陽だまりの少女と厄介な友人と斧と
「すみません、歩くの遅くて…。」
そう謝りながら、彼女は左手に杖を、右手は壁に手をつきながら歩いている。
先ほど広場から歩き出す時に彼女が言っていた。
「あの…周りに私の杖は落ちていませんか?」
「…つえ?それは何だ?」
その時に初めて、彼女が左手に持っている木の棒を「杖」と呼ぶことを知った。少なくともドラゴン界では見たことは無い。
その棒…杖を前に出して、前方を探るようにして歩いているのを見て、ようやく使い方が分かった。なるほど、このように使えば手の代わりになるのか…。
おもしろいと思いながら一緒にゆっくりと歩く。
彼女を見ていると、生き物は眼が見えなくとも意外と動けるものなのだ、と感心する。
広場を出てしばらく歩くと、彼女の「家」という物の前についたようだ。
彼女の家は…よく分からないが、家なのだろう。途中で見てきた他の「家」と比べて、少し大きい気もするが…。
色々と街の様子を見ていて気が付いたが、人間の世界の構造物は、魔世界の王宮に似ている部分が多い。
たとえば彼女が今開けようとしている…門…扉は宮殿でもよく見かけた。
やはりこの体型の種族には、このような形の家が向いているのだろうか。
手さぐりに家の扉を開けると、彼女はこちらを向いて「いらっしゃいませ。ようこそ私の家へ」と言った。
「ああ。」と答えて私は家の中に入ろうとする。
この門は私には少々狭い。少し屈んで、限界まで畳みながらゆっくりと中に入った。
家の中に入ってからの、彼女の行動は見違えるようだった。
先ほどまでのゆっくりとした探るような動きが減り、この家がいかに彼女にとっての馴染の場所なのかがよく分かる。
そんな彼女の後について、一つの部屋に入った。
「ここが私の部屋です。」
そういって彼女は椅子に座った。
「本当はお客様用の部屋に来ていただくのが良いのですが…。ちょっとその部屋だと私一人では分からない事が多いので…すみません。」
彼女は一息つきながらそう言った。
「いや、よく分からないが細かい事は気にしない。私は人間の生活が見れればよいのだ。」
「そうなんですか…。その、えっと…。」
ん?何を言い淀んでいるのだろう?
「すみませんが、お名前をお聞きしておりませんでした。」
「…ああ。」
忘れていたと言うよりも、あまり興味が無かった。
人間なら誰でも良いという意識があり、個人として認識しようとするつもりがなかったのかもしれない。
「私はエアリアーナ。エアリアーナ・オレガノと申します。」
彼女は椅子に座りながら深々と頭を下げた。
「私はキルトランスと言う名前だ。」
「不思議な名前ですね。素敵だと思います。」
「そうか…。」
そう言いながら、酷く違和感を感じた。先ほどこの町に来てから、ほとんど時間は経っていない。
それまで何日間も人間と接触しようとして苦労していたのに、彼女…エアリアーナに出会ってからは、これまでの苦労はなんだったのだろう、と苦々しく思うほどにすんなりと会話をしているのだ。
だが、これはとても運が良い廻りあわせなのだろう。
「それで…キルトランス様は、なぜこの町へいらしたのでしょうか?」
色々と考えながら部屋の中の珍しいものを見回している私に、エアリアーナは控えめに質問してきた。
「それは…たまたまだな。」
「は、はぁ…そうなんですね…。」
部屋に沈黙が訪れる。
だがそうとしか答えようがないではないか。
別にここに町があるのを知っていたわけでもなく、目的があったわけでも無い。
ただ飛んでいたら見つけた町に入ってみただけなのだから。
その旨を正直にエアリアーナに話した。
「それにしてもすまない。私が突然来たせいで、エアリアーナが酷い目にあってしまったようだ。」
この点に関しては素直に謝る事にした。
恐慌をきたした集団に弾かれて、目も見えないのに置いていかれて大変だったであろう。
「………。」
しかし少女は予想外の反応をした。
なんと表現したらよいのか分からないが、彼女は眼を開いて口を開けてパクパクしている。
おかしい。私は変な事を言ったのだろうか?
ふむ…間違ったことは言っていないはずなのだが…。
「おい、どうかしたのか?」
沈黙に耐えられず、私は少し焦れて言葉を催促してしまった。
エアリアーナは雷に弾かれたようにビクッと体をこわばらせた。
「も、申し訳ございません!」
…少し強く言い過ぎただろうか…?こんなに驚くほどの声は出してないつもりだったのだが。
「あ、あの…何と言いますか…。」
彼女は指をいじりながら、モジモジと言いにくそうにしている。
「安心しろ。私はドラゴンニュートの中でも割と気の長い方だ。多少のことで怒ったりはしない。」
「そ、そうなんですね。」
そう言ってエアリアーナは胸をなでおろした。
「失礼かもしれませんが…。」
「魔族の方から『そんな言葉』を言っていただけるとは思いませんでしたので…。」
彼女の言葉の意味が分からずに尋ね返す。
「そんな言葉とはなんだ?」
「すまない、という言葉です。」
それを聞いた私の方がよほど面食らう。
確かに人間界で、魔世界の住人が畏怖の対象になっている事は承知していたつもりだ。
しかし正当な謝罪でそんなに驚かれるとは…。以前に来た奴らが、よほど横暴だったり不遜な態度だったりしたのだろうか…。
なるほど、私が人間に接触するのに苦労した原因が同族にあったとは。
そう思いながら眼下を見ると、エアリアーナの目から涙がボロボロと落ちているではないか。
「お、おい、どうした…?」
狼狽を隠しきれずに尋ねると、彼女は見えない眼を擦りながら微笑んだ。
「す、すみません。なんか安心したら、急に涙が止まらなくなっちゃって。」
いじらしく袖で涙をぬぐっている彼女の目からは、今も涙がとめどなく溢れている。
その時だった。
突然、家の外で何かがぶつかる音が聞こえ、次いで家の中を何者かが全力疾走してくる音が聞こえた。
足音と共に何やら色々な音が聞こえてくる。
何かにぶつかる音、扉を乱暴に開く音。
ただ事ではない気配を察知して、私は一応の臨戦態勢を取る。
念のためにエアリアーナも守れる態勢を取ろうとして彼女の顔を見ると、予想外に彼女は微笑んでいる事に面食らった。
その瞬間にこの部屋の扉が全力で開かれた。
「アリア!!大丈夫?!」
「レッタ!」
エアリアーナが嬉しそうに返事をして立ち上がった。
しかし、戸口に立った人物の目は、確実に私の方を睨んでいた。
敵意というよりも確実な殺気を感じるそれに、私は一応の防壁を張ろうとした。
その人物の右手には斧が握られていて、こちらに構えた状態で肩で息をしている。
「アリア、助けに来たよ!」
「え?」
そう叫んだ人物に対して、エアリアーナは間の抜けた返事をした。
しかし瞬時に誤解を察知した彼女は叫んだ。
「レッタ、これは…違うの!!大丈夫!」
今度はその人物が面食らって、ようやく私から視線を外してエアリアーナの方を見た。
「ど、どういう事?」
「えっと、この方は私に乱暴はしていないわ。」
「そ、そうなの?」
うんうん、と必死で首を縦に振って説得しようとするエアリアーナ。
その様子を見てようやくその人物の肩の力が抜けて、斧が少し下がった。
「安心しちゃダメよ。その魔物が今は何もしていないかもしれないけど、二人っきりになってこれから本性を出すかもしれないじゃない!」
この人物も食い下がるものだ。
私も翼を広げていつでも魔術を発動できるようにしておいたのだが、人物を見極めてからゆっくりと臨戦態勢を解除した。
持っている武器は斧一本で特にエンチャントがかかっている様子もない。
本人もこれと言って強い魔力を帯びているようには見えない。
これならば強襲されたとしても、私に指一本触れる事も出来ずに霧散させられる。
そう踏んだ私は翼を畳んで落ち着いた。無意識に喉元の首輪を指でさすった。
「だ、大丈夫よ。この方…えっと、キルトランス様は安全です。」
両腕をワタワタと振りながら、エアリアーナは殺気立っているその人物に落ち着くように言っている。
「と言うか、むしろ私が助けてもらったのですから!」
その言葉が決め手になって、ようやくその人物は警戒を解いてくれたようだ。
手にしていた大きな斧を、音を立てて床に下ろした。
それからその人物は、ゆっくりとこっちを見ながらエアリアーナの方に歩いていくと、そっとエアリアーナの手と腰を手に取った。
次の瞬間、飛び跳ねるように彼女を抱えて部屋の壁側に連れて行って、両腕に抱え込んだ。エアリアーナが悲鳴を上げる。
その速さは私ですら一瞬後れを取るほどであった。
「ほんとに、ホントに大丈夫なのね?!あんな事やこんな事されてないのね?!」
そう言いながらそいつはエアリアーナの体中をまさぐったり、首元に口づけをしたり髪の匂いを嗅いだりしている。
…分かった。こいつはきっと面倒な奴だ。
なんというか、いろいろとメンドクサイ奴に違いない。人間の事はまだよく分からないが、それだけは間違いないだろう。
「ちょ、ちょっとレッタ。分かりましたから、とりあえず一度放してください!」
そいつに好きなようにいじられている、エアリアーナが弱々しく抗議をすると、弾かれたように手を放した。
「ご、ごめんねアリア。アタシ、あなたの事が心配すぎてつい…。」
いや、お前今ちょっと恍惚の表情になってただろう。
間違いない。こいつはちょっとオカシイ奴だ。
「え~っと…こいつは?」
そう尋ねると、そいつはビクッと体を強張らせて再びエアリアーナの手を握った。
エアリアーナは苦笑しながらこちらを向いた。
「この子はレッタ。レッタ・コルキア。私の大事な友達。」
ああ、分かった。広場初めて会った時に、彼女が口にしていた名前だ。
「そしてこちらがキルトランス様。」
そう言って私の方に手を向けて、レッタと言う人物に顔を向けた。
「ほら、ご挨拶してレッタ。」
そう言われたレッタは、これでもかとばかりに私を睨みつけると、吐き捨てるように「どうも。レッタです。」と言った。
イラッとしたがここは我慢することにした。
「もう、そんな言い方しないの…。」
エアリアーナは苦笑しながらこちらの方を向いて謝った。
いや、別に君が謝る事ではないのだが。
だが、それだけでもこの二人が友達だという事も理解はできる。
エアリアーナはレッタの手を引いて、私の方に歩いてくると、手探りで椅子に座ろうとした。
するとレッタは、素早くエアリアーナの手を取って椅子の背もたれに誘導した。彼女は感謝しつつゆっくりと椅子に座った。
なるほど、眼の見えない者の対応に慣れているのだな。
「キルトランス様は、私が広場に倒れている所を助けてくれて、家まで送ってくださったの。」
そう言って微笑む彼女の顔を見て、レッタはエアリアーナの手をさすりながら言う。
「モンスターが来たって悲鳴が聞こえたら、お店のおばさんが突然、私の手を取って家の中に引っ張り込んで隠れさせられたの。」
「で、私は『アリアを助けに行かなきゃ』って叫んだのに、みんなに無理やり押さえつけられて…大丈夫だから。アリアは大丈夫だからってみんなに説得されて…。」
「しばらくしてなんか大丈夫そうだ、ってみんなで店からでて広場に向かったら、広場を見ていた人たちがアリアが魔物にさらわれたって聞いて…。」
そう言いながら少しずつ涙ぐみ始めるレッタ。
「それでアリアの行方を聞いて回ったら、家の方に行ったって聞いて、それで…それで…。」
なるほど、そういう背景があって、彼女はエアリアーナを助けようとしたのか。
それにしてもさらわれたとは酷い。広場から家まで指一本彼女に触れていないのに。
「そういう訳だ。誤解は解けたか?」
いつまでも敵意むき出しでいられても困る。
「ええ、アリアがそう言うのなら信じるわ…。」
そう言いかけたレッタの表情が突然強張る。
「ま、まさかコイツに変な魔術をかけられて脅迫されていないわよね?!」
そう叫びながらエアリアーナの両肩を揺さぶる。
ああ、もう。コイツ本気で面倒臭い奴だな…。
「されてない!されてないってば!」
首をガクガクさせながらエアリアーナは否定する。
しかし首が落ち着いたときに、ちょっとこっちを向いて「…されてませんよね?」
「そういう誤解を助長するような言い方はやめてくれ…。」
ほら、レッタがまた烈火のごとき視線をこちらに向けたではないか。
「してない。それは保証する。」
「ほら、してないって。大丈夫よ。キルトランスさんは悪い人じゃないわ。」
そう言いながらレッタの手を握るアリア。
「何を根拠にこんな恐ろしい魔物いう事を信じるの?!」
もう、なんていうか…こいつ消してしまったら楽なんだろうな…とすら思い始めた。
「恐ろしいとか言われても…私には見えないし。」
その言葉に私とレッタが同時にハッとする。
そうか。エアリアーナは眼が見えないが故に、視覚的な恐怖を感じなかったのだ。
だから純粋に私の言葉だけを聞いて判断したのだ。
恐怖に一番訴えかけるのはやはり視覚なのであろう。
人間は自分たちとは全く形が異なる魔世界の住人を見て、それだけで勝手に恐怖し敵意を持っていたのだ。
「ご、ごめんなさい。そうよね。アリアはこの恐ろしい魔物が見えないのよね。」
シュンとなって謝るレッタ。こいつ忙しい奴だな。
「それにしても、二人とも私に恐怖しなくて助かる。」
これは素直な感想だ。こちらに敵意が無いのに、全ての人間から敵意を向けられるというのは、けっこう精神的に辛いものがある。
そう言いながらレッタの方を見ると、前言を撤回したくなる。
先ほどまでむき出しの敵意の牙をこちらに向けていた人間は、何かに気づいたようにハッとなった。
そして少しずつ顔が青ざめ始めた。少しずつ膝と手がブルブルと震えはじめると、こちらを見ながら床にへたり込んで見上げた。
「あ…あ…こ、怖い…。」
え、今頃?
むしろこちらが驚いてポカンと口を開けてしまった。
突然号泣をし始めたレッタにエアリアーナはオロオロと狼狽し、私は頭を抱えた。
この人間はエアリアーナを助けようとする一心で、恐怖をねじ伏せてこの家に突撃してきたのだ。
そしてエアリアーナが無事だと分かったとたんに、抑え込んできた恐怖に支配されてしまった、と言ったところだろう。
その気持ちは分かるが、とため息を付きながら言う。
「エアリアーナ。その厄介な人間を何とかしてくれ…。」