お茶香る応接室
「アリア!大丈夫?!」
激しく肩で息をしながら、ものすごい形相をしたレッタが扉を開ける。
「…お前こそ大丈夫か?」
そして予想通りに、レッタがこっちをジロッと睨む。
「アリアにヘンな事しなかったでしょうね…。」
「キルトランス様は何もしてませんよ!」
しかし反論しようと私が口を開く前に、エアリアーナが強めに念を押した。それを聞いたレッタの表情が少し和らぐ。
彼女はようやく落ち着けたのか、ゆっくりと台車をテーブルまで運んだ。
彼女が近づくと共に不思議な香りが鼻を突く。
「これがお茶とやらの匂いか。」
「そうですよ。レッタの入れてくれるお茶はとても美味しいのです。」
その言葉にレッタの表情の険がようやく解ける。
「キルトランスはお茶を飲んだ事がないの?」
ポットでカップにお茶を注ぐ。
注ぎ口から茶色の液体が流れ出し、容器を満たしてゆく。
それと共に香りがさらに強く広がった。
「ああ、ないな。初めてだ。」
「そうなんだ。魔界にはそんなものないんだ。」
小馬鹿にした物言いが癪に障るが我慢する。
「あるにはあるのだが、ドラゴン界にはないな。他の種族でお茶を入れる習慣がある奴らはいる。」
「へ~そんな奴らもいるんだね。」
素直に応えるレッタ。
この少女、基本的に悪意が無いのが救いだ。思ったことをそのまま口に出す性格なのだろう。
だから神経を逆撫でされる事はしばしばあるが、必要以上に苛立つまでには至らない。
三人分のお茶を入れ終ったレッタが、それぞれの前にカップを置いた。
しかし私の前にカップを置いてしばらくこっちをジッと見ると、何かを思いついたように部屋の隅に小走りで移動した。
「レッタ、どうしたの?」
「ん、ちょっとね。」
そう言いながら、レッタは部屋の隅に置いてあった椅子を持ち上げてこちらへ寄ってくる。
私の隣にそれを下ろすと、先ほどからあった椅子をずりながら後ろへずらす。重そうな音がするところを聞くと、その椅子は結構な重さがあるようだ。
そして椅子があった場所に、先ほど持ってきた椅子を置く。
「ほら、これに座りなよ。」
そう言ってレッタは椅子をパンパンと叩く。
目の前の椅子は先ほどの椅子と違って背中の部分が無かった。
「なるほど。これなら私でも座れそうだ。」
座ってみると椅子はギシギシと音を立てて少し怖かったが、どうやら壊れる事はなさそうだ。
「…どうやら壊れはしないようだな。」
「…うん、アタシも一瞬壊れるかもって思った。壊れて後ろにコケたら笑えたのに。」
そう言って笑うレッタ。なんというか…子どもみたいに素直な奴だな。
「もう!そういう失礼な事言わないの!」
そう言って頬を脹らめるエアリアーナ。悪びれた様子もなく踵を返して彼女の隣に戻って座るレッタ。
先ほどまで床に座っていた私は、ようやく足の力を抜いてくつろぐことが出来た。再び椅子がギシリと撓る。
「…気をつかってくれてありがとう。レッタ。」
そう言ってレッタの方を見ると、眼を丸くしているレッタ。そしてクスクスと笑うエアリアーナ。
「レッタ。ちょうどさっき、そのことを話してたのですよ。」
「え?どのこと?」
「お礼の話です。」
エアリアーナは先ほどの話を要約してレッタに聞かせた。それをレッタは神妙な顔をして頷いている。
「そっか…。」
「アタシもてっきり魔界の奴らって、絶対に感謝とかしない連中だと思ってた…。」
彼女の口から本音の言葉が零れる。
「もちろん、そのような人もいますけど…キルトランス様は少なくとも、ちゃんとしていらっしゃる方なんです。」
「そう…だね。」
そう言うと何を思ったのか、レッタは私に向かって頭を下げた。
「ごめん、勝手に決めつけて見下してた。」
見下してたのか…とも思ったが、それ以上に意外なほど素直に非を認めた彼女に驚いた。
「いや、別にかまわない。それに先ほどエアリアーナから、魔世界の連中の所業を聞いていた所だ。人間が…レッタが私を過剰に警戒している理由も納得は出来た。」
「それにしても、もし本当に魔世界の連中が感謝などをしない奴らだったら、どれだけ殺伐としている世界なのだろうな。」
そう言ってフフッと笑った。
「確かに実力主義な連中が多いのは確かだが、少なくとも同族に対しては礼もあるし、尊敬や敬意はあるぞ。」
「そうなんだ…。」
それを聞いて複雑な表情で応えるレッタ。そして彼女が何か言おうとした時に、エアリアーナが口を開いた。
「まずはお茶にしましょう。冷めてしまいますわ。」
何か言いたげではあったが、それもそうかと頷くレッタ。
実際、この場で最も喉が渇いているであろう人物はレッタなのだ。
ゆっくりとテーブルに手を伸ばして、カップの位置を探るエアリアーナ。
指にカップが当たるとそれをゆっくりと持ち上げる。レッタはその様子を見ながら、いつでも手助けできるような姿勢を取っている。
そして彼女がしっかりと両手でカップを握るのを見ると、ようやく自分のカップを持ち上げた。
私は二人の様子を見ながらどのように飲むのかを観察することにした。
なにせお茶を飲むのは初めてだし、カップを使うのも初めてなので、まずは様子を見ることにした。
二人はカップの隣に付いている穴に指を入れて持っているようだ。だが私の手元のカップを見ると、どう考えても私の指が入るとは思えない…。
そしてもう一つ気になる事があった。
「どうしたの?キルトランスも飲まないの?」
「…これ、熱いのか?」
「当たり前じゃん。淹れたてだもん。」
「そうか…。」
一瞬キョトンとする二人。
数秒の沈黙とエアリアーナの啜る音が流れ、レッタがおもむろに頓狂な声を上げた。
「…え?!もしかして熱いの苦手なの?」
信じられない!という顔をして目を丸くする二人。
「うむ。熱いのはあまり慣れていない。」
「えええ~…。」
言葉にならない驚きを隠せない二人。そんなに驚くことだろうかと不思議に思う。
「だってドラゴンって火ぃ噴くじゃん。」
コクコクと首を振るエアリアーナ。
なるほど、二人の驚きの理由が分かった。
「いや、私はファイアブレスは出せないぞ。ドラゴン族全てがブレスを使えるわけではない。」
「え~!!」
二人の声が重なる。
話を聞くところによると、どうやら人間界の伝説ではドラゴンは火を噴くのが定説らしい。
確かにブレスを噴く種族はいくつもいるが、そいつらの印象がドラゴン族全体のイメージとしてアルビで広がっているようだ。
他世界の種族同士で、お互いの情報不足により妙な偏見があったりすることはよくある話だが、それはどうやらここアルビでも変わらないようだ。
そして二人にわざわざドラゴンの弱点を教える必要もないので、ここはあえて黙っている事にはしたが、実はブレスを使うドラゴン族の連中も、口の中が熱さに強いわけでは無い。
魔力や体の器官を使って炎を吐くことが出来るだけで、こちらの魔術で炎を口の中にぶち込んでやれば、普通に火傷をするのだ。
「私たちドラゴンニュート族は水しか飲まないから、熱いものを口に入れるのには慣れてないのだ。」
「そうなのか…知らなかった…。」
愕然とした面持ちで、手元の湯気の立つお茶を見るレッタ。
その隣で両手でカップを持ち、フーフーと息を吹きかけているエアリアーナ。
「ではキルトランス様。こうやって息を吹きかけて冷ませば、すぐに飲めるようになりますわ。」
なるほどこれは真似をしてみようとカップに手を伸ばす。
「炎が吐けないって事は、キルトランスは弱いドラゴンなの?」
カップを触りかけた手がピクッと止まった。
…なんだろう。この女は人の神経を逆撫でする特技でも習得しているのだろうか。
だがレッタの失礼発言に、いちいち目くじらを立てない事に決めた私は鼻で笑って応える。
「どうだろうな。試してみるか?」
「え?!ちょっとキルトランス様もレッタも!!」
エアリアーナが体をビクッと震わせる。彼女のカップのお茶が零れそうに揺れた。
「ん~やめとく。だって普通に筋肉で勝てる気がしないもん。」
だがこちらとしては軽い挑発のつもりだったが、天真爛漫なレッタには何の効果もなかったようだ。
何も考えていないがように飄々と返事をされると、こちらもこれ以上の追い込みが出来ない。
「そうだな。それが賢明だ。」
そういって再度カップに手を伸ばす。そして握った瞬間。
バキン!
カップがいとも簡単に砕けた。
砕けたカップからお茶が波のように零れて広がる。
音にビクッとするエアリアーナ。その反動で彼女のカップからもお茶が零れて、彼女の膝の上に落ちた。
レッタが悲鳴と共に立ち上がる。
とっさに台車に置いてあった布に手を伸ばしてこちらに振り返ると、彼女のスカートをめくりあげて熱いお茶が染み込んだ布を体から放すと、その間に布を滑り込ませた。
私は突然動き出したレッタを目で追ってあることに気が付いた。
彼女は布を手にした瞬間、本当に刹那の時間ではあるのだが、こちらを気にしたように見えたのだ。
どちらを先に対処するべきなのか彼女は考えたのだろう。
当然として結果はエアリアーナの方を優先したのだが、嫌われていると思っていた私にすら意識は向けたのだ。
「アリア、大丈夫?!」
悲鳴にも近い声で叫ぶレッタ。
「だ、大丈夫。びっくりしたけど熱いのは一瞬でしたから、たぶん火傷はしていません。」
オドオドしながらも、慌ててレッタに気をつかうエアリアーナ。レッタは彼女からカップを受け取るとテーブルに置いた。
それにしてもお茶をこぼしながらも、カップから手を離さなかったアリアの胆力はなかなかのものだ。
布はみるみるとスカートのお茶を吸って色が変わった。
レッタはスカートをパタパタと振りながらそれを冷ましているようだ。
「とにかく早く着替えないとね。染みにもなっちゃうし。」
そう言って彼女のスカートの結び目に手を伸ばした時に、ふと我に返ってこっちを見た。
「…見た?」
「…何をだ?」
「見たでしょ!」
「だから何をだ。」
何を言ってるのかは分からないが、エアリアーナはその言葉の意味が分かったのが、火を噴くように顔が耳まで赤くなって突然スカートを抑えた。
そしてレッタは自分で言い出したくせに、何かを説明するのに恥ずかしがっている。
「…だ、だから…アリアのスカートの中…。」
「…?いや、見てはいないと思うが…。」
自分でめくっておいて見たとは不条理極まりないが、恐らくここは見ていないと言うのが正解だろうと、とっさに判断して言葉を濁した。
ちなみにどちらかと言えば、機敏に対処するレッタの方を見ていた時間が多かった。
「…ホントに?…って!!そんな場合じゃない!アリア。すぐ着替えに行こう!」
そう言ってアリアの手を握ると、立ち上がって応接室の出口に向かう二人。
扉を開けて出る時にレッタが振り返って叫んだ。
「キルトランスは来ちゃダメだからな!!」
そう言い捨てて、扉も締めずに二人は小走りに走って行った。
恐らくさきほどの部屋、つまりエアリアーナの部屋に行ったのだろう。
私は一人でポツンとお茶の香り漂う応接室に残された。
一人応接室に残された私は、手の中の砕けたカップを見た。
中身は全て零れて床に広がってしまった。
小さいし薄い物だとは思ったが、よもやこんなに簡単に砕けるとは予想外だった。
初めてのお茶が飲めなかった事は残念だったが、せっかく入れてくれたお茶とカップをこのようにしてしまったのは申し訳なかったな。二人が戻ってきた時に謝ろう。
それにしても、この砕けたカップとお茶はどうしたものだろうか。
壊れてしまったものはどうしようもないから、とりあえずテーブルの上に置いておくとして、零れたお茶は…戻しておいた方が良いだろう。
私はそう思って少し意識を集中して床に向かって手をかざした。
床に散ったお茶を握るようにして持ち上げる。すると液体がさざ波を立ててスッと宙に上り始めた。
それを指で握るようにすると、お茶が球状に集まり宙にフワフワと浮いた。
さて、これで床は綺麗にはなったが、問題はこのお茶をどうするかだ。
戻すべきカップは割れて使い物にはならないし、ポットに戻すのも気が引ける。
ドラゴン界では川や湖の水をそのまま飲んでいたし、多少の事は気にしなかったが、ここはアルビで相手は人間。一度地面に落ちた水を飲ませるのは恐らくマナー違反だろう。
しばらく思案したが、結局空気に戻すことにした。
つぶすように液状球をゆっくりと握ると、液体は霧のように空中へ溶けていった。
よし、これでとりあえずのお茶を溢した事に関しては一件落着であろう。
そう思った時に、再び強いお茶の香りが鼻を突いた。
…そうか。普通の水ではなくて、お茶の成分が入っている水だから、空中に逃がしたら匂いも空中に散るのは当たり前だな。
そんな初歩的な事に思いが至らなかった事を悔しく思いながらも、お茶の匂いが嫌いではない自分にとっては悪くない部屋の香りだと感じた。
穏やかな光と、お茶の香りに満たされた部屋でドラゴンは一人、ゆっくりと深呼吸した。
余談ではあるが、レッタが用意してくれた椅子は実は椅子ではなく、オットマンという足置きだったことを知ったのは、だいぶ後日の話である。
ずっと足置きに座っていたのかと複雑な気分ではあったが、例に漏れずレッタに悪意があったわけでは無かったので言葉を飲み込んだキルトランスであった。




