木々と風のざわめき
「アンタ…アンタ…何やってるのよ…。」
そこには顔面蒼白で口元を震わせているレッタが、こちらを指さしながら起き上っていた。
「キルトランス…私のアリアに、なに勝手な事してんのよ…。」
え?あまりの予想外の言いがかりに、一瞬だが思考が止まる。
いや、どう見ても私が何かしてるんじゃなくて、エアリアーナが私に何かをしているようにしか見えないはずだが…。
だが彼女のあまりの迫真の怒りに、もしかしたら私が思っている状況と、現実に起こっている状況が違うのかもしれない…と思って眼下を見ると、やはりエアリアーナが私の胸元に抱きついている。
「いや、これ…」
「違うのよ。レッタ。私がキルトランス様を見たくてお願いしただけなの。」
私が誤解を解こうと口を開こうとした矢先に、エアリアーナが状況の真実を伝えてくれた。
よかった。私が言うよりも、彼女の口から言った方がよほど説得力が
「そんなの関係ない!!」
無かった。
おかしい…エアリアーナの言葉はレッタには効くはずなのだが。
レッタはベッドから降りようとして二度ほど崩れ落ちた。手足が震えて上手く立てないようだ。その様子は卵から出たばかりの赤子を連想させた。
「どうしたのレッタ?」
エアリアーナが私の体からゆっくりと離れ、立ち上がりベッドに向かおうとする。
手探りでゆっくりとベッドの方に手を差し伸べると、震える手でレッタが握った。
「ア、アタシというものがありながら、そんな男と…。」
…ん?こいつの言っている事が何かおかしくないか?
「違うのよ。私がお願いしてキルトランス様を見せてもらってたの。」
エアリアーナも事の重大さを認識したのか、子どもに言い聞かせるように震えるレッタの頭を撫でながらゆっくりと繰り返す。
エアリアーナの必死の説得の甲斐あって、しばらくしてようやくレッタは落ち着きを取り戻した。
「でもね…。」
そう言ってレッタは真っ赤に充血して、まだ涙も残っている瞳でこちらを睨みつけた。
「アタシはアンタを許さない!」
「いや、ものすごく理不尽な恨みを受けているようにしか思えないのだが…。」
「そうよレッタ。キルトランス様は何も悪くないって言ってるじゃない。」
「分かってる…。分かってるけど…イヤだ!!」
どうしようもない。取り付く島もないとはまさにこの事だ。
どんなに理論で正誤を解いても、快不快を持ちだされたらそこに論理など通用しないからだ。
「で、許さないとしたらどうするのだ?」
「一発殴らせなさい!」
「イヤだ。」
言いがかりそのものが理不尽なのに、その上殴られるなんて迷惑この上ない。
「む、むかつく…。」
いや、そろそろ私の方が怒っても許される状況になってはいないだろうか?
「ダメです!!」
突然の大きな声に、私とレッタがビクッと身を竦めた。
エアリアーナの一喝。
「…暴力はダメです。まして罪のない人への暴力なんて許しません。」
そう言ったエアリアーナの瞳は、見えていないはずのレッタをしっかりと見据えていた。
エアリアーナの瞳をその時私は初めてしっかりと見た。
エメラルドグリーンに輝く瞳は、本当に光を失ったのかと思うほど澄んでいて、うっすらと浮かべた涙がより輝かせている。
その力強さは私ですら畏怖を覚えるほどのものであった。
部屋の中を静寂が支配する。
その時ふと風が吹いたような心象を受けた。
私の風が掻き乱されたが、それをしっかりと受け止めつつも流してつながる壁。
それはつまり広大な森林。
風は森に吹き込み留まるが決して淀ませる事のなく、豊かさへとつながり吹き抜けてゆく。
そうか、この者は樹の魂を持つ豊穣の者なのだな。
決して不快ではない沈黙に包まれた部屋で、私はこの出会いに感謝をした。
なんだ。人間にも面白い者がいるではないか。
そう感じた私は妙に楽しかった。