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出生権  作者: タカセ
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妻の日記

 2月1日



 あの人が亡くなって一月が過ぎた。

 まだ立ち直れない……あたしの頼みが、願いが、彼を死に追いやってしまった。

 わかんない。どうすればいんだろ。





 4月4日



 少しお腹が膨らんできた。あの人の子供だ。

 血の繋がった家族が欲しい。子供が欲しい。幸せな家庭を手に入れたい。

 私はずっとそれを願ってきた。

 だから本来は嬉しい事のはずだ……でもあの人がいない。

 何もしたくない。何もできない。

 ただ機械的に食べて、彼を思い出し、彼の夢を見る。

 ダメだと思いながらもそんな生活を続けている。





 7月7日



 あの人の親友。シンカさんが彼の友人知人を引き連れて我が家を訪ねて、毎年恒例となっていた七夕をあたしの為にしてくれた。

 この世界で私が一人じゃないと久しぶりに思えた。

 私からすれば途方もない未来の世界。ここは冷たかった。

 画家であろうが、スポーツ選手であろうが。社会に枠さえ空いていれば、必要な知識と技能。そして才覚を調整して肉体も心も作りあげそこに収まってしまう。

 ここでは誰もが死なず、自由に年齢も性別も職業も才能すらも選んで人生を楽しんで生きている。

 だけどその分他人との関係が希薄になっているのだと、異邦者である私はずっと感じていた。

 夫はそんな世界では変わり者と呼ばれる人だった。

 ランダムに選んだ肉体能力で乳幼児から始め、自ら学び、技術を身につけ必要な数値を満たして職業に就く。

 一度選んだ肉体が老いて動けなくなるまで生き、それからまた乳幼児へと若返るという。

 周囲の人たちが次々に姿を変えていく中で、あの人だけは私と同じように年齢を重ねていた。

 どうしてそうするのかと尋ねてみた時、彼は少し悩んでから答えた。



『ただ楽しむだけで済む高級レストランのおいしい料理も良いけど、私は自分で苦労して作ったまずい手作り料理の方が好きだから。次はもっと上手く作ろうと思える』




 彼は感情表現がどうにも不器用ですこし要領が悪かった。でも誠実でなにより優しかった。

 あまり交友関係が広い人では無かったが、強い信頼関係で結ばれた付き合いをする人たちがいた。



『ただで食べて飲む機会は絶対逃さないハイエナみたいな奴らだから、君は影響されないように』



 愚痴をこぼしながらも自ら料理を作り振る舞う彼はとても楽しそうだった。

 彼のそんな性格がシンカさん達を引きつけていたのかもしれない。



 今の生活がずっと送れますように



 去年までの願い事は叶わなかった。

 そして今年から吊す事にした私の願い事もかなう事はないのだろう。



 彼が帰ってきますように。





 7月25日



 七夕の日から少しだけ立ち直る事ができた。

 堅実な生活をずっと続けていたという彼が残してくれた遺産と、家事の完全自動システムのおかげで私は何もしなくても今日まで生きてこられた。

 でもこれじゃダメだ。あたしは一人じゃない。周りにいろんな人たちがいる。それにお腹の中にも。

 あたしは彼の妻として……彼の子供を産む母として、強くなろうと思う。





 8月3日



 8ヶ月目。お腹がさらに大きくなってだんだん動くのが辛くなってきた。

 でもそれが嬉しい。

 前も、その前も。そのまた前もここまで大きくなる前にあたしの中から奪われてきた。

 不自由な事があたしには嬉しい。

 精神的に落ち着いてきたのか、開き直りなのか。ようやく周囲の状況。今のあたしの立場と言う物に目を向けられるようになった。


 80年ぶりに生まれる新生児の母。


 夫の深い愛に包まれる妻。


 他の人にとっては娯楽なのだろうか、あたしと彼の事がいくつものニュースに取り上げられていた。

 ただ私がこの数ヶ月は茫然自失としていてまともな受け答えすらできる状態ではなかった為か、好意的ではあるが推測や憶測で書かれた面白味を増した記事がほとんどのようだ。

 その一方で自らの欲望の為に夫を犠牲にした異常者としてあたしを罵る記事や世論もあるようだ。

 …………あたしとしては前者よりも後者に共感を覚えてしまう。

 あたしが彼を殺したのは紛れもない事実。


  好意、悪意に関わらず、あたしがこの数ヶ月それらを知らずただ彼の事だけを考えてこれたのは、シンカさん達が防波堤となってくれていたからだった。

 ありがとうございます。





 8月12日



 今日全く予想もしていなかった人から、会いたいと連絡をいただいた。

 それは彼のお母さん。私にとっては義母に当たる人だ。

 考えてみれば全人類が不老不死を得たこの世界では、彼のご両親や祖父母所かもっと前のご先祖様が生きていてもおかしくはなかった。

 でも彼から家族の話を聞いた事もないし、ご両親が訪ねてくる事もなかった。

 ささやかに挙げた結婚式の出席者は彼の友人達だけ。

 気になって後で調べてみると、この世界では長く生きる代償か、他人との繋がりだけでなく家族との関係までもが希薄になりすぎてほとんど無くなっているみたい。

 ひょっとしたらこの世界ではお腹の子とも、あたしはいつか血が繋がっているだけの他人になってしまうのかな。

 不安がよぎったけど、気を強く保とう。

 変わり者だった彼と、この世界がおかしいと思うあたし。

 二人の間に生まれる子供なんだから、絶対に大丈夫だ。

 ともかく彼のお母さんに会ってみよう。出産経験がある女性は私の周りにはいなかった。いろいろ手助けして貰えたら嬉しい。





 8月31日



 今日退院した。もう嫌だ……





 9月20日



 死にたい。このおかしな世界の全てを無くして、あたしも死にたい。

 でもこの世界では助かってしまう。死ぬ事ができない……





 10月1日



 ……出産予定日……だった日。

 あの夏の日。あの女の用意した飲み物に含まれたナノマシーンによって、あたしと彼の子は分解されあたしの中に消えた。

 彼女があたしに殺された息子。彼の敵を討つ為だったのなら、お腹の子を産むまで待って欲しいと懇願し泣き叫び、あたしは死を受け入れていたのかも知れない。

 だが違った。彼女は消極的進歩派と呼ばれる考え方にどっぷりと嵌った科学者だった。

 この世界の歪みの根源。

 人類調整法。

 人の数を限界数に調整する事で、地球環境の悪化を食い止め保とうとする法律。

 今世界には彼がいない。

 世界を統括管理する地球圏管理コンピューター『M・H』の計算能力は彼一人分だけの余力がある。

 その一人分の余裕。それを停滞した科学技術開発の為。

 人類が再び発展する為に使おうとする。それが消極的進歩派だった。

 科学者の彼女からすれば、せっかくできた余力を新しい子供の為に使う事、それもその子が自分の血を引く事が許せなかったそうだ……




 11月14日



 たのしい。たのしい。かれがかえってきた。

 またふたりでくらしていける。これからずっとだ。





 11月22日



 かれがふたりにふえた。いっぱいいっぱいあいしてもらった。




 11月24日



 ひごとにかれがふえていく。ずっとあいしてもらっている。

 あすはもっとかれをよんでやるよ。

 かれがいっていた。

 たくさんあいしてもらえる。うれしい。




 12月9日



 自分に対する嫌悪感で潰れそう。

 彼との思い出が詰まった家で最低な裏切りをしてしまった。




 12月10日



 シンカさんにバーチャルソフトを全て取り上げられた。

 普段は巫山戯ているがこの人は怒ると怖いと彼が言っていた意味を昨日初めて知った。

 怖くてまともに目を合わせる事ができない。

 でもシンカさんが来てくれなかったらあたしは今日も彼の幻想を見て、名前も顔も知らない他人達に、彼が育て愛してくれた身体を晒していた……



 12月22日



 家中の掃除と片付けがようやく終わった。

 自動機械に任せれば一時間もかからない。でも全部自分の手でやりたかったから。

 …………今からあたしが正気を失っていた間の防犯記録映像を見るつもりだ。

 自分がもっとも見たくない物を直視する事になる。

 でもあたしは知らなければならない。





 12月27日



 愚かで浅ましいあたしを、誰か罰して欲しい。

 彼以外に身体を委ね嬌声を上げる愚劣で醜悪な物。それがあたしだ。





 12月31日



 明日は彼の一回忌。

 あたしは初めて精神調整をうけ記憶の消去もしようと思う。

 彼を愛する資格も、彼を思う資格もあたしにはない。

 この家も出て行く。

 彼が残してくれた出生権は、シンカさんに譲るつもりだ。

 今日は最後の日。あの部屋で眠りにつこうと思う。

 彼が死んだ日以来、一度も足を踏み入れなかった場所。

 狂っていた日々もそこだけは誰にも荒らさせなかった。

 あたしにとっての聖域。

 彼の寝室で最後の夜を過ごす。

 最後の最後まで彼に甘えてしまう自分はなんて醜いんだろう。





 1月1日



 彼がいた……





 1月2日



 ただ読む。読み続ける。彼の思いを。彼の言葉を。


 どこかで一つ鍵が開いた。




 1月3日



 あたしの知らない彼がそこにはいた。

 でもそれは紛れもないあたしの知っている彼だった。


 また心の奥底で鍵が開いた。




 1月27日



 あたしと彼が初めて出会った日にようやく辿り着いた。

 泣きわめくあたしを見ても冷静で落ち着き払っていた彼が、内心ではこんなに困惑していたとは思わなかった。


 また鍵が開く。それは記憶の扉の封印。




 1月28日



 彼は驚くほどにあたしをよく見ている。

 時には褒め、時には叱り、なんの縁もないあたしを家族として育ててくれた。

 常に気を使い、あたしを大切にしてくれている。

 彼がここまで優しかったのは、彼も寂しかったからだと思う。

 周りはどんどんと変化していく。

 容姿だったり才能だったり職業や性別。

 ありとあらゆる物を自分にとってその時興味のある物に簡単に変える事のできる世界。 

 だけど彼はゆっくりと自分の手で少しずつくみ上げていく事が好きだった。

 そんな彼の元にあたしが現れた。

 不老不死などまだ夢のまた夢の世界。

 夢を叶える為に一つ一つ努力を積み上げていくのが当たり前の時代。

 彼から見れば太古の世界。

 21世紀初頭の日本で生まれ育ったあたしが。


 鍵は残り僅か。日記を読み終えると共にあたしは全てを思い出す。





 1月30日 



 彼の最後の言葉を読んだ。

 最後の最後まで彼はあたしの事を思っていてくれた。

 あたしの事を愛していてくれた。

 ずっと覚えていて欲しいと願ってくれた。

 あたしは……彼を取り戻さなければならない。

 彼との子供を。お腹に宿っていたあの子を取り返さなければならない。



 思考記憶封印の扉は完全に開いた。

 あたしがなぜ遙か未来のこの世界にいるのか。

 度重なる妊娠中絶で子供を産めなくなっていたあたしの肉体に、なぜ生殖機能が再生していたのか。

 本来この世界の住人でないあたしの戸籍と個人情報が存在したわけ。

 無意識に考えないようにしていた事柄とその理由、そして答えをあたしは思い出していた。




 あたしはこれから長い長い時を生き、全ての夢を叶えなければならない。



 あたしは全人類に苦しみを与え、希望を授ける聖女にならなければならない。



 あたしは全人類に快楽を与え、堕落させる魔女にならなければならない。 



 カナタ・キリシマの妻であるマイカ・キリシマではないもう一人のあたしになる為に。

 地球圏統合管理コンピューター通称『M・H』 正式名称『舞香・長谷川』となり世界を統べる為の戦いを始めよう。

   

 全ては彼とあたし。そして子供と3人での幸せを手に入れる為。



 でも今日だけは……あの人をカナタさんを思い眠り……

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