騒乱の終わり
アリアを抱いたままオレガノ邸へと急ぐキルトランスとジャルバ。
庭に舞い降りると、ジャルバはふとホートライドの馬が庭で草を食んでいるのを見つけた。
「なんだ、あいつ先に来てやがったのか?」
だがふと視線を上げると、応接室の窓が割れているのが目に入った。
「レッタは応接室にいるはずです。急ぎましょう。」
今にも走り出しそうなアリアを腕に留めて一行は屋敷の中へ急いだ。
「レッタ!」
キルトランスがだいぶ慣れたような手つきで応接室の扉を開けると、アリアが叫ぶ。だがレッタの返事は無かった。
「おお、白黒ねーちゃんにキルトランス。団長さんも。おかえりです。」
代わりにふわふわと平和なヴィラーチェの言葉が出迎えた。彼女はソファの上に寝そべり、日向ぼっこをしていたようだ。
「レッタは無事ですか?!」
焦ったアリアは手を伸ばし彼女を探そうとしている。
「…なんだこの状況は…。」
後から部屋に入ったジャルバが呆気にとられたような声を上げる。
部屋に広がる血の匂いの中、静かに倒れるレッタと、同じように血まみれのホートライド。
「二人は無事なのか?」
キルトランスがアリアを連れて二人の元に立つ。ジャルバも駆けつけると二人の脈を確認する。
「うん。レッタは怪我してたみたいだけど、もう大丈夫だと思うよ。ホートライドは…たぶん寝てるだけかな。」
そう言って笑うヴィラーチェ。
キルトランスはアリアの腕をつかむと、ゆっくりとレッタの顔の所に差し出した。
指先がレッタの頬に触れる。アリアは確かめるように彼女の顔を撫で、その人がレッタである事を確認した。
「レッタ?…ねえ、レッタ、返事をして?」
いつもよりも冷たいその頬の温度にアリアの不安が増す。
静かに彼女の口元に耳を近づけると、ゆるやかに呼吸をしているのが感じられた。
「レッタは回復魔法でちょっと眠ってる感じですから、すぐには起きないと思いますよ。」
そう言いながらヴィラーチェがいつも通りにアリアの肩に乗った。
アリアは静かに手を滑らせて、レッタの心臓の上に置く。
とく…とく…とく…
静かだが落ち着いた鼓動が彼女の手に聞こえた。
「良かった…レッタ…心配したのよ…。」
返事は無い。だがレッタは確実に生きていた。その安堵が涙となり、無明の双眸から落ちてレッタの胸元を濡らす。
「ホートライドも無事なのか?」
とりあえずの脈の確認をしたジャルバはヴィラーチェに尋ねた。
だがそんな不安など知らぬとばかりに、ヴィラーチェはケタケタと笑いながら答えた。
「たぶん失神じゃないですかね。」
それを聞いてジャルバが大きくため息を付いた。
「なんでえ、ビビらせやがって…。」
「んじゃ、小僧はオレがなんとかするわ。」
突然ぞんざいな態度になったジャルバは、ホートライドを担ぐとレッタから引きはがした。
もっとも彼らは、ホートライドの目に見えぬ功績を知るはずもない。彼が騎士を退けなければ、レッタは止めを刺されていたのだから。
ジャルバは彼を床に仰向けにすると、手早く鎧の固定を外して体を楽にさせた。
自警団をやっていれば、失神した団員の介抱経験は幾度もあるのか、手慣れた様子であった。
その時、ジャルバはふと壁際に折れ曲がった剣が落ちているのに気が付いた。それは自警団の練習用の剣であった。
何をどうすれば、あの鈍らの鉄棒があんなに曲がるのか。大型魔獣の爪でも受け止めない限り、ああはならないだろう。
「まったく次から次へと何が起こったんだか…。」
改めて部屋を見回しても、理解できない事だらけであった。
「アリア、ヴィラーチェ。この部屋で何があったんだ?」
キルトランスが尋ねる。だが二人の話は要領を得なかった。
なぜならアリアが分かったのは、二人の男女、つまり騎士が部屋に入ってきた事と、レッタがやられた事を音として認識していただけであり、ヴィラーチェはそれよりも前に部屋から出ており、帰って来た時にはホートライドに急かされてレッタの回復をしただけなのだから。
「ま、とりあえず、こいつらが目ぇ覚めてから聞くとして…。」
ジャルバはホートライドの回復を待ちながら床に座って背中を壁に着けた。
「腹減ったし眠いし…。」
「一件落着、って事でいいよな…。」
ジャルバの腕が太ももから滑り落ちた。さしもの豪傑も、今朝の騒動は堪えたようであった。
「ねえ、ヴィラーチェさん。レッタは動かして大丈夫なのかしら?」
アリアが尋ねる。見れば彼女の顔も安堵からか少し精気が抜けていた。
「どうだろうねえ、静かに運ぶなら大丈夫だと思うけど、よく分かんないですね。」
「分かった。私が運ぼう。」
キルトランスがそう言うと、アリアとレッタの体が静かに浮かんだ。
ヴィラーチェがアリアの肩を離れると、アリアの顔ががくりと上を向いた。
どうやら極限の緊張を強いられた彼女もまた、睡魔に襲われたようだ。
状況の見えぬ彼女が晒された危機、それは誰よりも恐怖であったであろう。
キルトランスは二人を連れて、隣の部屋のベッドに二人を置きに行った。
ヴィラーチェはニコニコと笑いながら寝ている男二人を見守る。
ほどなくして二人を寝かせてきたキルトランスが戻る。
「ジャルバとホートライドはこのままでいいのか?」
「まあ、ちょっと寝てるだけだからいいんじゃないですかね?」
無責任に笑ってソファにひっくり返るヴィラーチェ。
キルトランスもどうしたものかと少し悩んだが、同じように自分用の椅子に腰を掛けた。
そこでようやく大きなため息を付いた。それを聞いたヴィラーチェが笑った。
「さすがに疲れましたか。」
「…ああ。」
窓からは初夏の太陽の光が照り付け、床を強く照らしている。
アルビに初めて来た時には痛みすら感じた強い太陽の光にも随分と慣れたものだ、とキルトランスは思った。
割れた窓から流れ込む風には、草の香りがした。
「人間界は大変ですねぇ。」
ひっくり返ったままのヴィラーチェが呆れたように言う。
「…そうだな。」
ありもしない罪をなすりつけて同族を殺そうとしたり、政治で戦争をしかけたり。
魔世界でも無いとは言わないが、他世界の他種族でも同じような事をしているのかと思うと、親近感が湧くような、同情をするような気分だ。
「人間も楽しいですね。」
「………ああ。」
それきり、二人のドラゴンもまた沈黙した。
平和なオレガノ邸に起きている者は無く、ただ静かに時が流れる。
タタカナルの騒乱の朝は、こうしてとりあえずの幕を閉じた。




