竜の川を渡れ!
凍土側から、巨大蒸留器、村、川となっていて、竜の住む滝は川の上流にあります。
死の凍土を抜けた先にある、竜の川。それは真の名ではない。だがそれは誰も知ることなく、悠久の時の流れにより、いつしか通称だけで呼ばれるようになった。竜の住む川だから、竜の川。安直な発想かもしれないが、それ以外の名をつけるのはおこがましかった。
竜とは世界最強の生物である。ひとたび火を吹けば町が焼け、地を揺るがせば山が崩れる。そんな生物を尊ばない人間は――少なくとも大陸には――いなかった。そのため、川から見て凍土側の村には竜を尊ぶ慣習が存在する。年に一度、竜が生まれた日の祭。竜酒と呼ばれる火酒を竜に捧げるのだ。
昼下がり。二人は、火酒を作る巨大蒸留器を見ていた。
「これが蒸留器……でかい」
「確かにこんな大きいのは村にはおけないわね」
目の前にあるのは、竜が飲む量を製造するためにつくられた、大型の蒸留器だ。竜の川付近の村の規模はさほど大きくなく、村人は仕方なく外れの祭壇に巨大蒸留器を設置したのだ。
巨大蒸留器を見回した少年は祭壇から降りた。
「んじゃ、村行くかー……」
伸びをしながらそう呟く。凍土越えは中々に厳しいものだった。
「うん。私火酒が飲みたい」
少女がそう言うと、少年はわざとらしく生真面目な顔を作った。
「お酒は二十歳になってから」
「……君飲んでたでしょ? 行きの時に」
二人はそんな会話をしつつ村へと進んだ。
二人は以前、というか行きの道でこの村を通った時に村のとある問題を解決した。それは、竜酒の製造に必要な、特殊な穀物を取ってきてほしいというものだった。
二人は快諾し、すぐさま採取へと向かう。そこで少女は下を向きつつ考えた。採取だけなら村人でも行けるのに、何故自分達に報酬をつけてまで依頼したのか。何年も続いている祭なのだから、毎回確実に旅人に頼めるとは限らないし、周辺の魔物なら自警団で対処できる強さだ。
もしかすると、村人には手に負えないレベルの事が――。
少女がその結論に至った時、ちょうど前方の少年が止まった。少女が目線を少年の前までうつすと、中型の緑のゼリーがいた。
スライム。の中でも上位個体であるビッグスライムだった。この魔物は、大して強くはない。火か切断で簡単に処理できる。だが、敬遠される理由があった。
服を溶かすのだ。酸性とみられる緑色の液体によって。
勿論服は溶かされた。主に少年が重点的に。少女は二丁拳銃の使い手なので、遠距離から援護しただけ。対してショートソードを扱う少年は斬ったスライムが飛び散ったり至近距離で粘液浴びせられたりで酷い有様だった。
村に戻った時、村人は申し訳なさそうな顔をしていたのであった。そんなわけで、二人は村人には感謝されている。
「お久しぶりでございます。おふた方もお疲れでしょう。今日はゆっくりと休息をおとりください」
村長の言葉に二人は遠慮なく従い、宿へと向かった。
「じゃ、オレこっちだから」
「うん、じゃあ、また夕方」
二人は別々の部屋に分かれた。少年はすぐさま休息をとるようだが、少女は部屋に入らない。
「祭まで寝ておくのは嫌だし……そうだ。竜の所かな」
少女は独り言を気付かず呟き、宿を出て村の向こうの川へと向かった。
今日も今日とて川は荒れ模様。なぜなら主が野蛮だから。そう言われているが、単純に水量が多いだけだ。川の主である竜が本気で怒れば、豪雨と疾風、雷に地割れと立て続けに災害が起きるだろう。
そんなことを考えつつ少女は川辺を上っていた。岩場をよじ登り続けると、川の流れる山のふもとの滝に到着した。ここから村は遠くに見える。
「おーい」
少女が滝に向かって呼ぶように言う。十秒ほど後に滝に陰りが見え、中から巨体が現われる。
「よう、来たか」
熟練の戦士のような気風を含む声音に、少女は物怖じしない。それどころか、腕を組んでふんぞり返った。
「来たわよ。黄金バナナも、ほら」
そう言って懐から黄金バナナを取り出した。竜はにやりと不敵に笑う。
「そいつが……うむ。うまそうだ」
さすが竜といったところか、伝説上の食べ物を目にしても顔色一つ変えない。だが、その目は爛々と黄金バナナを見つめている。
「今すぐにでも食べたいが、よそう。代わりに旅の話でも聞こう」
竜はその身を楽に伏せ、話を聞く体勢になる。一方少女も手ごろな岩に腰掛ける。
「そうね、もう凍土超えがやっぱり一番厳しいわね」
それを聞いて竜は豪快に笑う。いまや竜にとって他との会話は皆無であるため、こうして笑うのも以前二人が来たぶりである。
「やはり凍土か。俺も年老いてなければ行くのだがな」
竜はすでに老いている。若かりし頃である数百年前に凍土はなく、この大陸一面は草原だった。
竜がそのことを考えたのかは分からないが一瞬表情を曇らせ、すぐにからかうような顔になる。
「……アイツとは、どうなんだ?」
アイツとは、少年である。なぜなら竜は近年、生物では少年と少女にしか興味をもっていない。
「どうって?」
少女がきょとんとして尋ねると、竜はニヤニヤして「進展あったのか?」と言った。
「……! な、なにもない! ないから……!」
明らかな動揺を見せる少女に竜は追い討ちをかける。
「前ここに来たときはあんなに好意まるだしだったのになぁ」
「うわああああ!」
少女は頭をかかえてうずくまり叫ぶ。顔は赤い。
それを見て竜はひとしきり楽しむと、遠くに人影を見つけた。
「おい。村の奴らが来たから俺は戻る。お前はうまくごまかせよ」
「……はあ、分かった……」
竜が滝に戻る際、少女はまた後でね、と竜に言って村人達の方へ行く。
「おつかれさまです。準備ですか?」
「そうです。年に一度の祭ですから、飾りもないがしろにはできないのです。それに、水竜様に喜んでいただく為にも」
そう言って村人達は竜の顔をかたどったオブジェや、台座、テーブル等を置いていく。それを見て少女は、むしろあの竜ならばこういったものが嫌いなのではないだろうか、と思った。
少女がそれを手伝っているうちに祭の時刻が近づいてきて、食料や竜酒を運ぶ村人がやってきた。少年もそれに追従して食料を積んだ台車を見つめている。あの様子から見てお腹が空いているのだろう。
少女はそれを見て呆れつつ、少年の下へと駆けよった。少年は生肉を見ている。
「くいてー……肉は焼く前一番うまそうだよな……。ん? お前ずっと前に居たのか?」
少年は少し驚いた顔をする。少女はため息混じりに呟く。
「ずっと滝にいたわよ。あと、生のお肉は絶対食べないでね」
その後二人が準備を手伝い終わり夜が訪れると、村人全員揃って盛大に祭が執り行われた。
村長の宣言よりはじまり、ちょっと豪勢な食事と人間用の火酒で、人々は騒いだ。歌い、踊り、笑い。中でも少年はすさまじく騒ぎ、転んで頭を強打し、気絶した。村人と少女は彼を放っておき、祭を楽しむ。
そして、えんもたけなわ、いよいよ竜酒が献上される。
大きな竜酒の酒樽を乗せた、これまた巨大な輿を村の男16人で運ぶ。
少女はそれをぼうっと見ていた。あんな小さいのじゃたらふく飲む事ができないだろう。でも、竜の姿を村人は見たことがないんだった、と。
竜は、少年との進展について聞いてきた。それは人間の下世話のようなものではなく、竜としての興味だったのだろう。人間に、ましてやその関係性について等微塵も頭にない竜が、興味を抱くほど、特別なのか。
――私は傍に寝かされた少年を見る。普通の冒険者の少年。彼の事を、私のような人間が想っていても良いのだろうか。私は普通じゃなかった。でも、だからこそ、こんな人に憧れてしまうのかもしれない。
真っ直ぐで、素直で、優しくて、裏表がない。私もそうなりたかった。
答えは、出さなければならない。私たちは、終わりへ着実に進んでいっているのだから。
せめて、考える時間が長く続きますように――。
少女は夜空を見上げた。満点の星空が広がる。その中で一つ存在感を示す満月。それを孤独だと思った。強がりで輝く、自分自身だと。
――バナナ、残り4本。