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第2話 井伊直政なる死神

第2話 井伊直政なる死神


それから私は忠恒の女子力MAX部屋で、すっかり夜になるまで泣いていた。

忠恒は何も言わず、ただ黙って私の隣にいるだけだった。

家に帰ると、おとんが先に帰っていた。

おかんは仕事中らしい。


「おかえりい富久、今夜は暑いから富久に大好評のちらし寿司やでえ」


おとんは寿司桶の飯をうちわであおぎながら、笑顔で私の帰りを迎えた。


「あ…ごめん、忠恒んとこで食べて来たわ」

「えー?」


私は気まずくて、部屋へ駆け込んだ。

眼鏡をはずして枕元に置き、ベッドに横たわる。

おとん…ずっと辛かっただろうに。

話せない秘密をずっと抱えて辛かっただろうに。

私はおとんの事を思って、また涙をこぼした。

そこへドアをこつこつノックする音がして、おとんが入って来た。

私はあわてて涙を拭いて隠した。


「お腹空いたら食べやあ」


おとんは持って来たちらし寿司のお盆を勉強机の上に置いた。

こうして見ると、おとんは普通のおっさんだ。


「どないしたん?」

「なんでもない」

「目えが赤い、泣いとったんやろ…学校の男の子にふられでもしたんか?」

「ちゃう、あたし男なんか要らん。男はおとんだけ、おとんだけやもん…」

「アホお、そんなんやったら彼氏出来へんで?」


おとんは笑って、私の目の縁の涙を指で拭いてくれた。

私は寝たまま腕を伸ばして、おとんの首に絡めて引き寄せた。

おとんの額に、頬に、唇の雨を降らせ、熱に浮かされたようにうわ言を言う。


「おとん、どっこも行かんといて…ずうっとずうっと富久の側んおって。

富久はおとん大好きやで、富久ん愛はみいんなみいんなひとつ残らずおとんのもんやで。

…たとえおとんが罪人なっても」

「えっ…どうして…」


しまった。

私はあわてて手で口を塞いだ。


「聞いてもうたんか?」

「ごめん…忠恒んとこで…」


おとんはベッドの端に腰掛けた。


「おとんはな…なんでもすんねんで。おかんと富久のためやったら、

おかんと富久が大好きやから、それ守るためやったらなんでもすんで、

…それが罪かて、それで死んだかて」


そう静かに言って、おとんは私の額を撫でた。


「なあおとん…名前、島津幸弘やないてほんま? 

島津豊久て何? そんな人知らん…」


私はおとんの手の優しさにまた涙をぼろぼろとこぼして泣いた。


「…おとんは島津幸弘、島津幸弘やから。

大丈夫やで、豊久とか悪い奴はみいんなみいんなおとんがやっつけたる。

安心しとき、島津豊久なんかおとんがやっつけたるから」


おとんは微笑んでそう言ってくれるけど、なんだかすっきりとしない。

おとんが部屋から出て行ってまたひとりになると、私はベランダに出て、

島津豊久の事を考えていた。

あの時義弘じいちゃんは、確かにおとんの事を島津豊久と言った。

もしもおとんが本当に犯罪者なら、名前を変えるのも当たり前だ。

島津豊久、それがおとんの本名なのだろうか。


夏の蒸し暑い夜に熱を孕んだ風が吹いて、私の髪をかき分けて行く。

遠くにはおとんの言う「ねお薩摩」の森にいる無数の命が、

蛍のように舞い乱れて、夜を眠らないのが見える。

そうやってしばらく遠くを眺めていると、ふと誰かの視線を感じた。


視線の源を探すと、ベランダの下のマンションの庭に男がいた。

黒い、フードのついたマントを着ており、風でフードが外れてその顔が露になる。

おとんより少し若いだろうか、濃いめの整った顔をしていた。

癖のある黒髪が風に乱れながらその顔を縁取っている。

少々歳を取ってはいるが美しい男だ、でもその手には柄の長い大鎌が握られていた。

まるで死神のようだな、そう思って私は彼をじっと見ていた。

すると彼の方も私に気がついて、私の目をじっと覗き込んで、それから笑顔になった。

…思わずどきんとしてしまった。


「どうしたお姫さま、男を初めて見たかい?」


男はいたずらっぽく指で私を誘った。


「そんな訳あるか!」


私は部屋に駆け込み刀を持ち出すと、眼鏡をポケットにしまい、

刀をくわえてベランダの柵を乗り越えた。

私は建物の縁を蹴って、大きく空中へと飛び込んだ。


「こん変質者が! 待っちょれ貴様!」

「ちょっ…バカか! そこ10階だろ!」


男は黒い大きな袖を伸ばして、落ちて来る私を受け止め、

その衝撃で地面に倒れ込んだ。

気がつくと、私は男の胸に抱かれて上になっていた。

香木や香辛料の混じった、香水のような深い匂いがする…。


「…よかった」


男は目を開けて、私の顔を覗いた。

驚いたような、ぼんやりしたような顔をした。


「貴様、このマンションに何の用だ」


私は男の上に馬乗りになると刀を抜いて、切っ先を男の喉に突きつけた。


「島津義弘、いるだろ」

「なんだ、義弘じいちゃんの知り合いか。てっきり変質者て…」


私は刀をしまって立ち上がり、ポケットの眼鏡を出してかけた。


「天界死神課新仏送迎1係、井伊直政第3代死神正。誰が変質者だ」

「い、井伊直政…?」


また戦国武将と同姓同名かよ。

義弘じいちゃんの「島津義弘」と、忠恒の「島津忠恒」、

3人も揃うとかどう考えてもおかしいだろ。

井伊直政が死神とかどう考えてもおかしいだろ。

しかも3代目かよ、死神も世代交代するんだ。


「うん、井伊直政。死後、天界で新しい仏様を送迎するお役目に志願して、

いっぱい功績貯めて、試験に受かってやっと3代目死神に昇格した」


井伊直政と名乗る死神は地べたにあぐらをかいて座った。

やばい、こいつ頭おかしいかも。

私はあまり刺激しないようにその場を去ろうとした。

その時、井伊直政と名乗る死神が私の腕を引いた。


「…行くな。せっかく会えたんだ、もっと一緒にいてほしい」

「は?」

「惚れた。君みたいな勇ましい女はどこにもいない。

今惚れたぞ、俺は君に惚れたぞ」


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