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どらごん☆めいど ――ドラゴンとメイドと どらごんめいどへ――  作者: あてな
【第六章】ドラゴンとメイドと魔鉱石
135/149

イルシュ・バラージの危機

 時は少しだけ(さかのぼ)る。


 月夜の街道をイルシュは馬で走る。それは疾走ではなく、馬の調子に合わせた気ままなものだ。

 軽快に跳ねる馬の背に、小さなイルシュと大きな胸がよく揺れる。

 そんなイルシュは、(なか)ば放心状態であった。

 逃げた事に対する後ろめたさ、これから起こるであろう騒動への不安、それらの色々な感情が彼女の中に渦巻いていた。

 何が正しくて何をすべきだったのか、今となっては正解は分からない。そして今ごろ分かっても村に戻るわけにもいかない。いっそ、キルトランスの監視などしないですぐに帰れば良かったのかもしれない。

 振り返っても既に村は深夜の闇に飲み込まれ、(やぐら)の場所すら見えなかった。それが少しだけ彼女の罪悪感を軽くしてくれた。

 すると彼女の頭の中に少しだけ余裕が生まれたのか、あることがふと浮かんだ。

 (最後に会えたのがホートライドだったら良かったのになぁ…。なんであの朴念人(ぼくねんじん)なんだよ。)


 その瞬間、何者かの気配を感じ我に返る。

 (ほう)けていた思考が夜露の(しずく)を受けたように引き締まる。

 前方の一本の樹の根本に二人の人影を発見したからだ。

 馬の歩調は変えずに、しかし慎重に影を観察する。

 野盗の類いだろうか?それともただの旅人が休憩だろうか?

 その人影は立っている。つまりは寝ていない。最大限の警戒をしながらも極力気づいた素振(そぶ)りを見せずに近づく。

 その時、ルーナの明かりが一人の鎧を(きら)めかせた。

 (軍人かよ?!)

 緊張が一気に高まった。これならばまだ野盗の方が気が楽であったかもしれない。

 同じ軍人であるのならば、無視して通りすぎるわけにもいかない。恐らくミナレバ駐屯地の者であるからだ。

 注視をしながら馬が数歩歩いた時に、人影たちが樹の影からゆらりと歩み出した。

 その人物を認識した瞬間、イルシュは馬から飛び降りた。

 「やあ、こんばんは。良い夜だね。」

 いかにも優男といった感じの声がする。

 対してイルシュ軍曹は震える足と、強張(こわば)った表情であった。

 「は、はい!良い月夜です!」

 キルトランス達が聞いたこともない言葉遣いで返答をする彼女に、馬さえも何か不穏なものを感じて鼻を鳴らした。

 「そんなに緊張しなくていいわよ。楽にしてちょうだい。」

 後から出てきた影はおっとりとした話し方の女性であった。男と同じく軽装のブレストアーマーを身に付けていた。

 「はいっ!」

 イルシュ軍曹は即座に「休め」の姿勢を取る。

 「ところでキミ、おっぱい大きいね。」

 男の方が当たり前のようにイルシュの胸を持ち上げながら感心した。

 「はいっ!ありがとうございます!」

 不動のまま答えるイルシュ軍曹。彼女の額には大粒の汗が浮かんでいた。もはや自分で何を言っているのかも分からない状態のようだ。

 (帝国騎士団(パラディン)がなんでここに…?!)

 「ちょっと、なにそれ、私に対する当て付け?って言うか、いきなりそれは、さすがに失礼じゃないかしら。」

 少しご立腹の様子の女が彼の手を取ろうとすると、男は慌てて手を引いた。

 彼の腕に付けられている三本剣の紋章、それは帝国騎士団(パラディン)の証である。腰に手を当てて怒った仕草をしている女の腕にも、同じ紋章が(きら)めいていた。

 ちなみに彼女の胸は鎧で分かりづらいが、恐らくは平坦であった。もっともイルシュと比べたら大抵の女性は小さいと思われるであろうが。


 帝国騎士団(パラディン)

 この二人の男女が所属している組織の名だ。

 彼らは軍属でありながら、皇帝直轄(ちょっかつ)の独立精鋭部隊である。

 そこは最強の称号を持つ者だけが入ることを許される場所であり、その強さが帝国の威信そのものとして広まっている。

 しかし反面、彼らは恐怖の代名詞でもあり、帝国民はみな憧れと畏怖を同時に抱くのである。

 その原因の一つが、帝国騎士団(パラディン)は別名「皇帝の代行者」とも呼ばれるほどに強い権限を持っている事であろう。

 軍も司法も彼らを裁くには皇帝にお(うかが)いを立てる必要があると言われ、帝国内に彼らの言動を(とが)められるものはほとんど居ない。

 帝国騎士団(パラディン)は国民の生殺与奪を握り、それは軍部に対してもほとんど変わらないであろう。

 もっとも最強でありながら、比較的人格者が多いために、国内での反発は少ないのが救いだと言える。

 そして最強の剣であるが故に、それほど頻繁に市井(しせい)に顔を出すことはない。もし彼らが警備兵のごとく城下を歩き回っていれば、もう少し事情は変わってきたかもしれない。


 つまりはイルシュは今、彼女の胸を自由にした無礼な男に生殺与奪を握られているのだ。

 もし彼が何らかの理由で気分を損ねて、彼女をこの場で切り捨てたとしても、軍部はもちろんの事、バラージ家ですら文句は言えないであろう。

 それが彼女が視認した瞬間に馬を飛び下り、(はずか)しめられてもなお、反抗の意思表示すらできない理由であった。

 「ははっ。ごめんよ。少し調子にのり過ぎたようだ。」

 口では謝っているが、全く悪びれた様子の無い男は、彼女の胸の感触を思い出すように指を動かしながら言葉を続けた。

 「ところでキミ、あの村から来たんだよね?」

 彼の目がスッと細くなる。イルシュ軍曹の喉が鳴る。

 「はい。駐屯軍からの撤退命令を受けて、脱出任務の最中であります。」

 嘘は無い。もっともそれが嘘か(まこと)かを決めるのはこの男なのだが。

 「ふ~ん。そうなんだ。」

 彼女の肢体を舐め回すように見る男。その自分の欲望に素直な様子に、呆れながら女が口を挟む。

 「あなたは覚えていないかもしれませんけど、一人、ネズミが村に残ってるってお話は会議で出てましたよ。」

 「そうだっけ?じゃ、キミがそうなのかな?」

 上からイルシュの顔を覗き込む彼に対して、姿勢を変えずに答える。

 「第三方面部隊・第二諜報課、イルシュ・バラージ軍曹です。」

 彼女の肩の階級章を一瞥(いちべつ)すると、彼はようやく納得したように少しだけ顔を離した。

 「そうなんだ。ずいぶん遅い脱出なんだね。おっぱいが重くて上手く動けなかったのかな?」

 「申し訳ありません!暗闇に紛れて脱出するのに時間がかかりました!」

 度の越えた(はずか)しめに、さすがの帝国騎士団(パラディン)の女も眉を潜める。同じ人間とは思わないほどには見下している一般人とは言え、同じ女としては不愉快極まるものだからだ。

 「無能な子には罰があるのが普通だよね?」

 その言葉にイルシュの背中に冷たい汗が流れた。

 (殺される…?!)

 恐怖で眩暈(めまい)がした。

 それでも抵抗の意思すら浮かばないイルシュ。それは彼女の中に帝国騎士団の強さはイヤというほど刷り込まれているからだ。

 彼らは一人で小隊に匹敵する力を持ち、普通の軍人など一対一であれば百人連戦してもかすり傷すら負わないほどだ。

 体力・技術・魔術、その全てが最高位の存在。それが帝国騎士団(パラディン)なのだ。

 半ば失神するように後ろに崩れかけた彼女を、女騎士が受け止めた。

 「もう。やめてください。これ以上(いじ)めたら怒りますよ。」

 おっとりとした口調ではあるが、確かに怒りが滲み出ている口調であった。

 「あら、ほんと。すごい重いわね。」

 受け止めつつも後ろからイルシュの胸を持ち上げて確かめる彼女。消え入りそうな意識を辛うじて食い止めていたイルシュにとっては、もはやどうでもいい事であった。

 「な?これは触りたくなっても仕方ないモノだろ?」

 「ダメです。すごいけどダメです。」

 ああ、この女騎士がまともな性格で良かった。少しずつ意識が戻りつつあるイルシュは心からそう思った。


 「もう大丈夫ですか?立てますか?」

 程なくして足に力が入るようになったイルシュから、ゆっくりと手を離して安否を確認する騎士。

 男はすでにイルシュには興味が無くなったようで、樹の根本によさりかかって休んでいた。

 「またあの助平(スケベ)が変な気おこさない前に行きなさいな。」

 騎士はそう言って彼女の背中を押してくれた。

 「ありがとうございます。失礼いたします。」

 助けてくれたとは言え、彼女も帝国騎士なのだ。態度は崩さない。

 それにイルシュは薄々感づいていた。この女の方が男よりも強い、と。

 だからこそ男は女の言葉を聞き入れたのだ。強さを(たっと)帝国騎士団(パラディン)では、強さがそのまま序列になる。

 未だ震える足を鼓舞しながら馬に向かうイルシュ。

 こんな地獄の釜の(ふた)の上みたいな状況に、一分一秒居たくはない。

 逃げたい、逃げたい。その一心で馬の(あぶみ)に足を掛けたその時であった。


 「しかしまあ、なんでたかが『魔女狩り』にボクたちが行かなきゃならないのかな。」


 やる気の無さそうな男の愚痴が、イルシュの背中を切りつけた。

 思わず崩れそうになる手に力を込めて、(くら)(また)がるイルシュ。

 「失礼いたします。」

 最敬礼すると、背を向けて北へ向かって馬の腹を蹴った。馬もこんな危険な場所にはいたくないとばかりに走り出した。

 「じゃあね~。おっぱい眼鏡ちゃん。今度は眼鏡取った顔見せてよ~。」

 やる気の無い言葉を背に受けながらも振り返る事なく走る。

 その彼女の顔は蒼白であった。

 (『魔女狩り』…だと…?!オイオイ、帝国騎士団(パラディン)の目的はキルトランス討伐じゃねえって事かよ!)

 魔女。その言葉に優しくも(したた)かな黒髪の少女の顔が脳裏に浮かぶ。

 (アイツらの目的は…アリアか?!…でも、なんでアリアなんだよ?!)

 跳ねる馬上で必死に思考するイルシュ。

 自分の報告書には確かにアリアの事は書いた。しかし彼女が村の一部の人に「魔女」と呼ばれているとは書かなかったはずだ。

 彼女が魔女であるはずがない。むしろ聖女と呼ばれてもおかしくはないほどだ。それは短い間とは言え、同じ屋根の下に暮らした自分には分かっている。


 馬を止めて後ろを振り返ると、すでに騎士たちの姿は見えず、彼らのいるはずの樹が小さく見えた。

 その距離を認識すると、ようやく自分の命が助かった事に安堵(あんど)できた。

 気がつけば彼女はまるで服を着たまま風呂に入ったように濡れていた。

 汗で擦れ、脱ぎにくい上着をようやく脱ぐと、夜の冷気が彼女のシャツを撫でる。

 今はその寒気が生きている証のように心地よかった。

 馬の背に倒れかかり大きく息を吐く。そしてゆっくりと大きく息を吸い込むと、体にようやく新鮮な夜の空気が染み渡り、彼女の脳を正常にしてくれた。

 そして正常に戻った脳は、先程の言葉を噛み締めた。

 「魔女狩り」

 それは帝国騎士団がエアリアーナ・オレガノを、異端者として処刑しようとしているという事だ。

 なぜ?それは分からない。何がどう転んでそのような事態になったのかは分からないが、結論は変わらない。

 一瞬、村に戻って彼女たちに知らせるかとも考えたが、騎士に見つかれば終わりである。

 あの多少まともそうな女性の騎士も、先程は同じ女としての(れん)びんから命を救ってくれたが、軍の作戦違反は間違いなく見逃してくれまい。

 正直に言えば、未だ彼らが居た樹が小さく見えている事自体に、若干の恐怖を感じてはいるのだ。あの騎士は装備からして魔術の方が得意なのであろう。だとすれば、この程度の距離は安全圏とは言い切れない。

 そしてなによりも、先程イルシュは名を名乗った以上、もし作戦が漏れたような形跡がバレでもすれば、軍法会議ものだ。いや、軍法会議の方がまだ生き残れる可能性は高い。

 騎士団の処刑であれば、ほぼ生き残れまい。そして何よりもバラージ家全体の問題にもなりかねない。


 イルシュは長く悩んだ。何か手立ては無いかと考えた。

 そして地に膝を付き、レッタ・アリア、その他の村の人々の無事を祈り終わると、静かに馬に乗った。

 そう彼女は諦めたのだ。

 なぜなら東の地平が少し明るくなってきた時に、樹の下にいたはずの二人の姿が見えなくなっていたからだ。

 一度だけ振り返り南を見た時、風にのって鐘の音が聞こえたような気がした。


 朝が始まろうとしている。

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