05 彼女との出会い
俺が始めて佐川さんに会ったのは、中学校に入学して一週間もたっていない時期のことだ。
その時俺は、移動教室で困っていた。
移動教室。 小学校のころからある授業スタイルの一つだろう。
その授業で使用する、専門的な設備が整っている部屋を使うために、教室を移動する。 例として、理科の実験のために理科室、音楽の騒音を防ぐために音楽室などなど。 なんて実利的で効率的な授業スタイルであろうか。
ただ、その移動が不便な人間にとってはひたすらにめんどくさい授業と言えるのだけれど……。
視覚障害を持つ俺にとって、この移動教室というものはめんどくさいものだ。 慣れない場所なら道則や場所が分からない、目的地までの道で人を避けるのが難しい、誰かに連れてってもらうのならその人を探すのが難しい、等々。
そしてこのとき。 入学して間もない校舎で、俺は道に迷っていたのだった。
「やばい……。理科室の場所がわからない」
さっき職員室で手引きを断るんじゃなかった……。
ちなみに手引きとは、視覚障害者に肘や肩なんかを持ってもらって、一緒に歩いていくことをいう。
俺の立場からの説明なら、肘や肩を持たせてもらって、そのまま一緒に連れて行ってもらうというのが正しいだろうか。
まあつまり、俺は先生の案内を断ったというわけだ。
だってしゃーねーじゃん?
別に俺の特別支援担当の先生でもなかったし、忙しそうだったし、入学してすぐだからお前誰? 状態だったんだからさ……。
名前もわからない人に迷惑をかけるのは、なんか嫌だったんだ!
まあそんな事言っても、それで道に迷ってんじゃ本末転倒だわな。
さて、反省と後悔を一通りしたところで、この状況をどうにかしなければならない。
……どうしよう?
兎に角、職員室や特別支援室なんかに行って教師に助けを求めるにも、このまま迷い続けて「理科室求めて三千里」状態になるにも、今の状況を生理しよう。
一つ。 ここは二階である。 理科室が何階だったかは覚えていない。 ヒャッハー!
二つ。 俺は現在白杖を所持していない。 なぜなら屋内で白杖を持ち歩かないし、屋内では使うと周りの人の邪魔になるからだ。
それに、俺は一人で屋内を歩くだけならそこまで問題では無い。 まっすぐ歩けないわけでもないし、人が歩いてくるのもだいたい気配や音で分かる。
そして、周りの人間が、俺自身(人)がぶつかるのと、白杖(棒)で叩かれるの、どちらが嫌かといえば、棒で叩かれる方だろうと思っているからだ。 少なくとも俺は棒で叩かれたくは無い。 それならぶつかって謝ってもらえるほうが何倍もいい。
そういうわけで、白杖を持っていない言い訳は終わりだ。
三つ。 周りの人は先輩ばかり。
人見知りの俺にどうしろと?
ここは二階、つまり二年生の教室ばかりの階だ。
この学校は一学年五クラスあり、一年生が三階に、二年生が二階に、三年生が一階にという教室の配置になっている。
入学前の校舎案内のときにそう教わり、学年が上がるほど教室に行くのが楽なんだなあとおもったから、印象に残っている。
まあ状況としてはこんなもんだろう。
付け加えるとすれば、休み時間の残りが五分も残っていないはずだ。 時計が無いので正確なことは分からないが。
さてさて……。 マジでどうしよう?
職員室に引き返すのはかっこ悪いし……。
「いや大丈夫っすよ! ありがとうございます!」
なんてかっこつけて出てきた手前、少し恥ずかしい。
「すんません……。 やっぱわかりませんでした、テヘペロ☆」
ってのりで戻っても、別に問題は無いけれど……。
後々、自由行動がめんどくさそうになるというのが予想できるのがこの選択肢を渋っている理由だったりする。
自信満々で出て行って、すぐに道が分からないからという理由で帰ってきた奴に、今度から自由に歩き回らせてくれるかといえば、微妙だろう。
先生の案内がずっと付くのは、正直うっとうしい。 友達の中に混ざりにくくもなるし、行動が制限されるというのが何より痛い。
というわけで、この選択肢は却下だ。
特別支援学級まで行くのは、職員室に行くよりは全然いい。
ただ、どちらも教師に案内を頼むことに代わりはないので、後々どうなるか予想が付かないというのが難点だ。
プラス、ここから特別支援学級に行くのも、まためんどい。
「まいったなあ……」
「ねえ、君、田村君であってたっけ?」
「はえ?」
いきなり後ろから声をかけられた。 ……ような気がする。
こんな声の人に覚えは無い。
けれど、俺の名字を呼んでいるのだし、俺に声をかけていると判断していいだろうか?
「ごめんなさい、俺のことですか?」
俺の事を呼んでいるのか判断ができないので、確認の意をこめて尋ね返す。
こういうとき、視覚障害というのは不便だ。
相手が誰に声をかけているのか確信を持って判断できないし、声をかけてくれた人がどんな人であるかの判断ができないからだ。
声質からして、相手が女であるということだけはわかる。異様に声の高い男子で無ければだが……。
「うん、君だよ。田村君で、合ってた?」
「はい、僕の名字は田村ですけど……。貴方は?」
「そう、よかった。私は佐川咲希、田村君と同じ一年生だよ。だから敬語じゃなくていいよ?」
同級生? なんで二階に?
まあ何らかの用事が在ったのなら別におかしくは無いか。
「なるほど一年生だったのか……。なら遠慮なく敬語は無しで……。
ちなみに何組? 俺は一組だけど……。
それに俺の名前をどこで?」
「三組。名前は名札が付いてるじゃない」
「なるほど、確かに付いてたよ。で、佐川さんはどうしたの?」
「君、何か困ってなかった?」
「え? いや確かに困ってるけど……どうしてわかったの?」
「今日お姉ちゃんがお弁当忘れて行ったから、さっきそれを届けにいったの。
それで、お姉ちゃんの教室すぐそこで、お弁当わたすついでにお姉ちゃんと話してたら、この階段の近くで困った顔した君がずっと見えてたってわけ。
で、帰るついでに、どうしたのかなあっていう好奇心で声をかけてみたの」
なるほどな……。
二階に居たのは、兄弟(この場合は姉妹が正しいかもしれない)が居たのなら納得できる。
ただ、困った顔してる人が居るからって、普通声かけるものなのか?
まあ、それで助かったのだから文句を言う権利は俺には無いのだけれど……。
せっかくだ、その善意に甘えさせてもらおう。
「なるほどね……。 ありがとう、確かに困ってるんだ……。
次の時間理科室に行かなきゃいけないんだけど、どこか分からなくて……。 理科室って何階だっけ?」
「理科室ね? 四階だよ! ちなみにここは二階ね?」
「四階だったのかあ……。 ありがとう、助かったよ。
ちなみに、休み時間って後何分くらいかって分かる?」
「後五分くらいだよ。 田村君、理科室までの行き方分かるの?」
「……多分?」
正直微妙だけれど、佐川さんにこれ以上迷惑をかけるわけには行かない。
「多分て……。 理科室まで連れてってあげようか?」
「いや、いいよ、ありがとう。 佐川さんにも悪いし……」
「本当に大丈夫なの??」
「大丈夫だって! ほら、何階かも分かったし……大丈夫だって!」
「なんかとっても不安だから連れてってあげる」
え? やばい、ミスった……。
確かに俺は隠し事苦手って言われるけど、ここで対応ミスするとは……。
けど、なんで彼女声に笑いが混じってるんだろう? これって気のせいかな?
「いやほんとにだいじょうぶだってありがとう」
「そんなに慌ててたら、すぐ嘘だってわかるよ。 それとも私じゃ、嫌?」
うっ……。 そんな言い方されたら断るのも断れないよ……。
「いや、全然嫌じゃないけどさ……。 今からだったら時間かかって佐川さんが授業に遅れちゃうし……」
「大丈夫だから! こんなやり取りしてるほうが二人とも遅れちゃうよ!
じゃあ理科室でいいんだよね? 手、貸して?」
「え!? ちょ、ま」
彼女の柔らかい手に手を引かれ、こっちこっちと歩き出した佐川さん。
手引きはありがたいけど、この形はちょっとまって!!
これ周りの人が見たら勘違いするからっ!!
「ちょっと! 手繋ぐのはほんとに待って! お願い、手じゃなくて肩貸してくれない?」
「肩?」
「そう、手引きって言って、視覚障害者が案内してもらうときは肩か肘の上を握るようになってるんだ。
だからできれば肩がいいなあって……」
「ふーん、私と手繋ぐの嫌なんだ?」
「違う違う違う意味違う!!
別に佐川さんと手繋ぐのが嫌なんじゃなくて、周りの人が勘違いとかしたら佐川さんにも迷惑かかるから!」
「なるほどね……。 じゃあ、別に勘違いされてもいいから、このまま行こっか?」
……こ、こやつ悪魔か……。
いや、確かにそう言われればそうなんだけど! そうなんだけどさ!
それに、本当に純粋に俺と彼女がそういう関係だとはやし立てられるだけなら、良くないけれど、まだいい。
これに、視覚障害者がという一文が加わるだけで、意味合いがかなり変わってくる。
こうなると、彼女の純粋な行為で彼女を傷つけることになる。
彼女とのやり取りからして、それに気付いてるみたいだけど、なぜそれを無視しているのかが分からない。
それを俺がここで説明するわけにも行かないし……。
うーっ! やっぱ悪魔だこの子!
「まあ冗談はこのくらいにしとくわね。 じゃあはい、肩持って?
もうあまり時間無いから急ご?」
「冗談だったのかよ! かなりあせったよほんと!
……てか時間無いならほんとにいいよ? 自分でどうにかできるから。 どの階かもわかったし……」
「いいの! 私が声かけたんだから、ね? 私の仕事でしょ?」
「仕事ではないとおもうけど……。 そっか、ならお願いします」
「はーい、承りましたー」
そう彼女はちゃかして、僕を理科室まで連れて行ってくれたのだった。
このとき、ただ移動教室を助けてくれただけだったけれど。
その時の彼女との会話が、とても印象深く。
彼女という存在が気になるようになったのだ。
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