キルトランスの落ち着かない夜 その2
イルシュを見送ったキルトランスは、再び浅い眠りに着こうとしていた。
しばらくすると廊下から小さな足音が聞こえてきて、意識が再び覚醒する。
足音の主はレッタ・コルキアであろう。
静かに歩いていた足音が、彼の部屋の少し手前で止まった。そして圧し殺した扉を開ける音がして、静かになると、再び扉を閉める音が聞こえた。
どうやらイルシュの様子を伺ったようであった。しかしもちろん部屋は藻抜けの空である。
再び足音がキルトランスの部屋に向かう。彼は仕方なく部屋の明かりを灯して彼女を待つことにした。
扉の隙間から灯りが漏れているのに気がついたレッタは、先程よりは遠慮なく扉を開けた。
「…あの子、居なくなってるね。」
部屋に入るなり、挨拶もなく話始めるレッタ。
「そうだな。先程、私の所には寄ったが。」
当然のように話を返すキルトランス。
「そうなんだ…。やっぱり『そう』なのかな?」
二人のやり取りを見るからに、どうやらレッタが出奔する事を予見していたようであった。
話は今日の昼間に遡る。
実はイルシュが昼間に部屋でごろごろと悩んでいる間に、三人は自警団本部へ向かっていた。
「あれ。絶対何か隠してるわよね。」
隠し事をされているのが不満そうにレッタが言う。彼女はなんだかんだ言いながらも、自分を慕ってくれているイルシュに対して悪感情はないのだ。
「何でしょう…。いつもとは隠している内容が違うような気がいたします。もっと深刻な…。」
イルシュの身を案じてか、心配そうに呟くアリア。彼女もまた、イルシュが本質的に悪人ではない事を分かっているために心配をしている。
「少し調べておく方が良さそうだな。」
キルトランスの提案で情報収集のために酒場に向かう三人。
彼からすれば、監視役である彼女が何かを隠しているのは不安要素として大きい。もし原因があるのならばそれを知っておきたい部分もあった。
だが三人が北の山の果実園亭に向かうと、情報は拍子抜けするほどにあっさりと手に入った。
「ああ、そりゃミナレバの軍に何やら動きがあるからだろうねぇ。」
昨日行商から帰ってきたノノロラが、昼間から酒を呑んで酔っていた。良い商いができたのか上機嫌で、食卓の食べ物もいつもよりは豪華であった。
そしてそのご相伴に預かるジャルバ団長も赤ら顔である。もはや日常と化し、何とも思わなくなった少女達は当たり前のように円卓を囲んで話を聞いた。
各国の諜報部がどんなに暗躍しようと、商人達にはそれを上回る情報網がある。
軍を動かすとなれば、必ず物資は動く。そうなれば利にさとい商人達が嗅ぎ付けないわけが無いのだ。
ではなぜ国家は諜報員として商人を使わないのかと言えば、彼らは利益さえあれば敵味方関係なく商売をしてしまうからだ。
とにもかくにも、イルシュの必死の隠蔽工作はほとんど無意味であり、彼女が動くであろう可能性は事前にキルトランス達には気付かれていたのであった。
「ただ、けっこうな数のエンチャントの補充が出たらしいね。」
もっと早く知っていれば「おこぼれ」に預かれたのに、と悔しがるノノロラが酒をあおる。
すると赤ら顔のジャルバ団長の瞳がスッと細くなった。
「マジポが大量に必要になる事態となれば、ガヴィーター帝国との戦いか…」
グラスに残った酒を一気にあおる。
「…そうじゃなけりゃ、龍退治…か?」
彼の言葉に一同が静まる。
不穏な言葉ではあるが、可能性としては無くはないのだ。
イルシュが定期的に駐屯地に報告書を送っていたことは全員知っていた。ノノロラも一度だけ送配を頼まれたことがあった。
もちろん内容までは知るべくもないが、少なくとも下らない日記でないことは確かであろう。そうなればキルトランスや村の状況は軍部、ひいては帝国中枢に知られていてもおかしくはない。
その結果、中枢がキルトランスを危険視して討伐を目論む事もありえなくはないのだ。
だがそれならばもっと早期に動きがあってもおかしくはない。なぜこんな数ヵ月の今に動くのだろうか。
「ワタシのせいですかね?」
ヴィラーチェが不安そうな顔をして尻尾を項垂れた。
確かにヴィラーチェが来てから動いたと考えれば、若干早すぎる気もするが、可能性としてはありうる。
アリアは静かにヴィラーチェを撫でながら、「違いますよ。ヴィラーチェさんは何も悪いことはしていないですから。」と慰めた。
「ガヴィーターとの戦いなら安心、とは言うわけにもいかねえが、少なくとも、もし本当に軍がキルトランスの討伐目的で動くのだとしたら、対策は考えておかないといけねえな。」
ジャルバ団長の瞳が鋭くなる。昼間から酒を呑んで酔っていても、彼はれっきとしたタタカナル自警団長なのだ。
その時、黙っていたキルトランスが口を開いた。
「私とヴィラーチェが村から出ていけば良いのではないか?」
人間達が呆気にとられて固まる。なぜならここにいる誰一人として、彼を追い出そうなどという考えが無かったからだ。
「おい、ふざけんじゃねえぞ!」
その時、静まり返った酒場にジャルバ団長の怒号が響き、アリアが小さく悲鳴を上げて肩をすくませた。
彼の顔は今までに見たこともない表情をしており、レッタはこの酒呑みのおっさんを初めて怖いと感じた。
「オレは自警団団長だ!村人を敵から守るのが仕事なんだよ!お前らを見捨てて自分たちだけ助かろうなんて考えは毛頭ねえ!」
短い間とは言え、多くの村の住人にも馴染んで、村人の一人として村にも貢献してきた彼を見捨てるなどという事が出来ないのが、このジャルバ・ミランドールという男である。
「…すまない。」
キルトランスは静かにそう応えた。
「そうですよ。キルトランスさんのお陰で、最近じゃ村に来る行商の人が少し増えて助かってるんですから。」
団長の剣幕に圧されつつもノノロラも口添えをした。
「キルトランス様がいなくなってしまうなんて…。」
アリアが泣きそうな顔で呟く。
レッタは怯えた彼女の肩を抱きながら(いや、アタシとしてはキルトランスが居なくなってくれた方が有り難い面もあるんだけどな…。)とは思ったが、さすがに悲しむアリアを前にして口には出さなかった。
空気を読んだ面もあれば、実際に彼が来てから助かっている部分も多かったからだ。
酒場にいた自警団達も次々にキルトランスの擁護に回ってくれた。
「…ありがとう。」
キルトランスは静かに礼を言った。それは心から出た言葉であった。
人間もこんなにも義に厚く、仲間を大事にするものなのだ。例え力が弱くとも、見下して良い存在ではない。
もちろんそんな事は村の生活で知っていたつもりであったが、改めて今、自分が置かれている状況が幸せなものだと再認識できた。
(魔世界はアルビを…この世界の人間達を守っても悪くないな。)
キルトランスはそう思った。
その後、暫定対策として村の櫓の警備を強化して、周囲の警戒とイルシュの動向の注視をすることに決まった。
ミナレバに続く街道の西の櫓にはジャルバが、帝都への道となる東の櫓にはホートライドが、そして迂回路として使われる可能性が高い北の櫓にはモルティが着くこととなった。
まさか初日にいきなり動きがあるとは思っておらず、しかも念のための警備であった北の櫓に来た、という状況を踏まえて、モルティ副団長から出た言葉が「あれ」なのだ。
後になって、その作戦を聞いたときに副団長は難色を示した。
作戦の一つに「もしイルシュが村をこっそりと出るとしても、それを止めるな。」という内容であったからだ。村の出入りの際の規則の例外を認めることになるからだ。
結局は団長の説得によって渋々折れることとなったのではあるが。
そしてこれらの作戦は他の団員に伝えられることなく決行されることになった。それは知る団員が増えるほどにイルシュ側に気付かれやすくなるからだ。
そのお陰で、櫓での団員たちの様子はいつも通りであった。
「誰の所に行ったのかな?」
後ろ向きに椅子に座ったレッタが、背もたれに顎を乗せながら言った。キルトランスの作り出した灯りが彼女の横顔を照らす。
「さあな。南の櫓以外なら問題はなかろう。」
さして興味の無さそうな返事のキルトランスは、先程から再びベッドの上で丸くなっている。
しばしの沈黙が部屋に流れる。キルトランスは珍しいな、と思った。
レッタが部屋に来ることは今までもあったが、何かの用件を伝えるためにだけ来て、それが終わればさっさとアリアの下に戻っていったからだ。
何か他に言いたいことがあるのだろうか。そう思った矢先にレッタがポツリと呟いた。
「アリアを守ってあげて。」
キルトランスは少し驚いて目を開いた。レッタを見ると彼女は視線をおとして床を見つめている。それだけ見たらまるで独り言である。
「アタシは弱いからさ。アリアを守ってあげる自信はないの。」
その言葉には悔しさが滲み出ていた。
「そのためにイルシュから剣を教わっていたのではないのか?」
「そりゃそうだけど…。結局一回もイルシュに勝ててないし。」
吐き捨てるようにこぼすイルシュ。言ってることは事実であった。
「もし本当に軍が村に来たら、兵士相手に戦える自信もないし、戦いたくもないわ。」
彼に対しては妙に挑発的なレッタではあるが、性根は攻撃的な人間ではない。それはキルトランスも理解していた。
「相手が一人なら少しは守れるかもしれないけど、たくさんいたらどうしようもないじゃない。」
「ふむ…。」
それはそうだが、彼女はどんな状況を想定しているのだろうか。
「そもそも、もし軍が来るとすれば、目標は私だ。ヴィラーチェも可能性はあるが。」
冷静に返すキルトランスに黙って頷くレッタ。
「それにもし来るとすれば、村の外で迎え討つと話していた。村に被害が及ぶ事はないし、アリアが襲われることはないだろう。」
「そうなんだよね。でもさ、なんか不安で…。」
珍しいレッタの弱気な言葉に少し喉を鳴らす。
「アリアにはマントを与えてある。あれを着ていれば、よほどの事がない限り彼女に危害が及ぶ事はないだろう。」
キルトランスは再び目を伏せて話した。
「よほどの事」とはキルトランス視点での話である。あの完成度の防護マントを、突破する事が出来る人間などアルビに存在するとは思えない。
「そりゃそうかもしれないけど…。なんか心配でさ。」
いつもの歯切れの良い言葉が出ないレッタ。
「だからこうしてキルトランスなんかにお願いに来たんだよ。」
本気で嫌そうである。
「だいたい、いつの間にか『アリア』って呼んでるし。」
この言葉には虚を突かれた。キルトランスが珍しく目を丸くした。
「…あれは彼女がそう呼んでくれと言ったからだ。」
素直に事実を述べた彼をレッタは逃がさない。
「アリアが言ったのはもっと前だったらしいわね。なんで最近呼ぶようになったのよ?」
追求は厳しいが、実はキルトランスも言われて初めて、自分がアリアをそう呼ぶようになっていた事に気がついたのだった。
「…なぜだろうな。」
言葉を濁すが理由は明白であった。彼女をそう呼ぶことに抵抗があったのは、会ったばかりで仲良くもない頃の話だ。
つまりは長い時間を過ごし、少なからず仲良くなった、と彼が感じていたために自然と出た言葉なのだ。
「…別にいいけどさ…。」
どう好意的に解釈しても「いい」とは言えなさそうな、表情のレッタを見ると少しだけ微笑ましかった。それは単なる嫉妬であるからだ。
「そういう訳だから、もしアリアに何かあったら絶対に許さないからね!」
そう言い捨てるとレッタは椅子から立ち上がる。
睨み付ける彼女を見返しながらキルトランスは小さく溜め息をついた。どういう訳なのか分からない。
それでも彼女の気概と、自分へのある程度の信任は理解できた。
「分かった。彼女を守ろう。」
「もちろん私もアリアからは離れないで守る。」
そう言って彼女は部屋から静かに出ていった。どこまでもレッタであった。
キルトランスは少し喉を鳴らしながらも、小さく溜め息をついて再び目を閉じた。
灯りが霧のように霧散し、部屋に静寂と暗闇、そして月の淡い光が戻ってきた。




