黄昏の決意
「もうこんな時間…。」
レッタが窓の外を見て呟いた。
空は朱く暗くなり、窓から見える建物は徐々に輪郭を失い、闇に溶けはじめていた。
これが夜というものなんだな、とキルトランスは思った。
ドラゴン界に昼夜はないが、昼夜のある世界もある事は知っていた。
そんなにしょっちゅう、明るくなったり暗くなったりする世界は大変だろうと思った事があったが、昼の太陽の痛さを考えれば、ドラゴン界に太陽が無くて本当に良かったと思える。
レッタは中央テーブルの上に置いてあった燭台に近づくと、燭台の元に置いてある火打石を持って、ふと思い出したように燭台をもってこちらに歩いてきた。
「さっそくで悪いんだけど、これに火を付けてくれる?」
すでに火打石扱いである。
腹は立つが今更前言は撤回できない。それに「悪いんだけど」という言葉があっただけでも良しとしよう。
蝋燭の芯を見てフッと魔力を籠めると、芯先からフワッと火が立ち上り燃え始めた。薄暗くなり始めた部屋に微かな明るさが広がる。この程度の明るさが私にはちょうど良い。
「わぁ…。」
蝋燭の微かな光を見つめながら、レッタが驚きの顔をする。そして少し遅れてエアリアーナも驚きの声をあげてこちらを向いた。
「…ありがとう、キルトランス。」
そう言ってにっこりと微笑んだレッタの顔が、蝋燭の明かりに柔らかく照らされて揺らめく。
「あ、ああ…。」
初めて見たレッタの笑顔と、初めて言われた感謝の言葉に少し動揺した。なんだ、こいつ普通にお礼が言えるではないか。
「さて、と…。」
何かを思い出したように、レッタは燭台を持って歩き出すと、廊下へ出て行った。
「…レッタはどこへ?」
「たぶん暗くなる前に、ランプを取りに行ったんだと思いますよ。」
「…なるほど。」
肯いてみたはいいが、実はランプというものは名前でしか聞いた事がない。
蝋燭は王宮で見た事があるが、ランプなる物を実際に見た事はないので少し楽しみに待った。
しばらくして部屋の扉があき、片手に強い光を放つ「ランプ」と消えた燭台を持ったレッタが戻ってきた。
透明のガラスに囲まれた箱のような形のものの中に、先ほどの蝋燭と同じような光が揺らめいているが、その大きさ強さは大きく異なり、刻一刻と暗くなっていく部屋で少しずつ明るさを強めていた。
「これもマジックポーションとやらなのか?」
ランプを指して尋ねると、レッタは「違うよ。これは糸を油に漬けて燃やしてるの。あ、火はさっきの蝋燭からもらったんだけどね。」という説明をした。
分かるような分からないような感じがしたが、レッタに無意味な上から目線をされるのも腹が立つので黙っておくことにした。
「この燭台。キルトランスが使いなさい?」
レッタはそう言って、燭台をこっちに渡すように差し出した。
「なぜだ?」
「いや、暗くなったら困るでしょ。」
「…?いや、この程度の暗さなら全然困らないが。」
元々ドラゴン界は年中薄暗く、穴の中で暮らす種族も多いために、夜目が効くようになっており、もし灯りが必要であるならば魔力で火を出せばいいし、ずっと火を出し続けてもそんなに疲れる事ではない。
そんな事情から、ドラゴン界では光源の道具が全く発達してこなかったのだ。
「…そう言えば、モンスターって夜目が効くんだった…。ま、好きにして。」
そう言うと、レッタはテーブルの元あった場所に燭台を戻した。
夜目の効かない魔世界の住人はいっぱいいるのだが、別にそれを否定してもなんともならないので黙っておくことにした。
「だが気遣いはありがとう。」
「…どういたしまして。」
先ほどの蝋燭の燈火に浮かんだ微笑みはどこへやら、仏頂面のレッタはランプを片手に部屋のカーテンを閉めはじめた。
外からの明かりが遮断されていくたびに、彼女の手元のランプがより明るくなったように感じる。
そんな彼女の後姿を見ながら、私はレッタにこれからも普通に接していこうと思った。
基本的に悪人ではない彼女は、こちらが礼を言えばちゃんと礼を返すし、好意にはちゃんと報いてくれる性格なのだ。
「さて…と…。」
カーテンを閉め終わったレッタは、再びソファのところに来て座った。
「いつもだったら夕飯にしようかって話になるんだけど…。」
話しながらこっちを向くレッタ。
「今日から一人食い扶持が増えちゃったからどうしよう会議。」
ああ、なるほど。言われてみればその通りだ。
「ああ、私は別にかまわないぞ。適当にその辺で食べるから。」
「…何を?」
怪訝そうな顔で尋ねるレッタ。
「その辺にいる動物だ。」
「その中に人間は?」
「含まれない。」
失礼な。いくら私でもその辺の人間を適当に食べるようなドラゴンではないし、もしそのようなドラゴンであれば、真っ先にレッタを食ってやりたい気分だ。
「そっか…。」
とりあえずの安堵の息を漏らす二人。
「で、でもせっかくお客様になっていただいたのですから、ご一緒にお食事をした方が楽しいのでは?」
おずおずと提案するエアリアーナ。それを横目に見ながらレッタは続ける。
「まあ…アタシは別の理由で一緒に夕飯を食べる事をお奨めするね。」
「ほう、その理由は?」
妙な含みを持たせた言い方に、あえて問うことにした。
「キルトランスがまたこの家を出入りしたら、村が大混乱になるでしょ?」
半目でこちらを睨みながら言うレッタ。
「…なるほど。」
「それは…そうですね…。」
予想外だが正論な答えに、それぞれ納得してしまった。
このレッタという少女、予想外に色々な事に気が回る。無鉄砲に見えて、色々なことを考えたり気をつかったりしているのだ。
「だから、とりあえず村人たちがキルトランスを怖がらないようになるまでは、家から出ない事ようにして欲しい。」
「確かにそうかもしれませんね。」
エアリアーナも同意してきた。私としても、とりあえず反対する理由もないので肯いておく。
「分かった。しばらくは大人しくしておくことにしよう。」
ただ、村人が私を怖がらないようになるのに、どのくらいかかるのかは予想もつかないが。数日で慣れてくれることを祈るしかない。
「じゃ、とりあえずキルトランスがここで食事する事は決定。」
「うふふ。」
嬉しそうに微笑むエアリアーナ。それを見て苦笑するレッタ。
「次。キルトランスって何食べるの?」
「ふむ…先ほど言ったとおり、その辺の動物で食べられそうなヤツとか。」
この質問が意外と悩む。
ドラゴン界では普段何気なく適当にその辺のものを食べていたので、自分が何を食べていたとかをそこまで意識していなかったのだ。
「虫とか…、あと木の実や果実…葉っぱも食べるな。」
色々と思い出しながら口にするのを二人が興味深そうに聞いている。
「へ~、意外。何でも食べるんだね。」
「私もそう思いました。あまり私たちと違わないように感じます。」
「アタシはてっきり巨大熊を丸飲みとか、生きた肉しか食わないと思ってたよ。」
隙あらば歯に衣着せぬ物言いをするレッタ節は相変わらずの健在。
「まあ、確かにそういうドラゴンもいるが…。」
「いるんだ。」
「たいていのドラゴン族は雑食だ。私たちドラゴンニュート族はあまり魚は食べないが、海に住むドラゴン達は魚や海藻を食べる。」
「まあ、そんなドラゴンさんたちもいらっしゃるんですね。」
「うむ。」
おや?海の連中はこの世界には来ていないのか?それともエアリアーナ達が知らないだけなのか?
「それにそもそも、この口の大きさで丸飲みできる動物なんて、鳥かウサギ程度が限界だろう。」
そう言って口を開けてみせる。レッタはちょっと怖がりながらも覗き込む。
「うわ、牙でかい…。でもまあ、確かに…。でも人間の頭くらいならパックリいけそうだね。」
「レッタが試してみるか?」
「いやよ。臭そうだもん。」
え?そういう理由なのか?相変わらず頭の中身が読めない女だ。
「こら!失礼な事言わないの!」
エアリアーナが慌てて嗜めるが、どうせこの女は反省などしまい。
「じゃ、基本的にはアタシ達が食べてるものと同じ料理でいいのかな。」
頭の中で何かを計算しながら呟くレッタ。
「ちなみにどのくらい食べるの?」
「ふむ、今なら…ウサギであれば二匹くらいは食べられるかもしれん。」
「まあ、すごい…。」
「へ~、アタシ達よりは食べるけど、意外と小食なんだね。」
驚いた表情をする二人。
「そうなのか?まあ確かに私は、一族の中ではあまり食べない方ではあると思うが。」
「アタシはてっきり豚十匹とか言うのかと思ったよ。」
「そんな大量の肉が体のどこに入ると思った?」
「ん?いや勝手なイメージだから気にしないで。」
そう言って笑うレッタ。苦笑するエアリアーナ。
「よし、わかった!。」
そう元気に言って膝を打ち、立ち上がったレッタはエアリアーナの方を向く。
「じゃあさ、アタシは一回家に戻って、明日からの服とかを取ってくる。」
「んで、ついでにどっか酒場に寄って、肉とか買ってくるよ。だからアリアはちょっと待ってて。」
「分かりました。私は大丈夫ですから気を付けてね。」
笑顔で肯くエアリアーナの頭を撫でるレッタ。
そして振り向きざまに指をこちらに突き付ける。
「って事だから、アタシのアリアにヘンな事すんなよ!」
「だから最初からしないと言っているだろう。」
ムッとした表情のレッタがフッと力を抜いた顔になった。
「じゃ、行ってくるからさ。アリアをよろしく頼むよ。」
「分かった。大人しく待っている事にする。」
「…ありがと。」
そう言うとレッタは名残惜しそうにエアリアーナの手を握り、顔を近づけ口を頬に付けて離した。
同じようにエアリアーナが口をレッタの頬に付けた。人間の世界の別れの挨拶なのだろうか?
私も真似ればいいのだろうか?と一瞬考えたが、レッタがこちらを横目で睨みつけた事により、まあそんな挨拶をしてくることは無いだろうと考えを改めた。
ランプを片手にレッタは応接室の扉を出た。
本人はまだ知る由もないが、これから本日二度目の彼女の大冒険が始まる。