異世界夜話
再び応接室の扉がゆっくりと開かれた。
キルトランスが中を見ると、音に気付いたエアリアーナが不安そうにこちらを見ていた。その手にはやはり静かに眠るレッタの手が握られていた。
「…キルトランス様?」
彼女が不安そうに声をあげる。眼が見えないという事は人を不安にするのだな、と思ったキルトランスはできるだけ優しい声で答えた。
「ああ。終わった。ホートライドはたぶん無事に外に脱出できた。」
その言葉を聞くとエアリアーナの表情に安堵の笑みが浮かんだ。
静かに扉を閉めると、キルトランスはゆっくりと彼女の元に近寄った。そしてキルトランスの椅子にゆっくりと座った。急な行動は彼女を怯えさせる。
「先ほどの強い風もキルトランス様の魔術ですか?」
「うむ…まあ魔術と言うほどのものでは無いがな。風を吹かせるくらい造作もない。」
その通りである。力任せに風を吹かせる程度の行為、先ほどのレッタの治療と比べれば簡単なものなのだ。
そしてそのレッタは、エアリアーナに手を握られながら幸せそうな顔で寝ている。
「キルトランス様はほんとにすごいです…。」
心の底から感服したように彼女は言葉を漏らす。
だがこの程度ですごいと言われると少々むず痒い。ドラゴンニュート族であれば生まれて一年ほどのの幼体だって簡単にこなすのだ。もっともアルビの魔術レベルを考えればそうなのかもしれないが。
なんと返答すればいいのか迷い、黙ってしまうキルトランス。
再び応接室はレッタの寝息とランプの燃える音が包まれた。
しばらくの静寂の後、エアリアーナが思い出したようにポツリと漏らした。
「そういえば…夕食、食べれませんでしたね…。」
それを聞いてキルトランスも思い出した。
確か、レッタは家に持ち物を取りに行って、戻ってきたら夕食を作ると言っていた。
それから怒涛のような事態が起きて、すっかり二人とも忘れていた。
「すみません、キルトランス様。私、お料理って…した事ないんです。」
少し俯いたエアリアーナは、申し訳なさそうな声色で謝る。
「別に謝る事ではないであろう。眼が見えない者が細かい作業が出来なくても責める者はおるまい。」
「そう…ですか…。そうですよね。すみません…。」
だが彼女の表情は晴れない。
返す言葉が浮かばないキルトランスが思案していると、静かな応接室に微かな音が鳴った。
これは…腹の音か?と思い当たると「すっ…すみません!!」と、なぜかエアリアーナが顔から火が噴き出すんじゃないかと錯覚せんばかりに赤面して謝った。
「こんなはしたない事を…すみません!」
だがキルトランスは戸惑う。
「なぜ謝る?腹の音が出る事は失礼なのか?」
赤面のエアリアーナはそれを聞いて一瞬呆気にとられる。
「え?え~っと…はい。」
「少なくともアルビではお腹の音がするのは、はしたない事だとされています。特に女がするのはマナー違反だと…。」
今度はその言葉にキルトランスが呆気にとられた。
「そうなのか…?誰だって空腹で腹の音が鳴る事くらいあるだろう?」
「それは…そうかもしれませんが…。」
「別に空腹でなくても腹の音は鳴る。」
「…はい…。」
すっかりしょげたエアリアーナが力なく肯く。
「…人間のマナーというものを知らないから何とも言えないが…面白い文化だな。」
そう言ってキルトランスは少し喉を鳴らした。
「うう…それにお客様にお食事も出せないなんて…失礼すぎます…。」
その点に関してはキルトランスもある程度の同意は出来る。
ドラゴン界にも客人に食べ物を出してもてなす習慣はある。ただし身内の親しい中に限るが。どこの馬の骨とも知らない奴をもてなす習慣は無い。
だがキルトランスは突然の来訪者なのだ。何ももてなす食べ物が無くても責められるものではない。
少なくともキルトランスの倫理観としては、エアリアーナの羞恥は意味のない物に感じられた。
だがここはアルビで、魔世界とは全く異なる文化の世界なのだ。余所者が口を出す事ではない。
「まあ、気にするな。別に数日くらい食べなくても死にはしない。」
「そ、それはそうかもしれませんが…。」
それでも納得しない様子のエアリアーナに、キルトランスは話を変えることにした。
「それよりも、私はそういう人間の文化を見るために来たのだ。色々とエアリアーナに教えてもらいたい。」
「そんな…教えるだなんて恐れ多い…。」
先ほどの腹の虫の件は薄れたのか、それでもエアリアーナの受け答えは少し普通に戻ってきた。
それから二人は長い話を始めた。人間世界の事。アルビの文化。
その中の文化のほとんどはアルビというよりはタタカナルの風習ではあったが、それでもキルトランスの耳には新鮮に聞こえた。
キルトランスには理解できない文化も多かったが、中にはドラゴン界にもある文化もあり、その共通点を知るのも楽しいものではあった。
そうしながらキルトランスは人間に対する思いを少しずつ変えていった。
魔世界の連中はアルビを卑下している者ばかりだったが、聞けばなかなかどうして一つの種族として十分なものではないか。やはり知らないが故に、もしくは知ろうともしないが故の妄言なのではないか。
それとも知った上での偽りの命に対する侮蔑なのだろうか。だが魔世界の全ての生き物にそれを問う事は不可能だし、聞いたところでどうにもなる事でもあるまい。
とめどの無い二人の会話は長く続いた。
ランプの光にゆらめく二人の影。それは少し妖しくもあり、なぜか微笑ましいものにも見えた。
しかし時が経ちランプの燃料が切れ灯りが勝手に消えると、応接室は静寂と夜の闇に支配しされた。
その暗闇に少女二人の優しい寝息と龍一人の呼吸。
エアリアーナは話しながら少しずつ疲れたのか、レッタに寄り添ったまま眠ってしまったのだ。
それを見届けた龍は暗闇の中で眠りに落ちる刹那、人間の料理を食べてみたいな、と思った。
タタカナル騒乱の一日目が静かに更けていく。
ようやくキルトランスがタタカナルの村に到着して一日目が終了しました。
予想以上に長くなってますが、翌日からはもう少しテンポよく話が進むかもしれませんし、進まないかもしれません。
そもそもまだメイドが登場していませんから、本番はここからという事で。
今後ともよろしくお願いいたします。




