人間を癒す魔族
「レッタ!大丈夫?!苦しいのですか?」
手を握っていたエアリアーナが、心配そうに彼女の耳元に口を近づけて呼びかけるが返答はない。だが彼女のうめき声が、疲労困憊の彼女がまだ生きている事を示してくれた。
「アリア。この明るさではレッタの様子が分からん。どこかにランプは無いか?!」
ホートライドがアリアに語りかけるとアリアはハッとした。
「ホートライドさんもランプを持ってはいないのですね。すみません、気が付かなかったもので…。」
「いや、アリアは悪くないよ。」
「確かレッタが持っていたはずなのですが…。」
「いや、俺が会った時にはランプは持っていなかった。」
「そうですか…。丸いテーブルの上にはランプはありませんか?」
そう言われてホートライドは振り返ってテーブルを見るが、微かな月明かりの部屋のテーブルはよく見えない。
「暗くて良くは見えないが…。」
そう言った時、音を上げて部屋が明るくなった。
驚いてホートライドが隣を見ると、キルトランスが掌の上にこぶし大の火の球を掲げているではないか。
「これで見えるようになったか?」
何事も無かったように言うキルトランスだが、ホートライドは心底怯えた。
先ほどまで暗がりに薄らと浮かび上がる輪郭で認識していたキルトランスが、鮮明に浮かび上がったのだ。
全身を細かい緑色の鱗に包み、顔はやはり異形のドラゴンのそれであり、口から見える牙と頭の二本の角。先ほどからドラゴンだとは分かっていたはずなのに、やはり恐ろしかったのだ。
思わず声を出しかけるが、男のプライドなのか自警団の誇りなのかは分からないが、辛うじて喉の奥に悲鳴を押し戻した。
「ああ…すまない…。」
キルトランスを視界の隅に捕えながら、ホートライドはテーブルの上を確認する。やはりランプは無かった。
「アリア。やはりランプは無いようだよ。」
「そうですか…ではどこか他の部屋に行かないといけませんね…。」
そう言ってエアリアーナは思い出そうと努めた。
なにせ普段彼女はランプを必要としない常闇の住人であるのだ。ランプなどという無用の長物の置き場所など気にしたこともない。
「もしかしたら玄関のどこかか、私の部屋のどこかにあるかもしれません。取ってきていただけますか?」
思い当たる場所を挙げたエアリアーナの言葉を聞いて、踵を返しかけるホートライドだが途中で止まった。
「だ、だが君たちを一人にするわけには…。」
「私もレッタも大丈夫です。早く取りに行ってください。」
毅然と答えるエアリアーナ。
「しかし、このドラゴンは…。」
「もうっ!!またそれですか?!」
戸惑うホートライド。また、の意味を分かりかねたようだ。
彼からしたら初めての状況でも、エアリアーナにとっては善良なキルトランスを疑われるという場面だ。レッタの時からも何回もあったのだから、彼女が「また」と言ってもおかしくはないのだが、彼に伝わるはずもない。
「いいから早く行ってください!」
珍しいエアリアーナの剣幕に押されてホートライドは走り出した。
廊下を飛び出すとガチャガチャと鎧を鳴らしながら消えて行ったかと思うと、ものすごい勢いで戻ってきた。
「あった!玄関のテーブルの上に置いてあった!」
その言葉と共にキルトランスの様子を見た。
だが彼は部屋を出て行った時と寸分たがわぬ姿で炎を掲げていた。だがその炎は先ほどよりも掌の上の方に移動していた。
安心してエアリアーナの元に駆け寄ると、ランプを差し出して少し考えた。よく考えれば彼女がランプの使い方を分かるわけもないし、もし分かっていたとしても危ないので使わせるわけもない。
ランプのシェードを開けると、彼は懐のポケットからバチルス(魔術発火道具)を取り出そうと手袋をはずそうとした。
だがその時にキルトランスが動いた。掌の炎を一気に小さくしてランプの中に投げ込んだ。
「これで良いのか?」
「あ、ああ…ありがとう…。」
放心したようにホートライドはキルトランスを見た。
先ほどの炎を出した件と言い、今回の件と言い、この魔族…キルトランスは人間を助けてくれるのだ。
その常識を根底から覆す事実に、ホートライドの常識が追いつかない。
「い、今のは魔術か…?」
恐る恐る尋ねるホートライドにキルトランスは「いかにも」と短く肯く。
ドラゴンが魔術を使うという伝説は彼も知っていた。
もともと田舎の生まれ故に、魔術を使う人を見た事がほとんどない彼にとっては、魔術は憧れであり脅威であった。
キルトランスにとっては息を吹きかけるように出すことが出来る炎であっても、彼にはこの上の無い驚異のように感じたのだ。
その脅威に身が竦み、身動きが出来ないでいる彼を尻目に、エアリアーナが弾かれたように頭をあげてキルトランスの方を向いた。
「…魔術!そうですわ、キルトランス様!魔術でレッタを治す事は出来ますでしょうか?!」
突然の提案にキルトランスは驚いたように目を開く。
「う、うむ…出来ない事はないと思うが…。」
「お願いいたします!レッタを助けてやってください。」
必死のエアリアーナの懇願にキルトランスは戸惑った。
先ほどからレッタを見ていて、確かに服は汚れてボロボロにはなっていたが、これと言った目立った外傷は無いし、魔術の類の感じも残っていない。単純に疲れて寝ているだけだろうと思っていたからだ。
だが必死のエアリアーナに「ほっとけばそのうち起きるだろう」と言うのも悪い気がして、キルトランスはとりあえずレッタの傍らに立った。
「では治癒をしてみる。」
嬉しそうな、しかし不安そうな表情のエアリアーナと、完全に呆けているホートライドを見ながら複雑な気持ちになるキルトランス。
だが掌をレッタの方に向けると、魔力を集中して彼女の体の中に送り始めた。
回復促進をする魔術なのだが、なにせ人間相手に使うのは初めてだ。本当に効くのか、どの程度の魔力を籠めても大丈夫なのかが分からない。
先ほどのカップの事を思い出した。
全員が強大な魔力を持つドラゴンニュート族相手であれば、本気で魔力を籠めても相手に悪い影響を及ぼす事はあまりないが、レッタは人間であり、しかも魔術を使えない少女なのだ。
下手に魔力を籠めれば、彼女の体の中で魔力が膨れ上がって、内側から体を引き裂きかねない。
キルトランスはゆっくりと、鳥の羽根で少女の柔肌を撫でるような繊細さで魔力を籠めていく。
正直に言って、この方が先ほどの炎を出し続けるよりも、遥かに難易度が高く精神力を使った。少し入れては様子を見て、また少し注入しては様子を見ての繰り返し。
だがその努力の甲斐あってか、苦しそうなレッタの呼吸は少しずつ落ち着いてきた。
それを見たキルトランスは、ゆっくりと深呼吸をしながら掌を彼女から外した。
「たぶんこれで大丈夫…だろう。」
エアリアーナは涙を流しながら、レッタの胸に頭を付けてキルトランスにお礼を言った。
「レ、レッタを治したのか?!」
それまでずっと呆けたように様子を見ていたホートライドが、我に返って食ってかかる。それに面倒臭そうに答えるキルトランス。
「ああ。そのはずだ。」
ホートライドはレッタに駆け寄ると、破れた服の間に見える肢体を丹念に見た。
先ほどまで細かい傷だらけだった手足の傷が消えていた。だが痣は先ほどよりも濃くなっているようにも見えた。これはどういう事なのだろうか?
「ほんとにこれで大丈夫なのか…?」
半信半疑で問う。
「今すぐに治るわけではない。だが、明日の朝になればかなり回復しているはずだ。」
そう言いながら自分の椅子に座るキルトランス。
「大丈夫ですよ。ホートライドさん。レッタの心臓の音がさっきよりもずっと落ち着いています。息も眠ってるみたいに落ち着いてる…。」
彼女の体に頭を預けていたエアリアーナが微笑みながら言う。それを聞いてようやく彼も安堵のため息をついた。
実を言えば彼もレッタの無事を確認したいところではあったが、エアリアーナの手前もあり、あんな破天荒な娘とは言え、うら若き乙女であるレッタの胸に顔を置くのは少々憚られたのだ。
「魔物が…人間を癒した…?信じられん…。」
「ふむ…。エアリアーナとレッタから色々話は聞いていた。どうやら魔世界の連中がこのアルビで色々と迷惑をかけていたようだな。」
未だに目の前の事実が腑に落ちないホートライドに、当の魔族であるキルトランスが皮肉のように言う。
「そのせいで私の事が信じられないのだろう。」
「別にすぐに信じろとは言わない。こちらの世界では色々あったのだろうからな。」
「だが目の前の私の行為をいちいち疑われるのは…あまり気持ちの良いものではないな。」
その言葉にハッとするホートライド。
たしかに目の前の異形の者は魔界のドラゴンだ。だが彼はこれと言って人間を襲っていたわけではない。
しかも人間の少女の願いを聞いて、傷ついたレッタを助けようとしてくれたではないか。
そんな行為を目の当たりにしておいて、負の感情を抱いて接すれば「相手の気分」が良いわけがない。
「す、すまなかった。えっと…キルトランスだったか。」
「その…レッタを助けてくれてありがとう…。」
そう言って深々と頭を下げた。
その言葉を聞いてアリアがニコニコと振り返ってホートライドに言う。
「そうですよ。キルトランス様は悪い人じゃありません。私とレッタが保証します。」
笑顔の裏にある確信を読み取ったホートライドは、自分の認識を変えようと努力する事を内心に誓った。
眠れる少女と寄り添う少女。
動かぬ龍と立ち尽くす青年。
ランプの灯りが揺れる部屋にひと時の静寂が訪れた。




