杏の道標その1
どこに向かおうとしているのだろうか…俺はそんな事を思う時がある。
具体性も無く、主体性もない俺は身も無く蓋もなく、間抜けで。、底抜けで器にすらなり得ない出来こそないだ。
見上げてもキリがなく、見下ろしても底が無いっていうのに俺は一体何処に居るっていうんだ?
考えたところで答えなんて神様がくれる訳もなく、暗い水の中をふわりふわりと俺は漂っている…
漂うだけならまだいいんだが、これで沈み始めてみろ、多分キリがないぞ?
そんなに悲観的で苛立ちもなく虚しさだけ抱えているわけにもいかないんだ俺は、少なくとも今は先行する小岩さんの自転車を追いかけなくてはならないのだから。
町屋通りから駐輪場に戻った時には割増でお金が掛かったが、小岩さんは概ね機嫌を直してくれた様子で快調に自転車を走らせている。
というのも気を使ってくれていたのをふいにするような事を俺が言ってしまったからだ。
気難しい子なのかもしれないが、その分色々と気を利かせ、目を配れるのだろう。
ある種俺にとっては恩人なわけだが俺には何か返せることがあるのだろうか…
「吉川さん、吉川さんって学校に行ってた時って何をしていたんですかー?」
学校に行ってた時? そうだな…結構目の前のことにのめり込めるタイプだったし、部活と友達と遊んでたかなー。
「今してる事にその時の勉強は役に立ったりしますか?」
んー、役に立てようと思えばそれこそいくらでも役に立てるんじゃないか?
「え、吉川さんそれは…どういう意味なのでしょうか? あ、ここを右です。」
俺たちの自転車は段々と郊外に抜けて、市境になっている山間部へと向かっていた。 この先に何があるのかを俺は知らないしこっちの方には足を運んできたことがないので未知の領域だな。
俺もはっきり言ってやれるわけじゃぁないんだ。ただ…物事を極められる程の人間ってのは一握りでよ、ほかの大多数はそれなりのことをそれなりにやれるだけなんだ。
でもよ、その何となくやれるってことの「引き出し」っていうのかね、きっかけはなるだけ多い方が良いと最近俺はそんな風に考えているよ。
「それが勉強でも同じ事なんですか?」
んー、俺も小岩さん位の時は赤点を超えるのに必死でさ、特に暗記するやつなんてぜんっぜん意味わかんねーし、やる意味ねーななんて思ってた時もあった訳よ。
「変わるきっかけがあったんですか?」
そう…ねぇ…なんか騙されたなーって感じた時があったんだよな。
別に気にしなければ当たり前で済む事をなんで当たり前になってるんだって思った時があって…なんだたっけかな…
「思い出せないのなら別にいいんですけど、あんまり上の空で運転しないでくださいね。 嫌ですからね、折角助けた人が交通事故で…なんて」
縁起でもないことをバッサリ言うなぁ…。
にしても傾斜と緑と曲線が増えてきたけど、まだかかるのかい小岩さん?
「そんなに離れてませんよ、次に行くのは弁天様です。私よりもどちらかといえば吉川さんの方が関係のある神様かもしれませんね」
俺に関係ある神様? 何のご利益があるんだろうかと思っていたら視界の奥に周囲の建物の倍はありそうな巨大な岩山と赤い鳥居が見えてきた。
二か所連続で神社なのはここら辺が古い土地だからなのかもしれないけれど、小岩さんがするチョイスにしては地味というか…
「あの神社ですよ、まぁつまらないとかまたお寺という意見は受け付けませんので悪しからずです」
信号待ちの間にサラッとそんな事を言って俺たちの岩山に近づいていく…交差点名前が書かれた標識には羽賀福神社と書かれていた。
勿論俺はそんな名前の神社は知らないので何のご利益があるのかは分からないけどな。
「何のご利益があるでしょうか、三択問題にしましょう」
自転車を止めたところで小岩さんがこんな提案をしてきた、わざわざそんなことせずに教えてくれればいいのに…まぁ、折角なので聞いてみようじゃないか。
「それでは…
①羽賀福神社は賭け事の神様である。吉川さんはゲームとかパチンコなど好きそうなので選びました。
勝負事にはやはり勝って弾みをつけたいものですよね。
②羽賀福神社はお金の神様である。 万事に必要なものですからね、これが無くては始まりませんから、この手の運は上げて損はないでしょう。
③羽賀福神社は縁結の神様である。 吉川さんって友達ですとか会社の同僚の方に恵まれてるなって思った事ありますか? 人の縁を結んでおけばここぞという時に吉川さんを助けてくれる事でしょう。」
選択肢は全体的に当たり障りのない感だな…
それにしたってなんか俺のこと小馬鹿にしていないか?
「そんな事は無いですよ、きちんと考えた上での選択肢です」
小岩さんはほら早く選んで下さいと俺を急かす。
そんなこと言われたってなー、全部それっぽいんだけど、賭け事に金運、縁結び…これは当てずっぽうに俺が今一番欲しいものを選んでみようか。
賭け事…確かにゲームはやるがそれも分量としてはそこまで多くないし、最近は投下する熱量も多くない。
金運…いつもこいつがついて回るよな、住んでるだけで必要になるもの、上がらないけど上がってくよな…こいつは。
縁結び…ここ最近必要としてない気がするけどなんだかんだで捨てる神あれば拾う神なのかもしれないな。
俺が出した答えは縁結びの神様だった。
それを伝えると小岩さんはなるほどなるほどと頷いて答えを発表する。
「結果発表です。正解は…ででん、金運の神様です。 実はここでは面白いおまじないがあるので是非と思いましてお連れした次第です」
あらら、不正解か。
「そうですね、残念ですが。…それにしても…何故縁結びを選んだんですか? もしかしてですけど良いご縁が無さすぎて神にも縋る思いなのですか?」
悪戯っぽい顔をしても小岩さんの表情筋はそこまで活発な方ではないし口調も単調だから分かりづらい。だからといって感情が無いとかそんな事は無い。
「まー、そうですよね、そろそろ吉川さんも考える時期なんですね。ちゃっかりしてますね、吉川さん」
いや、そういう訳では無くてですね。なんか最近小岩さんとか色々とひょんなことから人間関係が広がっていってるんだ。
ま、俺は特に何もしていないから、もし神様がやってるんだとしたら感謝しとかないとなーって思っただけですよ。
素直に俺がそう答えると、小岩さんは困惑と何かが混ざった表情で小さく呟いた。
「そ、そうですか…なら煽ったのは失敗でしたね」
大人は煽るものじゃ無いからね。
「吉川さんは大人なのですか?」
それは…そうなんじゃないか? 着々と三十路に近づいてる様な年齢だし。
「年齢的にはそうなんですけれど、あの…なんというか、精神的に大人というものは一体どういうものを指すのかと思いまして…」
小岩さんのその性格だと何かと周りとのギャップが有るんだろうと思いながら俺たちは本日二度目の参道を歩いていた。
周りはほぼ緑に囲まれている為、先に参拝した八幡宮とはまた違った趣きを持っている。
にしても「大人」とはだなんて、俺には荷が重い質問だなぁ。
俺が無い頭を絞ってなんとか捻り出した答えはなんとも下らないものだった。
自分と他人は違うって分かっていればそれは大人なんじゃないかねー?
俺はふわっと空の雲に乗せる様に思いついた事を言ったに過ぎない。
ほら、俺のものは俺のもの、お前のものも俺のものはみたいな奴いるじゃない? 俺あーゆーの嫌いなんだよね。
自分が世界の中心であることを疑わないのは
小岩さんは俺の話をじっと俺の顔を見ながら聴いている。
神社の建物が見えて来た後も小岩さんから俺の例えに返す言葉は無かった。
あれ…もしかしてやらかした? なんか…気に触る様な事言った?
「いえ、きっちりした答えが戴けたのでついついきょとんとしてしまいました」
小岩さんはそう言うけど、君…きょとんとしているようには見えないんだけど。
「そんなことはありませんよ吉川さん、私はちゃんとキョトンとしていますよ? きょとーん」
全然表情筋が仕事して無いですよ小岩さん、ぼぼ真顔にしか見えないですが…
「それでは吉川さんには一つお願いをすることにしましょう」
人差し指を立てて小岩さんは社務所の前で俺に向かってこう言った。
「今日の中で一度でも私の表情を変えて下さい。ただし、不快や恐怖に怒りは論外ですので悪しからず」
いや、それについて俺に何かメリットとかはあるの?「JKの笑顔とかそれだけでご褒美ですよね?」
小岩さん、さらりとそんな事を言うのもどうなんだろうな?
疑問やら言いたい事は多々あるのだけど、小岩さんの絵の題材探しはまだまだ続く様である。