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異世界への旅立ちの命(めい)

 木々の間を縫ってキルトランスは大樹の根元にゆっくりと降り立つ。

 根元には大きな(うろ)がある。

 キルトランスの虚の三倍ほどであろうか。それでもこの巨木から見れば、その存在に何の影響もない小さなものである。

 そしてその虚の中には一人の龍が寝ていた。彼が長老だろうか。


 「…私が最後に会った時から全く動いた気配がないな。」

 キルトランスは悪びれることなく、しっかりと彼に聞こえる声の大きさで独り言を言った。

 長老と思われる龍は、石像と見まごうほどの灰色の鱗に包まれて、身動き一つする事もなく静かに横たわっていた。

 そして石像に見えるもう一つの理由は体の表面にある(こけ)である。

 しかし、危険を感じるほど近くによって観察すれば、その胸の辺りが微かにゆっくりと上下しているのが見えるだろう。

 「そのままだと、樹と同化してしまうぞ。」

 この発言が失礼になるのかどうかは、種族それぞれなので計り知る事は出来ないが、恐らく彼らの中では普通の発言なのだろう。

 その言葉を聞くと長老はゆっくりと片目を開いた。

 「ワシもかなりの歳だからな…。」

 そう言って少しだけ鼻を鳴らした。笑ったのだろうか。

 「あと何十年生きられるか分からん。」

 やはりドラゴン族は気が長い。

 長命な種になれば千五百年ほど生きるとも言われているが、ドラゴンニュートの平均寿命はだいたい八百年ほどと言われている。

 「それに十分に生きた。このまま木の一部になって世界に戻れば上々な命よ。」

 そう言って少しだけ喉が鳴った。キルトランスは長老のそばに立つ。視線は虚の外の空を見つめたまま。

 「まあ、アンタが満足ならそれでいい。」

 キルトランスの反応を聞くに、ドラゴンたちはあまり死への恐怖や生への執着が薄いのかもしれない。


 「それはともかく。ダグから呼ばれて来たぞ。」

 「おうよ。首を長くして待っておったわ。サーペントになってしまうかと思うたわい。」

 そう言ってお互いに喉を鳴らす。彼らなりの冗談なのだろう。

 「話はどうせ偵察の任務の件だろう?」

 「左様。魔世界の王が、近年大規模な人間界への介入を計画しているのは、以前から言っている通りだ。」

 「介入しすぎではないのか?私が知っているうちでも五回は侵攻している気がするが。」

 「そうかもな。まあ沢山ありすぎて、ワシはもう数えるのも諦めた。だがお前の親父さんの伝説の遠征はなぁ…。」

 そう言って長老は少し目を細めた。

 「…その話はもういい。何度も聞かされたし、今でも一族の語り草で、その度に私の肩身が狭くなるばかりだ。」

 キルトランスは苦々しそうな顔をして話を(さえぎ)った。

 彼の父親「ハシュタナ」は数百年前の人間界侵攻の際に、とある天世界の有名な将軍と、壮大な一騎打ちの末に打ち倒す、という伝説の武勇を打ち立て、魔世界にドラゴンニュート族ありと両世界に名を轟かせ、魔世界でのドラゴンニュート族の地位を一躍(いちやく)押し上げたのだ。

 「ホホッ…すまなんだな。歳を取るとどうしても繰り言が多くなってな…。」

 長老は細めた眼をそのまま閉じる。

 優秀な親族を持つと苦労するのは、どこの世界でも同じようである。


 「で、どうしてわざわざ私に偵察の任を押し付けようとする?」

 話を逸らすようにキルトランスは切り出す。

 「偵察に向いている奴は他にもいるだろう。まあダグが向いていないのは分かる。あいつは絶対暴れて迷惑をかけるだろうから。」

 先ほどのダグラノディスというドラゴンはどうやら気性が荒いらしい。それを聞いて長老も少し笑うが、途中で苦しそうに咳き込んでしまう。

 何度か咳をして呼吸を落ち着けてから、大きく一つため息をついてゆっくりと口を開いた。

 「…べつにこれと言って、複雑な事情や深い配慮があるわけではない。」

 「…ないのか。」

 さんざん勿体つけたような間を取っておいてこれである。

 「ただな…ワシはお前さんに他の世界の見聞を広めてほしいだけじゃよ。」

 「だったら別に人間界じゃなくてもよいだろう。獣魔界でも幽鬼界でもどこでも。」

 「しかしお前さんどこにも行ってないだろう?」

 「グッ…。」

 キルトランスは言葉に詰まる。


 生まれてこの(かた)数百年、キルトランスは他の世界に行ったことはない。

 何度か魔世界の王宮に行ったことはあるが、使者用事でどこにも寄らず直行直帰だった。

 「お前さんはいずれ一族の…重要な位置に付いてほしいと思っている。」

 この時に長老は言葉を濁した。内心としては長老は次期族長にキルトランスを推挙したいと思っている。

 冷静沈着な頭脳、中庸を推し計る事の出来る理性、そして父親には一歩及ばないものの一族を代表するに値するだけの魔力。全ての具合が良いのである。

 しかしそれに関しては長老の一存で決められる事でないし、軽々しく口を滑らせて良いものでもない。

 そしてそれを口にしたところで、今のキルトランスは反対するに決まっている。

 そんなキルトランスに少しでも見聞を広めて、族長にむけての成長をして欲しい。そしてあわよくば何らかの戦果を挙げて実績も積んでほしい。そんな願いが長老にはあった。


 「え~…。」

 そんな期待に反して、あからさまに嫌そうな返事をするキルトランス。

 「そうは言ってもな…。そろそろ何らかの兵役を済まさないと、一族の中でも風当たりが強くなるぞ?」

 「それはそうだが…。」

 脅し半分、事実半分である。彼も返す言葉が見つからないようだ。

 「それにな…。お前さん人ごみが嫌いだろう?」

 長老の問いにキルトランスの目が細くなる。肯定であろう。

 「いざ、戦役が始まれば一族の戦士たちはもちろん、他世界の種族たちが一堂に魔世界の王宮に集められ、転送宮殿から順次送られることになる。」

 魔世界から人間界に行くことが出来るのは、一般的には魔王の魔力によって開かれた転送宮殿という名の「ゲート」を使うだけだ。

 ごく少数の例外として個人で世界移動できる者もいるが、それも個人的な移動が可能なだけであって、他者を送ることは出来ない。

 「ワシも何度もそこには行ったが…ワシですら辟易(へきえき)する混雑ぶりでな。あちらこちらで小競り合いが起こったりもする。」

 それを聞いただけでうんざりするキルトランス。静寂(せいじゃく)安寧(あんねい)を好むこの龍の、もっとも苦手とする対極の場所なのだ。

 「だが偵察目的の先遣隊(せんけんたい)であれば少数であるし、同時に転送するわけでもない。個別に世界各地に送られるのでな。」

 「それに先遣偵察任務でそれなりに成果を挙げれば、戦役本番で楽が出来るかも知れんぞ?」

 さすがに長老だけあって強かな丸め込みである。

 キルトランスの苦手な部分を提示しつつ、その軽減策を仄めかして、今の決断が得であることを暗に勧めている。

 しかし一つだけ怪しい部分があるとすれば、戦果を挙げれば本番が楽になるという部分であろうか。

 実際にそうだったとしても、結果を出したものには周囲の期待が集まるものである。そうなれば本人の望む望まざるにかかわらず、圧力で押し上げられてしまうのが世の常だ。

 長老がそこまで意図しているのかいないのかは、今は推し計る事はできない。


 「…偵察内容はなんだ?」

 それでも若い龍の決断を後押しするには十分な提案であったようだ。

 彼自身、長老に上手く丸め込まれたような形になるのは苦々しい思いであったが、言っている事はもっともなのだ。

 「なに、気負うほどの事は無い。お前の目で見たままの事を報告すればよい。」

 少し笑みがこぼれそうになるのを抑えて長老は淡々と続けた。

 「人間世界を色々見て、天世界の連中の勢力図や動向を見てくるのが目的だ。戦闘になる事は避けて、な。あとは今の人間の営みや情勢を見てくればよい。」

 「人間世界への侵攻は天世界との戦争が目的ではない。あくまでも人間世界への、魔世界の影響力を強めるための儀式なのでな。」

 「…やれやれ、『上の者のお遊び』に付き合わされるのはたまったものではないな。」

 そう言ってキルトランスは大きくため息をついた。彼の鼻から巻き起こった風が周囲の草木を揺らす。

 その風を受けて長老も少し喉を鳴らした。

 「そうよの。だからこそワシはお前さんに偵察ばかりに固執(こしつ)して欲しくないのだよ。どうせなら物見遊山をしてきてほしいと思っている。」

 この言葉に嘘偽りはない。若き龍の成長のために必要な、一つの過程になって欲しいものだからだ。

 「だから、ワシはお前さんの人間世界のお土産話を楽しみにしておるよ。」

 「ワシが最後に人間界に行ってからもう四百年ほど経っておる。その間に世界がどのように変わっているかも聞いてみたいしな。」

 「ワシが見たころの人間世界は…そうさな、まるでゴブリン族を見ているような気分になったものだ。それでも数百年でこんなにも変わる物かと驚いたがね。」

 何か昔の出来事を思い出したように長老は楽しそうに目を細めた。

 「…という事は、長老が樹になってしまう前に帰ってこないとな。」

 その楽しそうな長老を見ながら、少しだけ人間と言うものに興味を持った彼の声は、少しだけ明るくなっていた。

 「そんなに長い必要もあるまいて。正式な侵攻の方が先に来るだろうからのう。せいぜい数年か。」

 彼の声色が変わった事を聞き分けた長老も、少しだけ声が明るくなった。

 「人間界(アルビ)か…」


 こうしてキルトランスは人間界へ旅立つ事となった。

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