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第39話 きみは魔法

第39話 きみは魔法


炎をかき分けて城の中に入ると、そこには忠恒がひとり座り込んでいた。


「忠恒…」

「富久ちゃん…こいは嬉しか。最後に富久ちゃんの顔ば見られっとは」


忠恒は笑った。


「アホか忠恒、死ぬつもりか!」

「富久ちゃんは何もわかっちょらん」


忠恒は着物の襟を開いた。

私は忠恒の腕を掴んだが、忠恒はそれをふりほどいた。


「島津ば潰らかすっちゅうとは…主君自らが島津討伐に手ば貸すっちゅ事は、

おいが死っちゅ事じゃっど、島津ん当主んおいがけ死なんと討伐は成功せん」

「そんな…忠恒!」

「おいはけ死ぬ事などちいとも構わん、富久ちゃんがためなら嬉しか事。

おいも富久ちゃんも島津ん男…富久ちゃんはおいが命ば糧にしっせえ、生きっせえ、

徳川ん譜代筆頭になったらよか、おいは初めて心から願う…」


忠恒は涙を流す私の頬にそっと触れ、目を閉じた。

忠恒の唇はいつになく熱かった。

これが忠恒という男か…男の中の男、本当に見事な男だ。

井伊直政を知る事がなければ、私は間違いなく彼に恋した。


「…富久ちゃんはまこち恐ろしか魔性んおなごじゃっどね。

富久ちゃんが幸せ、おいはそん事だけ純粋に祈うちょっ。

男にそげん事まで思わせっから、愛がためにけ死なせっから。

富久ちゃんは禁忌ん存在、魔法じゃっど…」


忠恒は私を抱いて目を眩ませ、その片手で自分の腹を割いた。



二晩を泣き明かし、その後も涙がちに過ごした。

島津を討伐した功績は大きく、私は譜代の筆頭に取り立てられた。

そして直姫との婚儀も正式に決まった。

もう誰も私の進路を阻む者はなくなった。


そんな折、私は榊原どんを見送った。

6月のことだった。

遠征から戻ったあと、ずっと彼は寝付いていた。

私が榊原どんの歴史を変えて、寿命以上に永らえさせてしまったのだ。

学校の教科書では、確か彼はとっくに亡くなっているはずだった。

葬儀には直姫もお忍びで参列しており、私以上に泣いていた。


「康政、逝くでない…俺をひとりにするつもりか」


直姫は榊原どんを「康政」と名前で呼ぶ。

彼女は井伊直政なる死神の魔法。

きっと彼女の中に残る井伊直政の記憶がそうさせているのだ。

前世での友達の死は何度追体験しても悲しいのだろう。


私は榊原どんの死に顔に彼の恋を思った。

私の野心のために、彼を恋という地獄に突き落とし、その恋心を利用した。

私が将軍のお手つきになった時、榊原どんはどんなに苦しんだ事だろう。

それなのに彼は…榊原どんは私の腹の内などお見通しだったのかも知れない。


忠恒もそうだった。

承知で私の企みに乗った。

私の何もかもを知り抜いて、その上で私と地獄を歩いた。

彼らの愛はなんと深いのだろう。

私は自分のした事を悔いた。

胸の痛みは涙を絞り出し、慟哭へと変わっていく…。



直姫との婚儀は盛大で、徳川の将軍もたいそう喜んで祝ってくれた。


「どうだね富久殿、直姫は見事な女人であろう」

「はい、私などとても敵いませぬ」

「家中でもそなたが直姫の尻に敷かれていると噂になっておる。

しかしながらそなたも立派な大人になった、末がいよいよ楽しみになって来た。

私はそなたの活躍をもっと見たい、いつか年老いたそなたが、

この徳川家の大老として天寿を全うするのを見届けたい…!」


上様の愛もまた忠恒や榊原どんと同じく深かった。

私も上様に申し訳なく思う。


「そのような…私は地位も領地も何も要りませぬ、何も求めておりませぬ。

ささやかな身なれど徳川のお役に立つ事、それだけを望んでおりまする」


昔ならば男を落とすために言った台詞だ。

でも今は彼らの愛に応えたい、心から言う。


「では富久殿…結婚も昇進もした事だし、ひとつ領地を移ってみぬか。

新しい領地は京のほど近く、西日本が一丸となってそなたの敵になるぞ…!」

「は! 必ず…必ず、お役に立ってみせまする!」


それからの日々は楽しいものだった。

妻となった直姫や家臣の巨乳眼鏡っ娘たちと共に、京の近くの新しい領地へ移り、

城も新しく建てて、西日本の外様らと武力ではなく駆け引きで戦った。

私の戦国は島津討伐で終わった。

島津の一族は滅び、忠恒は亡くなり、おとんも最近亡くなった。

残る島津は徳川の家臣である私だけだった。


最終的に将軍は私を大老にまで取り立ててくれたが、

彼の深い愛情に報いたいだけで、その他は本当に何も要らなかった。

家を再興したい訳でもない、成り上がりたい訳でもない。

ただ愛に応えたい、それだけだった。


「…なぜ何も要らぬのだ、大老の職だってこの城だってすごいのに」


夜、妻は私の背中を抱いて言った。


「私はそなたが…死神の魔法があれば、それを頼りに生きていける」


私は妻の手を自分の左胸に当てた。

冷たい手だ、まるで生きた人でないような。

君は魔法、でも魔法は魔法。


「殿は年を重ねても、男のなりをしても、中身は少女のままだな…。

今夜は俺が男になるよ、大丈夫…俺は魔法の姫君、マジカルプリンセスてやつだから」

「馬鹿な、そなたは女人ではないか」


妻は私を抱いて白い塊になり、暗闇にぼうっと浮かび上がった。

妻の肌は冷たく香る。

私がまだ少女だった遠い昔に嗅いだ、獣のような、香辛料のような、深い香りがする。

妻は女人でありながら、男の匂いがする…。


「…そなたはいくつになられてもお若いままだな、それも魔法なのか?」

「俺だって本当はちゃんと歳を取りたい、殿と一緒に歳を重ねたい。

でも俺はマジカルプリンセスの名の通り、魔法だから…。

殿は本当に欲張りだな、何が欲しい?」


私はこの世界に何も求めない。

私が欲しいものはいつだって別の物だった。

たったひとつ、それだけだった。


「…何も要らぬ」


私が欲しいのは死神の魔法ではない、死神そのものだ。

井伊直政、あんただけだ。


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