午前九時②
言ってしまえば、彼女は人間では無い。人類の知恵を結集させて、近年開発に成功した最新鋭アンドロイドーー通称『アブソリューター』だ。
アニメから出てきたような美男美女の姿をしていて、中身は機械なのにも関わらず、人と同じ言葉を話し、人と同じ物を食べ、人と同じ様に生活し、更には感情までもを兼ね備えている。生身の人間とまるで変わらない。
また戦闘力も高く、正に人間という種族の上位互換と言える。
改良に改良を重ね、遂に数ヶ月前に一般販売がされると、高額なのにも関わらず、僅か一週間で完売する程の人気を博したーー主に美少女は。
アヤカの家、兼探偵事務所のある公園から少し離れた場所にある、寂れた小さな商店街。一昔前は多くの人で栄えていたが、店の殆どが不景気の波に受けて経営難に陥って、泣く泣くシャッターを下ろす事となり、正に『シャッター商店街』と呼ぶに相応しい光景へと成り代わってしまった。
そのシャッター商店街の中に、アブソリューターのメンテナンスや修理を行う専門の店はある。
黒のノースリーブを着て、丈の短い青のスカートを履いた、青いリボンで黒髪を左右に束ねたツインテールの少女は、その店の中にある待合室で、自分の番が来るのをじっと待っていた。
彼女の名前はデルタと言って、アヤカの所有する美少女アブソリューター、そして探偵事務所の蓮兎以外のもう一人の所員。その戦闘能力は、アブソリューターの中でもトップクラスだ。
彼女はアヤカと共に、よく戦闘を繰り広げる事が多く、他の者よりも、多く店に通う必要があった。
朝早くに目を覚ましたデルタは、隣で爆睡しているアヤカを起こさない様に、彼女物音を立てずに忍足で動いて、この店に訪れた。
ーー早く、帰りたいなぁ。
そんな事を思いながら、デルタは深く嘆息した。
『次、No.556』
待合室に、無機質なアナウンスが鳴り響く。
デルタという彼女の名前は、主人であるアヤカが付けたもので、正式名称は『No.556』。つまり、デルタの点検の出番が来たという事だ。
「やっとかぁ⋯⋯」
愚痴を零しながらも立ち上がると、診察室の方へと歩いていく。
店と言っても、やっている事は人間で言う病院と大差無い。一人の研究者が、アブソリューター達の身体や中身を精密に検査し、異常が無いかを確認する。
デルタがこの店に通っている理由としては、担当している研究者が女性だからだ。男性なら、絶対にアヤカが行く事を許さない。担任が許さない。
「ではいつも通りの方法で、検査を開始しますね☆」
担当の研究者であるセレナーデ・アヴァロンが、顔の前で手を合わせ、笑顔で言った。
金色と言うよりは黄色い髪をしていて、後ろに束ねて縛った言わばポニーテールをしている。
地味な色をしたセーターを着ていて、その上に如何にも研究者らしい白衣を身に纏っている。豊満な胸は、無に等しいデルタやアヤカにを嘲笑う様に、よく揺れていた。
セレナに連れて来られたのは、いつも通りの部屋。全面が鏡張りの壁に覆われ、天井もまた同じ。部屋の中心には人一人が横になれるベッドがある。ここで、アブソリューター達は隅々まで検査される。
「⋯⋯」
デルタは指示される前に、ベッドに横になり、天井に目を向けた。
「ちょっと、気味悪いですね」
鏡に映る自分と目が合うというのは、正直良い気分では無かった。
「じゃ、始めるね」
部屋に入ってきたセレナの手には、虫眼鏡をそのまま巨大化させた様な、多分ここでしか見る事のできない特殊な機械が握られていた。
アブソリューターの皮膚は、人間の皮膚とは構造が大きく異なる。機械に取り付けられた特殊レンズを通して見ると、肌が透けて簡単に中身を確認する事ができ、これを用いる事で面倒な手段を踏む事なく、身体に異常が無いかをチェックする事が可能なのだ。
デルタは目を瞑る。別に痛みも感じないし、そもそも感触すらしないのだが、全てを覗かれているというのは、彼女にとって精神的苦痛を感じる程。だから彼女は、この検査が好きでは無かった。
「それじゃあ、見ていきます」
セレナはそう言うと、レンズを通してデルタの身体を細部まで見ていく。
普段はとても穏やかで天然そうなセレナだが、やるべき仕事は完璧にこなす。アブソリューターの主人達からの信頼も厚く、店があまりにも目立たない場所にあるのに、大人気だ。
「特に、異常は見られませんでしたよ」
およそ数分の検査を終えると、セレナがデルタに告げる。
「はぁ⋯⋯」
安堵の息を漏らし、ずっと瞑っていた目を、ゆっくりと開いた。
「そういえば、最近新しい装備が手に入ったんだけど、どうかな?」
起き上がるデルタを目で追いながら、セレナは尋ねる。
「⋯⋯すいません、今日はあまり金を持ってきてないからーー」
その言葉を遮る様に、セレナが首を振る。
「ーー大丈夫だよ、無料だから」
「えっ⋯⋯?」
その二文字の単語に、デルタは大きな反応を見せた。
「実は私の店では、今キャンペーン的なのをやってるんだよ。規定の回数この店に訪れたアブソリューターさんには、私が一つサービスしてあげてるの。例えるなら旅行券、金券、更にはちょっとエッチな願いなど、様々⋯⋯という事で、デルタちゃんには、新しい装備を無料で差し上げる事にしました」
セレナは「わー」と棒読みに近い歓声をあげて、拍手した。
基本的に、セレナはアブソリューターの事を本名では無く、主人が付けた名前で呼んでいる。よって研究者の中で、彼女は変わり者と言われているが、こちら側からしてみれば、冷酷な研究者の中でも、人間らしいと言える。一般人と研究者というのは、一応は同じ種族なのに、価値観がこうも違えている。不思議なものだ。
「は、はぁ⋯⋯じゃあ、ありがとうございます」
人の善意は受け取るべきだという、彼女の主人であるアヤカの言葉が脳内で反響する。それに従い、ここは素直に受け取ろうと、デルタは考えた。
途端に笑顔になったセレナは、「じゃあ、ちょっと待っててねぇ」と言って、部屋を後にする。
静かになった、全面ガラス張りの不気味な部屋。どの方向を向いても、鏡の世界の自分と絶対に目が合う。それが嫌で、そっと目を閉じた。
「ーーでる⋯⋯デルタちゃん‼︎」
耳元で、セレナの叫び声が轟く。鼓膜が破れそうになったが、破れたところで人間でないデルタなら、数秒で完治するのであまり気にはしなかった。
目を開けると、いつの間にか目の前に立っていたセレナの、無駄に膨らんだ胸が目に飛び込んで来た。
ーーこれは当てつけ、当てつけなの⁉︎
デルタが心の中で怒りを募らせている事などつゆ知らず、セレナはいつもの調子で口を開く。
「びっくりしたよ。まさか起き上がったまま眠っちゃうなんて⋯⋯」
「あ、そうだったんですか?」
「うん」
どうやらあの状態で、デルタは眠ってしまったらしい。恥ずかしくなったのか、顔が紅潮し始めた。
「はい、これが新しい装備だよ」
そう言って彼女がデルタに手渡したのは、手に収まるくらいに小さい、漆塗りの球体。不気味ではあるが、ずっと見ていると何かに取り憑かれそうな気がして、デルタはなんとなく球体から目を逸らした。
「これは、シビトの魂を閉じ込めた物なんだよ」
「シビトの⋯⋯魂?」
「うん。これを使えば、一定時間だけシビトの力を纏う事が出来る、所謂強化系アイテムだよ。あ、でも当然アブソリューター専用ね。人間に、こんな危険な物は使えないから」
「⋯⋯でしょうね」
シビトの力なんて禍々しいものを人間が纏えば、その人間は一瞬でシビトに支配されてしまうだろう。
「どう? 気に入ったかな?」
「シビト関連は、ちょっと⋯⋯」
幾らアブソリューターに害が無いとは言えど、出来ればシビトの力なんて禍々しいものに頼りたくない。よってそのアイテムを、受け取る訳にはいかなかった。
「そう⋯⋯それじゃあ、こんなのはどうかな?」
セレナはそう言うと、白衣のポケットを弄り、ある物を取り出した。
これまた、手に収まるくらいに小さな、銀色に輝く立方体。
「これは『収納簡略剣』って言って、これを手にした状態である事を言うと、剣になるんだよ⋯⋯「牙を剥け」」
すると、その言葉に呼応した小型のキューブが、音を立てて変形し、十秒も掛からずに立派な剣と化した。
銀色に輝く片手剣が、四方と天井の鏡に映る。
「この剣は凄く軽くて、扱い易いのが特徴なんだよ。今は私が持ってるからこの状態だけど、所持者によって重さや大きさも変わるんだよ」
真剣にセレナの説明に聞き入るデルタの目は、星の様に輝いていた。
「じゃあ、それください‼︎」
剣に向けて指差し、デルタは即決する。
「気に入ったみたいだね。良かった」
セレナは、「爪隠せ」と短く呪文の様に呟くと、剣は一瞬で小型のキューブに姿を戻した。
デルタは丁寧に『収納簡略剣』を受け取ると、まじまじとそれを見つめる。
ーー凄い、まるで重みを感じない。
例えるなら、それは一円玉を手に載せている様な感覚だった。
「この時点で、所有権はデルタちゃんに移ったよ。ほら、早速やってみて?」
「はい⋯⋯」
興奮して、やや荒々しくなっていた呼吸を整えると、デルタはゆっくりと、キューブを剣へと変える呪文を唱える。
「ーー「牙を剥け」‼︎」
反応。同時、キューブは次々形を変えていき、最終的には剣と成る。しかしつい先程デルタの見た剣とはまるで異なり、片手剣では無く、デルタ自身の身長を優に越す大きさの大剣だった。
すぐに、セレナの言っていた、所有者によって形を変えるという意味をよく理解する。
「なるほど⋯⋯デルタちゃんは、大剣なんだね」
興味津々な表情で、セレナはデルタの持つ大剣をまじまじと見つめていた。
「それ、大事に使ってね?」
笑みを浮かべるセレナ。それを真似る様に、デルタもまた笑顔で、
「はい」
と答えた。
*
検査を終え、新たな装備を得たデルタは、商店街唯一のスーパーを訪れていた。
アヤカには家事スキルが無く、一度台所に立たせれば、小屋が全焼しかねないし、掃除機を使おうとすればほぼ必ずと言っていいくらい故障する。だから基本的には、デルタが全ての家事を担当していた。
今日の昼飯や晩御飯は何にしようかと考えながら、特売の品を見ていた。
アヤカは探偵が本職。よって収入が不安定で、あまり裕福では無い。ならどうしてそれなりに金があるのかと言うと、アヤカの助手である蓮兎が、ほぼ夫の様なポジションで、彼女達を養っているからだ。
当然、アヤカと蓮兎は戸籍上、夫婦では無い。しかし互いに好意を寄せているーーつまり両想いだという事に、デルタは既に気付いていた。
いつか三人で幸せに暮らす。それが、アブソリューターであるデルタの夢であった。
「⋯⋯?」
ポケットに入っている、アヤカに持たされたスマホが振動する。
彼女に電話を掛けられるのは、アヤカか蓮兎のどちらか。迷惑電話の類という可能性は勿論あるのだが、そんな事は気にもせず、デルタは送信主を確認せずに電話に出た。
『あ、デルちゃん?』
電話越しに聞こえたのは、愛する主人ーーアヤカの声だった。
「ママ、どうしたの?」
彼女の言うママは、アヤカの事を指している。しかし二人に、当然血縁関係は無い。
ちなみに蓮兎の事をパパと呼称している。本人もそれを特に気にしてはおらず、アヤカも最初は恥ずかしそうにしていたが、今では慣れてしまっていた。
『ごめんね、今から蓮兎と出掛けるのよ⋯⋯メンテナンスは、もう終わったかしら?』
それは、とっくの昔に終わっている。今からでも小屋に戻り、一緒に出掛ける事は可能だ。本当はそうしたいが、そこでデルタはある事を考え、初めてアヤカに嘘を吐いた。
「ごめんなさい⋯⋯実はまだ、終わってないんだよ」
『そうなの⋯⋯じゃあ、留守番頼んだわよ。昼御飯は、いらないからね』
「頼まれました⋯⋯」
言い終えると、デルタは自分から通話を切断させる。嘘を吐いた罪悪感のあまり、彼女の善意が本音を口にしてしまうその前に。
「はぁ⋯⋯」
スマホをポケットにしまい、買い物を再開させる。
ーーママ。パパとのデート、楽しんでね。
デルタは、二人きりの時間を与える為に、嘘を吐いた。それは両親を気遣う娘に、よく似ている。
「さて、早く済ませちゃおうっと」
「ーー万引きだぁ‼︎」
あまりにも突然、デルタの耳にスーパーの店員の悲鳴に近しい叫びが響いた。
ーー随分と、不景気になったなぁ。
こういった犯罪が多くなるのは、不景気の波に飲まれ、職を失い金を失った者が増えているからだろう。
万引き犯を捕まえよう。そう決心する前に、彼女の身体は動いていた。