久遠の草原を歩け!
指輪をつけるは誤用らしいですね。
中央王国は、かつての大戦争下において、魔力を弾丸にして放つ魔銃によって敵国を破壊し続け、瞬く間に大陸一の国家となった。だが国際条約によって現在魔銃の製造・保持は禁止されており、今や中央王国に全盛期の力はない。
だというのに、どうして中央王国に攻め入る国家が現れないのか。勿論条約もあるが、さらなる要因がその地理にある。
少年と少女、賢狼は見渡す限りの草原を歩いていた。目印となるような木は無く。緑の地平線がぐるりと一行を囲うのみ。
久遠の草原。中央王国の北西部を覆うように座するそれは、超広大な幻惑魔法のかかった地である。
「おい。もっと高く」
「ふざけんな……」
「貴様らのためであろう。文句を言うなら……」
「はいはいすんません!」
少年は会話を遮るかのように、賢狼を抱き直した。ふかふかの毛が少年の顔を覆う。
「んべッ!」
「うるさい奴め……」
少女は砂漠のオアシスを出発して徹夜明けの頭のまま、それをぼんやりと視界の端に眺める。
「(いいなあ……)」
なんて言えば賢狼持ちの役が回ってくるのは自明の理で、この疲労の中枷を増やすことなどはしない。
「むっ。そっちか」
「どこだよ」
賢狼が見つけたようなので指示に従って行くと、やがて一行の前に落とし戸のようなものが現れた。
「よいしょ」
だが扉を開けるのではなく、少年と少女は二人がかりで落とし戸と思われていたそれを立てる。そして扉をそっと押した。少し開いたかと思うと、ひとりでに動いていく。
そこには、物理を無視した白と金の豪華絢爛な部屋、というよりも宮殿が広がっている。磨き抜かれ鏡のような大理石の床。踏み入ることが躊躇われてしまう。
「なにしてんの?」
どうやら少年にそのような躊躇はないらしく、立ち止まっていた少女を不思議そうに見ていた。慌てて少女は足を踏み入れる。
すると扉は閉まり、やがて壁に溶け込んでいった。
一行は不気味なほどに静かな宮殿を奥へ進んでいく。ときおり窓から見える景色は草原ではなく、丘や海、市街地や火山など多岐に渡る。この宮殿自体にも幻惑魔法がかかっているのだ。
振り返ると明らかに元来た道ではなく、目の前にはいつの間にか扉が現れていた。
少年が開けると、そこは無数の階層からなる書庫。吹き抜けを見上げても、終わりが見えない。
「久方ぶりだな」
声の方へ目をやると、高く積み上げられた――崩れているものもあって山のような――本達の上に座る男が一人。片手に本を読んでいる。
彼こそが久遠の草原を創った張本人。大陸最強の魔力を持つ賢者。
「賢狼」
「ご無沙汰しております」
賢狼は賢者を前に、行儀よく座っている。今まで見たことの無い姿に少年少女は少し面食らった。
「何をしている」
賢者が二人の方へ手をさし出した。少女はすぐさまカバンから黄金バナナを取り出す。
「はい。ちゃんと取ってきましたよ」
「もう一つもだ」
そう言って賢者が少年の方へ手を向けると、魔力が賢者へ吸い取られる。ように見えた。
「うへぇ……」
「ちょっ、大丈夫?」
その場にぐだりと倒れこむ少年を慌てて少女は支えた。
「……いい色だ」
賢者は少年には目もくれず、黄金バナナをシャンデリアの光にかざして眺めていた。その顔には、往路でも見なかった穏やかな笑みが浮かんでいた。
やっぱりこの旅を思い立ってよかった、少女は黄金バナナを渡す度に思う。
「ぅぁー」
少年は空いていたふかふかの椅子に勢いよく腰掛けた。背もたれに限界までもたれかかっている。
「おい。お前たちはしばらく外に出ていろ。こいつに用がある」
そう言うと賢者はぱちんと指を鳴らした。
たちまち部屋の周囲からせわしなくぶつかる金属音が聞こえだし、ランプや本棚や机たちが手足を生やして現れた。彼らは二人の体をがっちりと捕まえる。
「うおっ」
家具たちは二人を担ぎ上げて外へ運び出した。
「これどこに行くの?」
「さあ……」
* * *
「このまま王国まで行く気か?」
「無論です。……なにやら、不穏な動きがあるようですので」
「そうだな……」
時が止まったかのような静寂。賢者は宙を見上げたまま。
「……お前はあの少女の装備をよく見たか?」
「? 妙に精巧に造られた拳銃だと記憶しておりますが」
「そうではない。かすかに魔力が残っていた。あれは元、魔銃だ」
「なんと……!」
驚愕の賢狼を尻目に、賢者は続けた。
「一番警戒すべき人間。それはあの少女だ」
* * *
「こんにちは若き人。私この館の執事をしております壁時計でございます。以後お見知りおきを」
ダンディな壁時計が、丁寧なお辞儀をしている。
二人が運ばれたホールには、多くの調度品が待ち構えていた。ポールハンガーに運ばれてきたサービスワゴンが、自らに入っているティーカップや皿を手際よく並べていく。たちまちティーポットが近づいてきてよく香る紅茶を注いだ。
「これはこれはどうもご丁寧に」
「以前お会いした時は急ぎのようでしたので……自己紹介の機会を逃しておりました」
「なんかすんません」
「それはそうと、主から黄金バナナを頂いたお礼がございます」
すると、そばに控えていたテーブルがぴょんぴょんと跳ねて二人の前まで移動し、その上で、小物入れがおぼつかない足取りでこちら側の縁まで歩いてきた。
「こちらは指輪でございます」
小物入れが開いて、中からは不思議な色々に輝く蛋白石のあしらわれた指輪が現れた。
「おー」
「綺麗……」
少年が手に取ると、蛋白石はその不可思議な輝きを変化させていく。
じっと指輪を見つめる少女。
「……」
「ほれ」
「えっ?」
少年は指輪を渡すでもなく、手を出せと言わんばかりに待っている。
「つけるんじゃねえの?」
「え……う、うん」
少女が指輪を取ろうと伸ばした右手を、少年の左手が捕まえる。そのまま、少年によってするりと指輪ははめられてしまった。
「……」
「あ、ごめん。人差し指かなーって思ったんだけど」
「ううん、なんでもないわ」
少女は指輪を見たまま、指輪を見ていなかった。
「あのう、申し訳ないのですが……」
「はいっ」
少女が素早く反応する。壁時計は申し訳そうな文字盤をしながら続ける。
「そちら、あなたにはめてもらうように仰せつかっております」
と、少年を針指した。
「どうかご了承くださいませ」
「分かりました」
少女は指輪を外し、少年に渡した。
「そちらの指輪は護身具で、主はあなたの身を護る道具が必要だとお考えのようです」
「加護の魔法も無くなったしね。私は銃があるし」
「俺だって剣あるわい!」
二人して笑うと、周りの家具たちもぎしぎしと笑い出した。
「でもさ、もう危険なことなんかないだろ? 王様にバナナ渡して、褒美もらうだけじゃん」
「褒美はどうかしらね」
「ええ……? 手ぶらで村に帰りたくねえ」
少女は飲もうとした紅茶をテーブルに置く。
「……帰るの?」
「そりゃあ。目的は果たしたし」
少年がさも当たり前のように言い、皿に盛られたビスケットに手をつけた。
「そっか。そうよね」
「これ美味!」
「どうぞこちらも」
少年は次に出てきたアップルパイに手をつけ始める。
「黄金バナナを取ってきたという偉業。村の皆様も喜ぶでしょうな」
「早く聞かせてやりたいですよ。俺なんかにできるわけないだろ、って言われそうですけど」
少年は気弱に笑った。本当に自身に力が無いと思っている顔だった。
その時、ホールの上の扉が開いた。
「戻ったぞ」
賢狼はゆっくりと階段を下りる。
「話は済んだか?」
「おう」
「もう行かれるのですね。案内いたします」
家具たちが軋みを上げながらも皆お辞儀をした。壁時計が進み出て、廊下を突き進んでいく。
壁時計の先導に従ってついていく途中。少年は窓からの景色を眺めたまま言った。
「ありがとな。俺を冒険に連れ出してくれて」
「……私は、きっかけを作っただけ。ついてきてるのはこっちだわ」
「それでもさ。俺一生あの村で過ごしてたらとか、やっぱ考えられねえよ」
「けっこう大変な旅だったけど、滅茶苦茶楽しかったんだ。今までありがとう」
黄金バナナ、残り一本。