第5話 死神の刀
第5話 死神の刀
「確かに生きてた頃は奥さんも子供もいたよ、これでも一応戦国武将だったし。
でも俺、もう死んじゃったし…とっくに縁も切れてるよ」
「え…死んだて…」
ちゃんと触ってる感触あるのに。
体温も匂いも確かにここにあるのに。
「ここに書いてある通りだよ。俺は井伊直政、死んだ男」
井伊直政なる死神は私にスマートフォンを返した。
「と、言う事だから、俺は堂々と富久ちゃんを口説くんで」
「嫌や」
「あ、俺の過去の奥さんに嫉妬してる?」
「誰がや」
「…いいよ、過去に行って奥さん殺しても。それが愛の証しになるんなら」
井伊直政は指で何もない宙に四角を描いた。
すると、そこに白いドアが光って浮かび上がった。
「ついて来て、自分の目でちゃんと見て欲しい。
俺が本気だって事、男が本気で惚れた女のためにする事を」
井伊直政なる死神は、私の手を引いて白い扉をくぐった。
扉はすぐに消えてなくなり、退路を完全に塞いだ。
「どこへ行く?」
「天界を経由して戦国へ…」
扉の向こうは白い階段がどこまでもどこまでも、長く続いていた。
私は途中でへばってしまったが、井伊直政なる死神は全くへばる気配もない。
あいつ本当に死神なんだ…。
「やっぱ女の子にはこの階段はきついか」
井伊直政なる死神は途中でしゃがんで、私に背中を差し出した。
「ほれ、乗って乗って」
「うー…」
私はしぶしぶ彼の背中にしがみついた。
井伊直政なる死神は私を背負って、長い階段を登った。
途中にかかる雲を抜けて行く。
ずいぶん高くに行くんだな…天界って言ってたっけ。
私、死んじゃうかな…。
だって私は死神を見てしまったのだから。
階段を登り切ると、白い花畑がどこまでも無限に続いており、
遠くにぽつりぽつりとやはり白い建物が建っているだけだった。
暖かい風に乗って、花の甘い香りがする。
気持ちのいいところだ。
私たちは花畑の中で休憩した。
「あ、そうだ」
井伊直政なる死神は花畑の花を摘み始めた。
そして出来上がった花束を私に差し出し、にっこりと笑った。
「あげる、富久ちゃんに」
いいおっさんが目をきらきらさせて、子供かよ。
「えー、要らん」
「なんで? 男は女に求愛する時に花束を贈るんだよ、いつの時代も」
「要るか! よく見たら仏花やんか! 井伊直政ぶっ殺す!」
私は花束を投げ捨てた。
取れた花びらが散って舞い、雪のように降って来る。
井伊直政なる死神は、花の中の私を見て言った。
「…きれいだよ、富久ちゃん」
「嬉しいない」
「嬉しくないの? 女の子なのに。やっぱ富久ちゃんのそういうとこ好きだな。
でも君は女だよ…俺は男で君は女、そのうち嫌でも思い知る。
その時初めて君は心から男を求めるだろう」
そんな事思い知りたくもない。
だって、私の男はおとんだけなのだから。
それから荷物を天界に預けて、
井伊直政なる死神の後について、白い花畑を端から端まで歩き、
着いた端で彼に抱きしめられたかと思うと、下へと落ちて行った。
あんな高いところから落ちたというのに、ちっとも怖くなかった。
井伊直政がずっと抱いていてくれる、そう思ったから。
この男と恋に落ちる事はないけれど、いつか誰かと恋に落ちるならば、
それはきっとこういう風に落ちて行くのだろう。
地面がいよいよ近づくと、井伊直政なる死神は大きな黒い翼を背中から出し、
ふわりふわりと宙を舞いながら林の中にそっと着地した。
マジかよ、ガチで死神過ぎる…。
「富久ちゃん伏せて」
井伊直政なる死神は私の頭を押さえつけて、低い姿勢を保ったまま、
薮の中をそろそろと進んで行く。
私もそれについて、そろそろと薮を進んだ。
「どこやの、ここ」
「高崎、ここはもう井伊家の近くだから。護衛に見つかったら殺される」
井伊直政なる死神は止まると、地面に細長い四角形を描き、
天国の扉を呼び出して、そこから1本の赤い鞘に収まった日本刀を取り出して、
その刃で自分の薬指を切って、血を刀身に垂らした。
青い血…!
「刀に魔法を込めるのは初めてだから、前の死神みたいに上手く行くかわからないが…、
使ってよ、自分を守るために」
井伊直政なる死神はそう言って、私にその刀を差し出した。
「あ、ありがとお…」
私はお礼を言って刀を受け取った。
死神の刀…確か鹿児島の揚弘おじさんが使う刀も、死神の刀だって言ってたな。
これは死神が自らの血を入れて作った刀だって。
鹿児島でその刀を見た事もあるけど、この刀はそれと同じくらい長い。
揚弘おじさんの刀が本物かどうかはわからない。
でもこの刀は今、井伊直政なる死神が自らの血を入れて作った。
私は信じる、この刀こそ本物だと。
「俺は行く、隠れて待ってて」
更に進み、山の中にある隠し通路を通って内部に侵入し、扉の前に出た。
扉の先は奥さんのいる部屋のそばだと、井伊直政なる死神は教えてくれた。
「…なあ、ほんまに殺るんか?」
「殺る、俺は元妻を殺して俺の心を見せる」
「それて犯罪やん、あかんやろ」
「構わん。それが恋だ、人を思うってそう言う事なんだよ。
俺は殺る、俺自身のために。富久ちゃんに愛してる、そう言うために。
…かつてお前のおとんがそうしたように」
「え…」
井伊直政なる死神は大鎌を手に、私の横をすり抜け扉の向こうへと行ってしまった。
おとんもそうしたように…おとんも殺したの?
おかんに愛してると言うために、元の奥さんを殺したの?
おとんはそんなにおかんの事欲しかったの?
どたんばたんと凄まじい音がして、たくさんの悲鳴が聞こえた。
…だめだ、殺るな井伊直政。
殺すな、殺したらお前は犯罪者だ。
殺すな、井伊直政…!
「井伊直政待てコラ、殺すなやボケが!」
私は扉をがばりと開けて外に出た。
そんな私の前を刀が塞いだ。