アルビの家
それからしばらくの間、主にエアリアーナから、時折レッタから質問を受けた。
この世界、彼女たちの言う「アルビ」という世界に来た理由から、私と言うドラゴンニュートという種族の話などだ。
ただ偵察の話は伏せておき、長老から言われた『世界を見て来い』という話だけを伝えた。これなら嘘でもあるまい。
いくつかの質問の後、エアリアーナはふと思いたったように声を上げた。
「いいかしら?レッタ。」
そう言ってエアリアーナはレッタの方を向く。
「キルトランス様を、これから我が家のお客様としてお迎えしようと思うの。」
彼女が見えない事を良いことに、至上の仏頂面で聞くレッタ・コルキア。
人間の細かい表情に慣れていない私ですら、この顔は明らかに不満だと感じられるほどの無表情。
「うん…うん…。」
見事なまでの空返事である。いくらなんでもエアリアーナにも伝わってはいるだろうが、エアリアーナは無視して話を続けた。どうせ納得はしてくれないだろう、と内心では諦めているのかもしれない。
「そう言えば、キルトランス様はどのくらいアルビにいらっしゃる予定なのでしょう?」
そう言われて答えに窮した。
実は明確に期限が決められてはいない。
宮殿では時が来れば、念話で撤退命令が来るものだと聞かされていたので、ある日突然来るだろうと思っていたし、ある程度の成果があったら勝手に帰って報告しようと思っていたのだ。
だがここで嘘をつく必要もないので、素直に答える事にする。
「それが…特には決められていないのだ。私の気が済むまで、とでも言っておこうか。」
それを聞いたレッタがなぜか瞳を輝かせる。
「つまりそれは明日にでもアルビに飽きて、ケツまくって帰る可能性があるってことね?!」
こいつはどうやら心の底から私が疎ましいようだ。
「そうだな…だが、レッタのような面白い奴がいるのだから、そうそう飽きることはあるまい。」
別に腹を立てている訳でもないが、妙に癪に触って意地の悪い返しをすると、レッタが臍をかむような表情をして歯ぎしりをする。
私はレッタに好意を持っているわけでもないが、過剰とも言えるであろう表情の豊かなこの女を見ているのが少し楽しくもなってきた。
このやりとりを聞いてエアリアーナは少し笑った。
笑い方や笑い声の機微は、魔世界の住人も人間も大して違いは無いようだ。
彼女の声に、私は彼女の感じている楽しさを共感する事が出来た。
「それではキルトランス様のお気の済むまで、こちらにいらしてくださいませ。」
そう言って鈴を転がすような笑みを溢すエアリアーナ。
ドラゴン界から来て数日程度で、このような人間に会えるとは運が良かったと思う。
正直に言えば、前知識として人間が魔世界の住人に、恐怖や敵愾心を持っている事は知っていたし、この町に来るまではその刃を何度か向けられてきた。
それでも中には受け入れてくれるであろう人間もいる、と思って各地を巡っていたのだ。
「アリア…本気?」
「はい。もちろんレッタも協力してくれるわよね?」
「ええ~…えええ~…。」
私としてはレッタ程度の受け入れ方でも嬉しい方ではあるのだが、そんな事を言っても彼女の反感を買うだけであろうから黙っておくことにした。
「うう~…う~ん…。」
長考である。
「…イヤなの?」
痺れを切らしたエアリアーナが少し語気を強める。
「じゃあアリア!一つアタシからも条件!」
迷いを振り切ったように顔を上げて言い切るレッタ。
「アタシも一緒に住む!それが条件!」
『えっ?!』
計らずしもエアリアーナと私の声が同時に出た。
「私は…構わないけど…。」
そう言ってこちらの様子を伺うエアリアーナ。
私がレッタを疎ましく思っている、と彼女は思っているのかもしれない。
先ほどレッタを悪く思ってはいないと言った私だが、彼女がずっと一緒にいるとなると思うと、その感想も少し異なってくる。
そのうち打ち解けてくれるだろうという淡い希望も持っていなくはないのだが、その前に私の心が折れる可能性もある。
その場合はこの街から出て行けば良いだけのことだが、また受け入れてくれる人間を探す苦労を考えると億劫なのは否めない。
両者を天秤にかけて楽な方を選んだのだった。
「…まあ、私も構わないな…。」
「イヤそうね。」
そう言いながらもニヤニヤと笑うレッタ。
私なりに即答をしようと努力をしたつもりではあるが、明らかな間が空いた事は事実だろう。
その間を感じ取ったレッタが、先ほどの意趣返しとばかりに言い返してきた。
「そうでもない。レッタが居てくれれば色々と退屈はしなさそうだ。」
こちらも反撃を試みたが、どうにも歯切れが悪い。
だがこんな人間の小娘にやり込められるとは、腹立たしくもあり小気味よくもある。
私はこのアルビと言われる世界に来る時に、内心決めていたのだ。
可能な限りの先入観を捨てて、私が見たままの、感じたままの姿を知ろうと。
「こんな木端世界、我が魔世界の住人がまともに相手をする必要もない。人間など所詮は下等な道具なのだ。」
そう嘯く輩が魔世界に多いのも事実だ。そいつらを否定する気もない。
やつらの言うとおり、ここは吹けば飛ぶ塵のような儚い世界であり、哀れな住人達である事には違いない。
だからと言って、こちらからわざわざ吹く必要もないだろう。
些末な問題ならば捨て置けばよいものを、わざわざ怖がらせてどうするのだ。
そのような態度で先人たちがこの世界に関わったおかげで、私が人間に溶け込むのに苦労したのはいい迷惑だ。
子どもの時から長老に言われていた「お前は風と同じであれ。偏らず固まらず、常に自由であらゆるものに等しく接しよ」という言葉がある。
その教えの影響なのか、私の生来の性格なのかは分からないが、それは私の中で礎になっていた。
この眼前の二人の娘は、私と同じ意志を持った生き物であり、敵陣の只中と言えなくもないこの世界の数少ない理解者なのだ。
まずはこの事実を大切にするべきだろう。
「エアリアーナ・オレガノ。…そしてレッタ…コルテアだったか?。」
二人が少し驚いた表情でこちらを見る。レッタが小声で「コルキア」と言う。
「二人とも、ありがとう。短い間かもしれないが、これからよろしく頼む。」
そう言って私は膝を少し折った。
これは無意識で出たドラゴンニュート族の礼式であり、人間たちには通じる由もなかったのだが、それを知ったのはしばらく後であった。
素直に満面の笑みを浮かべて応えるエアリアーナ。
驚きのあまり焦った表情だったが、彼女の様子を見て腹をくくったように応じるレッタ。
この時の二人の表情は忘れる事はないだろう。
ここから私の異世界、アルビでの生活は始まった。