」
セインは恐る恐る彼女の顔を覗き込む。
「なんっでまだ痕が残っているのよ」
「い、いやあ、何でって言っても…。もう、ほとんど突っ張るくらいで痛みもないし、動いてもまた傷が開くって事はないと思うし、その?」
三時間程度ではこれくらいがせいぜいという事か。
それでも常人であれば、傷を負った時にとっくに死んでいておかしくないのだから、仕方が無い。
「動くのに差し障りはないし、旅に出ても、もう問題ないくらいは回復したと思うんだけど」
「立ち回りくらい平気?」
「もちろん」
頷くセインに、キャルはようやく彼の上着から手を離す。
外気に晒された腹を、寒かったのか服の上から一生懸命なでてから、セインは服装を整えた。
「旦那、コーヒー飲みますか?」
「あ、ありがとう。じゃあ、起きぬけだし、ミルクを入れてもらえる?」
「へえ」
セインが座り、タカが立ち上がる。
「あれ?ギャンガルドと彼女は?」
きょろきょろと見回すセインに、キャルは両手で持ったままコーヒーカップを膝の上に置いて、盛大に溜息をついた。
「え?まだ帰ってきていないの?」
「そうよ。もうお昼なのに」
そう言って、キャルはまた、コーヒーカップを持ち上げて口をつけた。
「はい、旦那」
「あ、ありがとう」
暖かな湯気を立てるコーヒーを手渡され、セインは嬉しそうにタカに礼を言った。
口に含めば、甘い。
「あれ?」
「旦那、怪我したの腹でしょ。甘いほうが胃に良いかと思いやして」
気の利く料理長に、セインは微笑んだ。
「ありがとう、タカ」
「へへ、どういたしまして」
照れくさそうに笑って、タカもソファに座る。
三人揃って、コーヒーを口に運び、三人揃って肺から息を吐き出した。
「…遅いね」
「だから、そう言っているじゃない」
「見てきますかね?」
時計の針はカチコチ音を立てて進んでゆくのに、朝出かけた二人が戻らない。
「いちゃついているのかしら」
不機嫌に、キャルが眉間に皺を寄せた。今日は皺を寄せてばかりだ。このままでは、よわい八歳にして、小皺が出来てしまうではないか。
「いちゃついているだけなら、良いんだけれど」
心配そうなセインを、キャルが睨んだ。
「あのギャンギャン相手に、何かしているとしても、何かあるなんて思えないのだけれど」
「それは、そうなんだけど」
くうううぅ
セインの腹が鳴った。
「お腹空いたの?」
「そ、そりゃ、怪我を治すのに体力は使うからねっ」
自分の腹の虫に驚いて、顔を赤くするセインに、キャルがごそごそとスカートのポケットからハンカチに包んだナッツを取り出した。
「これ?」
「人の家の食材を勝手に使うわけにいかないでしょう」
今飲んでいるコーヒーも、キャルの持ち物だ。ミルクは買ってきて、食器は使わせてもらっている。ジャムももちろん、キャルの持ち物だ。
「タカも食べたら?」
「良いんすか?」
「お昼はギャンギャンに奢らせる」
目が据わっている。正直、怖い。
「い、頂きまーす」
男二人で、少女の差し出したナッツを恐々と摘む風景は、はたから見たら不思議だったかもしれない。
ドドーオオオォォン
「「「ぶっ!」」」
遠くで、爆発音が響いた。
思わずコーヒーを吹き出しそうになった一同だったが、何とか堪え、惨事は免れる。
「ちょ、何?!今の音!」
「やっぱり、何かあったんじゃない?こんな町で爆発騒ぎなんておかしいでしょう?」
「あ、でも、道に塞がっていた岩をふっ飛ばしてるとか?」
「そんな火薬、炭鉱の町ならともかく、こんな所で用意していると思う?」
「そりゃ、そうっすね」
口々に言い合いながら、一斉に外へ駆け出す。
家々の屋根の向こうから、煙が上がっているのが見えた。
「鞄、取ってくる!」
セインが鞄を抱え、タカが自分たちの荷物を背負って飛び出し、律儀にキャルが家の鍵を掛けて三人で煙の上がっている方向へ走り出した。
「まあ、これでキャプテンは見つけられそうっスね」
タカが頭をつるりと撫でる。
「なんで?」
「だって、うちのキャプテンですぜ?」
「ああ、そうだね。爆発自体に関わっていそうだし、関わっていなくたって、面白そうなら絶対現場に来るよね」
行動を把握されている海賊王だった。
爆発は一行がくぐった町の入り口とは反対側からだった。町の作りはよく分からないが、煙が細く上がって消えずにいるのは、何か燃えているのかもしれない。