少女の戦い
「分かった。納得してあげる。」
それからしばらくは、私とエアリアーナの二人でレッタを試行錯誤しつつなだめたり、経緯や事情を話したりして彼女に理解を求めた。
時間にして十分ほど過ぎただろうか、ようやく彼女は私に対する敵意を、ある程度は解いてくれた。
だが一方で私が彼女たちの事を知れたので、時間を浪費した甲斐はあった。
まずエアリアーナと同じ雌…いや、人間の場合は「女」という事。
次にレッタは、エアリアーナの世話をしている友達だという事。
そして二人は別々の家に住んでいるという事。
人間も魔世界の住人と同じように、相互扶助の概念があるとも分かった。
あとはどうやら雌雄…男・女の区別を、より強くしているという事も分かった。
人間も動物も同じ生き物だろうに、なぜ雌雄の言い方を分けているのかとも思ったが、きっとそれが人間の文化なのだろうと思って受け入れることにした。
「でも、キルトランス。アンタの事を許したわけじゃないからね!」
そう言って指をこちらにビシッと向ける。
何も悪い事をしていないという事実は納得してくれたのに、許さないとはどういう事かとも思ったが、もうそれを聞く気力はなかった。
どうせ聞いても納得のいく答えは出てきまい。とりあえず、目の前のレッタという女がそういう奴だという事だけはよく分かった。
「もう、レッタ…キルトランスさんは悪くありません!それ以上変な事を言って困らせると怒りますよ!」
「ええぇ~…だってぇ…。」
そしてエアリアーナの言葉には絶対服従なのも発見できた。今後はレッタに何かをさせたい時は、エアリアーナに頼むようにしよう。
「こんな怖い魔物とアリアが一緒にいるなんて心配で死ぬ!」
さすがに「どうぞどうぞ」とは口にはしなかった。
「レッタ…私にはキルトランスさんがどんな外見をしていようが関係ありません。」
この言葉には少しだけ凄みがあった。そしてこの言葉にはものすごい効き目があった。
レッタは唇をかんで下を向いて小さく「ごめん…」と謝った。
確かに目の見えない彼女からしたら、私がどんな外見をしているのか知る術がない。
それが故に他の人間と異なり、外見による恐怖を受けなかったのが幸いしたとも言える。
「私はまだ少ない時間とはいえ、キルトランスさんと話して信用できる人だと感じました。…それこそ、その辺の怪しい男たちよりもよっぽど信用できます。」
レッタはうなだれたまま肯く。
「分かった。アリアがそう言うなら私は従う。」
一瞬ものすごい殺気を含んだ視線で私を睨みつけたが、それはすぐに氷解した。
すると目元が下がり表情が一変した。
なんだ、この女はこんなにも柔らかい表情が出来るのではないか。そのギャップが妙に面白い。
相変わらず相手を観察するつもりのないキルトランスではあるが、表情を読み取ろうとしただけは人間側に寄り添おうとしている気概はあるのかもしれない。
しかし彼の視点からはまだ見えていない部分の補足をしておこう。
レッタはエアリアーナよりも一回りほど身長は高く、体のラインはより女性的である。
腰まで伸ばした長い髪は、黄金の麦穂を連想させる赤みがかった茶色。
深窓の令嬢を思わせる白く透き通ったエアリアーナの肌とは対照的に、レッタの肌は程よく日焼けをしている。
ただ日焼けと言う概念を知らないキルトランスは、今はまだ生まれ持っての肌の色だと勘違いしているであろうが。
そして視線は鋭いが少し垂れ目ぎみの目元には黒子があり、人間の男がみたら独特な色香があると感じるだろう。
フワッとした半袖のブラウスに、腰をタイトに締め上げたハイウェストのロングスカートはこの地方独特の民族衣装だ。
「さて、目の前の敵はようやく大人しくなってくれたのだが…。」
エアリアーナが苦笑し、レッタは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「家の周りを包囲している敵はどうしたらいいものか…。」
彼女たちと話をしながらも感じていたが、この家の周囲に武装した兵士たちが徐々に集まってきて監視されていた。
殺気立っていると言うよりは警戒している空気だったので、特にすぐに対応するつもりもなかったし、それよりも目の前の獣のようであった女の対応の方が先決だと思ったから捨て置いたが。
だが、女たちは気づいていなかったようでハッとした。レッタは窓辺に駆け寄りカーテンの隙間から外の様子を見た。
「ホントだ。自警団の連中が完全武装して包囲してる…。」
その言葉にはほんの少しだけ安堵が混じっていた。
それもそうであろう。エアリアーナを単身で救出しようと乗り込む覚悟だった彼女からしたら、周りに味方がいたのだから。
「キルトランス様、どうしましょう…。」
そんなレッタに対しエアリアーナは不安そうに尋ねる。どうやら彼女が私を受け入れてくれた、という事実は信用してもよさそうだ。
「ふむ…別にどうしてもいいが…。やろうと思えばこの程度の数は物の数ではない。」
「え、マジで?!キルトランスそんなに強いの?」
カーテンから顔を戻してレッタが驚く。
「たぶん、な。あの程度の人間の数であれば…一瞬だ。」
これは慢心でもなんでもない。感覚としては魔術を使うものはいなさそうだ。
恐らく人数は三十人前後。一瞬で『風に戻す』事も可能だろう。
「ダ、ダメです!」
エアリアーナが強く叫んだ。
「そんなことしたら町にいられなくなっちゃいますよ?!」
「…まあ、そうだろうな。だから私もやるつもりはない。」
それを聞いて安堵する二人。
「キルトランス様はそんな事をする人じゃないって信じてます…。」
「…向こうから襲ってこない限りは、だ。」
複雑な顔をするエアリアーナ。
理解はしてくれているのだろう。こちらにも正当防衛があるという事に。
「でも、アイツら完全に武装して戦う気じゃないの?」
再びカーテンから顔をのぞかせてレッタが言う。
「そうだな。だからどうしたものかと思案している。私が言って説得して聞くと思うか?」
「それは…。」
エアリアーナが口ごもる。
その時、カーテンを閉めてレッタが毅然とした口調で言った。
「アリア。」
「どうしたのレッタ?」
その口調の変化に気が付いたアリアの口元も自然と引き締まった。
「キルトランスの事をホントに信用するの?」
「え…う、うん。私は信用する事に決めたの。」
突然の質問に戸惑いながらもはっきりと言い切ったエアリアーナ。盲目の目元にはしっかりとした意志が宿っている。
「…ふうっ…分かった。」
複雑な強いため息を吐いたレッタは重い返事をした。
おもむろに首元を締めていたリボンを取った彼女は、その長い髪を一本に纏めた。
「アリアのその気持ちに私は答える。自警団を説得してくる。」
そう言い切るとレッタは部屋の扉へ向かった。
アリアは何かを言いたげであったが、それを言葉にする事はなかった。
なぜなら、レッタがこうなった時は、何を言っても曲げられない事。そして言った事は必ず実行することを知っていたからだ。
「だからアリアは安心して。あと、キルトランス。絶対に手を出さないと約束して。」
「わかった。あいつらが攻撃をしてこない限り反撃はしない。それは約束しよう。」
私の方を一瞥して睨むと、レッタは返事をせずに部屋を出て行った。
その視線は今までの憎悪に満ちたものではなく、信用を感じられるものであった。
彼女の足音が小さくなると、遠くで家の玄関の扉が強く開け放たれた音が聞こえた。
レッタの孤独な戦いが始まろうとしていた。