エアリアーナの思いつき
キルトランスがタタカナルの村に来て三日目の朝。つまり自警団からの外出禁止から二日目の朝の事であった。
ホートライドが持ってきた朝食の材料をレッタが調理して、四人でテーブルを囲んでの朝食の最中。
「ねえ、レッタ。」
アリアがふと思いついたように、しかし彼女にしては珍しい意思の強さを感じる語気で話し始めた。
「ん?」
スープを飲んでいたレッタが手を止めて神妙に返事をする。アリアの語気の機微に気が付いたのだ。
それは長年の友情が成せる技であり、ホートライドは気が付いていない。
「私…キルトランス様のお世話をしてみようと思うの。」
「はあ?!」
間髪入れずの奇声。隣で水を飲んでいたホートライドが突然の声に驚いてむせた。
当のキルトランスは何事かと思いつつも、黙ってパンを食べ続ける。
キルトランスはレッタの作るアルビの食事が存外気に入っていた。特にこのパンとチーズという組み合わせは好みに合ったようだ。
「ど、どういう意味で?!」
「え…?そのままの意味なのですが…?」
レッタの言葉の意味が分からないアリアは、キョトンとした顔で返す。
「そ…そうよね。ごめん、でも意味わかんない。」
混乱の余り何を言っているのか分からないレッタ。
咳き込みを何とか抑えると、口に手を当てたまま二人の様子を見るホートライド。
チーズの欠片を口に放りこむキルトランス。
「あのね…昨日の夜、寝る前に少し考えたんだけど…。」
うつむいて言葉を続けるアリア。
「いつもレッタには色々してもらってる。それはすごく感謝してるわ。」
口をぽかんと開けながらアリアの言葉に耳を傾けるレッタ。
「でも、キルトランス様がいらしたら、レッタが今まで以上に大変になるんじゃないかと思うの。」
「キルトランス様もまだアルビの生活には慣れていらっしゃらないし、一緒にいてお手伝いする事もあると思うわ。」
半ば放心状態で話を聞いているレッタ。本当に聞いているのかどうかは怪しいものであるが。
「それに、レッタも家に帰らないといけないでしょう?」
「イイエ?カエラナイト イケナイ イエナド ゴザイマセヌヨ?」
喉が硬直しているのか、謎の発音のレッタ。
「もう…。でもいつまでもウチにいる訳にもいかないわ。今までだって一番長くても三日しか泊まっていないのよ?今日がもうその三日目なの。」
少し咎めるような口調のアリアに、うなだれるレッタ。
「しかもお父様とお母様を振り切ってここにいるんだから、今日はさすがに家に一回帰らないといけないでしょ?」
子供をしかるように、ゆっくりとレッタの方を見ながら言う。
再びパンを口に入れるキルトランス。噛むたびに口の端からパンの欠片がポロポロと零れるが、本人は意に介す様子もない。
「ねえ、ホートライドさん。お二人ともとっても心配していらっしゃるでしょう?」
急に話を振られたホートライドが慌てて取りつくろう。
「お、おう。一応俺は昨日もご両親に報告に行って、レッタが無事だとは伝えているし、さすがに今朝は二人ともだいぶ落ち着いたようだった。」
「ほ、ほら。もう二人とも平気だって!」
これ幸いとばかりにホートライドの言葉に乗ろうとするレッタを、アリアはぴしゃりと言い伏せた。
「平気なわけないじゃない!落ち着いたって事は、困ってたって意味なのよ?!」
普段あまり大きな声を出さないアリアの語気にレッタの体が震える。
キルトランスはスープに少し舌を入れて熱さを確かめたが、すぐに舌をひっこめた。どうやらまだ飲むには熱いようだ。
「だから今日は絶対に家に帰って?」
言葉尻は柔らかいが、有無を言わせない強さをもって念を押す。
「…そうだな。俺も一回家に」
「お前が帰れ!!」
「えー…。」
レッタのためを思って言ったのに、意味不明かつぞんざいな言葉で否定されたホートライドは、二の句が継げようがなくため息をついた。
「こら、レッタ!その言い方はなんですか!!」
珍しく怒気をあらわにアリアが言ったために、雷に打たれたようにビクンと立ち尽くすレッタであった。
「で、でも…でも…。」
それでもレッタは泣き出しそうな顔で食い下がる。
「ホートライドさんは、私たちのために食材を持ってきてくれるのよ?私がこうやって昨日からちゃんとご飯を食べられるのは、ホートライドさんのお蔭じゃない。それを帰れ…って失礼にも程がありますよ?」
少々言い過ぎたと思ったのか、アリアの口調が途中から少し柔らかくなる。
ホートライドは無言で(そうだそうだ)と首を縦に振る。
レッタは取ってつけたように言葉を吐き出す。
「でも、自警団が明日までは家から出ちゃいけないって!!」
アリアはその言葉に一瞬虚を突かれた。
しかし少し首をかしげるとホートライドに問いかけた。
「え、それってキルトランス様だけの話なのではないのですか?」
その言葉にホートライドも考え込んだ。
「え…そういえば、どっちの意味なんだろう…?」
顎に手を当てて考え込むホートライド。そしてそれを般若の形相で睨むレッタ。
しかし考え込んでいるホートライドに彼女の形相は見えなかったようだ。
「たぶん…キルトランスさんだけの話なんじゃないか?」
俯きながら呟くように言うホートライドを見るレッタの形相は、もし視線で人が殺せるのならばこういう目をするに違いないと思わせるものであった。
「ほら、ね?だからレッタは一回家に帰るべきよ。」
その相貌はアリアには見えないものではあったが、その殺気は感じ取れるものであった。だが彼女はそれには屈しなかった。
「じゃ、じゃあさ!アリアも一緒にアタシの家に行こう!」
「え?!」
「…は?」
「…やはり美味いな…。」
あまりに突然の言葉に場が凍りつく。一人だけ関係ない者も混じっているようであったが、さすがに三人はそれを無視することにした。
「ごめんね、レッタ。ちょっと意味が分からなのだけど…。」
頭を抱えるアリア。
「アリアも私の家に一緒に行けば安全だよ!」
「ちょっと待って。…それはキルトランス様をここに置いて行くって意味かしら?」
「うん、ほら一日くらいキルトランス一人でも平気でしょ?ね?」
そう言ってレッタはスープのカップを持つキルトランスの方を見た。
「まあ、別に平気と言えば平気だが…。」
「ほら!キルトランスもこう言ってるし!」
レッタは満面の笑みでアリアに振り返る。だが愛しい友人は少々険悪な顔をしていた。
「あのね…レッタ。ここは私の家で、キルトランス様は私のお客様になったの。分かる?」
硬直した笑顔のまま固まるレッタ。
「家の主がお客様を放置して外に出られると思う?」
問い詰めるように言葉を重ねるアリア。
先ほどからずっと黙って話を聞いていたキルトランスであったが、なぜずっと黙っていたのか。それは彼がアルビの文化が分からなかったからだ。
そもそも家族と言う単位で生活をする事のないドラゴンニュート族からすれば、一つの家の中に複数の人間が同居して暮らしている事が珍しいのだ。だから何が起きても「アルビはそういう文化なのだろう」と思い納得するしかないのだ。
だから少々特殊な環境であるこのオレガノ家も、最初から人間はそういうものなのだと思っている。
「ねえ、昨日から不思議だったんだけど、どうしてレッタはそんなに私とキルトランス様が一緒に居られないようにしたいの?」
それはキルトランスも疑問に思っていた事であった。
自分に敵意が無い事は既に理解してもらっていたつもりだったが、どうにもこの少女が自分に向ける敵意が腑に落ちないのだ。
レッタは顔を真っ赤にしながら、吐き出すように言葉を紡いだ。
「だって…二人っきりだと…その…危ないかもしれないじゃん…。」
ホートライドも理解できないと言った顔で尋ねた。
「でも、キルトランスさんは人間を襲わないって分かってるよね?」
そう言ってキルトランスの方を見る。
「ああ。もちろんだ。ここに世話になる以上は、この村で危害を加えるつもりは無いな。」
「ほら。キルトランスさんもこう言ってる。」
言質を取ったホートライドがレッタの方を向く。だがレッタはまだ食い下がる。
「でも…二人きりなんて…。」
言い淀んだレッタの様子を見てホートライドが何かに気が付いたようだ。
「あ…。」
彼はレッタの真意に気が付いた。
レッタは男女の間の事を心配しているのではないだろうか、と。だが同時に疑問が渦巻く。
確認はしていないが、恐らくキルトランスは雄であろう。まあ男と言い換えてもいい。
だが相手は魔族で異形のドラゴンなのだ。それが人間相手に…その…男女の間柄のような対象に思うのだろうか?
少なくとも昨日からずっと見ている限り、この目の前のドラゴンが少女二人に対して、性的な何かを感じているようには感じられなかった。
さすがにそれはレッタの思い過ごしなのではないだろうか?
キルトランス本人に確認をしないと答えの出ない疑問が、彼の脳内をぐるぐると巡り始める。
しかし、それを少女たちの前で尋ねるのは少々気が引けた。
ホートライドが考え込んでいると、アリアが大きくため息をついて背筋を伸ばした。
そしてはっきりと言い放った。
「レッタ。座ってください。」




