そして三日目の朝
二つの月が地平線の彼方へ沈み、徐々に空が白み始めた頃、早起きの鳥たちは囀りはじめ、夜長の合唱をしていた虫たちはその声を徐々に静めはじめた。
そんな変化の時間がどのくらい過ぎたであろうか、アリアの意識はゆっくりと覚醒を始めた。
時刻は五時半ほどだが、この世界の人間にとっては決して早いという時間ではない。
無限の灯りを持たぬアルビの人たちは、やはり日の出と共に起きる者が多いのだ。
アリアの意識は鳥の歌をとらえた。
そしてその|囀(さrず)りを心地よく感じながらも、新たな一日の始まりを予感した。
そして意識が覚醒するにつれて、自分に寄り添う一つの仄かな暖かさに意識が向く。
その暖かさを傍らに、彼女の心は急速に目覚めた。
隣に眠るのはもちろんキルトランス。
異界からの来訪者にして彼女の同居人。
(キルトランス様が隣にいるって…なんだかいいです…。)
彼女は目覚めても動くことはなかった。
ただ体を徐々に目覚めさせながら、その隣の同居人の事を思っていた。
恐ろしいはずの魔世界のドラゴンがこんなにも安らぐとは、彼に出会う前のアリアは想像した事も無かった。それがなぜなのかは分からない。しかし彼女は自分の四感を信じて享受した。
むしろ視覚がない事が無駄な先入観や恐怖感を阻んでくれ、彼女にキルトランスの本当の姿を「見せて」くれたのかもしれない。
ふと昨夜の事を思い出す。
今ベッドに横たわっているこの姿勢になるまでに、色々苦労したことが次々と脳裏に浮かんできたが、どこか他人事のように感じて少し面白かった。
いったい昨日のあの苦労はなんだったのだろうかと思うほどに、今この瞬間が心地よかったからだ。
彼女はそう思って少しだけ笑った。
「起きたのか?」
どこか夢心地であったアリアの心が完全に目覚めた。
「キルトランス様も起きてらっしゃったのですか?」
首をもたげて声のした方を向く。その声はすぐ近くから発せられたものだ。
「いや、寝てた。」
ぶっきらぼうな物言いは、やはりキルトランスらしかったが、彼女にはその空気が心地よかった。
「…もしかして起こしてしまいました…?」
少し恐る恐る尋ねるアリア。
「いや、気にしなくていい。ドラゴンの眠りは浅いのだ。少しの物音でも目を覚ますし、いつでも寝られる。」
アリアの表情を読み取ってかばうキルトランス。それを聞いて少し安心するアリア。
実はキルトランス自身も少し驚いている事があった。
当初人間を見た時には顔の構造の違いから、表情を読み取るのが大変だと感じたものだが、たった数日でこんなにも表情の機微が分かるようになるものなのだろうかと。
特にアリアの表情に関しては、細かい表情までよく分かるようになった。
それは単に彼自身が一番心に留めている相手がエアリアーナであっただけなのだが、今はまだそれに気が付いてはいない。
「あの…一緒にいて寝苦しくありませんでした?」
アリアは腕で上体をゆっくりと上げながら聞いた。彼女の長い髪がするりとシーツに流れる。
「いや、特には。いつも通り寝られた。」
その髪をなんとなく眺めながらキルトランスは答えた。
「エアリアーナの方こそ寝られたか?」
その言葉にアリアは内心ため息を吐いた。昨日の夜に「アリアと呼んでほしい」と言った事を聞いてくれていないからだ。
応えてくれる気がないのか、それとも昨日の夜の事など忘れてしまっているのかは分からないが、なんだか少し突き放されたような感じがして、アリアは少しだけ不満だった。
「はい、ぐっすり眠れました。」
そう言って微笑みながらキルトランスの腕に少しだけ触れた。それは彼女の無意識下での寂しさを紛らわすためだった。
そして彼女は一つだけ嘘をついた。
実は彼女のベッドの位置はけっこうギリギリで、背中はベッドの端にあったからだ。体を曲げて寝たせいで上手く寝返りを打つことが出来ず、少しだけ体の節々が痛かった。
それでも彼女は笑顔で嘘を言った。
「あの…キルトランス様?今後も一緒に寝ていただけますか?」
今朝の心地よさを感じるためであれば、体の痛みなど問題の内に入らないと思えたからだ。ただ、やはりどこか気恥ずかしさは拭いきれず、彼女の顔は少しだけ上気した。
だがキルトランスはさして気にも留めずに「ああ、私は構わない。」と事もなげに答えた。
それでもレッタの上気した頬には笑顔が浮かんだ。
「ありがとうございます…。」
しかしキルトランスは別の事を考えながら言葉を続けた。
「レッタがいたら無理なのではないか?」
アリアの笑顔が苦笑に変わる。
「そうでしょうね…。」
「なぜレッタはあんなにも、私をエアリアーナから遠ざけたがるのだろうな?」
心底理由が分からないと言った口調でキルトランスがアリアに尋ねる。
アリアには心当たりがあった。昨日の夜に彼女自身も思い当たった「子供」の件だ。
恐らくレッタはそれを心配していたのではないかと。しかしそれをキルトランスに告げるのは恥ずかしくて躊躇われた。
「…きっと、私が他の人と仲良くするのがイヤなんですわ。」
そう言って誤魔化した。しかしその誤魔化しこそが正解ではあったのだが。
「そうか…。」
キルトランスも何やら考え込むように呟いた。
「ですから、レッタがいない日だけお願いいたします。」
そう言ってちょっといたずらっぽく笑って指を口に当てた。それは秘密を共有する仕草である。
「そうしよう。私はレッタに煩く言われるのは苦手だ。」
キルトランスも少し笑った。
それだけでアリアの胸は躍った。
二人だけの秘密を共有するという行為が、こんなにも甘美なものだとを少女は初めて味わったのだ。もちろんレッタとの秘密もたくさんあったが、これほどまでに胸躍る事はなかった。
「さあ、起きましょうか。」
その高鳴りを気取られないようにアリアはベッドから体を起こして立ち上がった。
キルトランスもそれに合わせて体を起こす。するとベッドは大きな音を立てて軋んだ。
その音を耳にして二人は笑った。
「そういえば、なんとか一晩は壊れなかったな。」
「そうですね。すっかり忘れていましたけど。」
二人は寄り添いながら応接室に向かった。
彼女たちは気づいていないが、二人の距離は少しだけ近づいていた。




