午前八時
しばらくは投稿スピードがかなり早いです。
スラム街の中心に建つ、屋敷の二階。幾つか部屋がある中で、一室だけ、薄暗く、不気味さを醸し出した部屋があった。
仕様なのか、明かりは全てぼんやりとした気持ちの悪い光り方をしている。天井では、二台のシーリングファンが穏やかに回転していた。
広い割には家具が少なく、スペースが無駄に有り余っていて、中心に置かれたオフィスデスクが、少しだけ寂しく感じられた。
「久し振りですね、安中音也君?」
デスクに座っていた少女は、つい数秒までしていた作業を止めて、来客者の一人に挨拶した。
少女の黒い髪は、さながら日本人形の様に長く、美しい。
緑が強調された、やや派手な着物に袖を通していて、利き手である右手とは逆の手は、常にお気に入りの扇子を握っていた。
「久し振りですね、輝夜先生」
輝夜と呼ばれた少女は微笑み、バッと開いた扇子で、顔の下半分を覆い隠す。
「そっちの娘は初めて見ますね。彼女ですか?」
彼女の言うそっちの娘とは、恐らくは女帝の事だ。
「違います」
音也は即座に首を横に振り、否定した。
ーーなんだか、悔しいですねぇ。
実際、音也と女帝は恋人同士では無い。しかしあれ程までに即座に否定されると、何故だか悲しい気分になるのは何故だろうか。
「彼女は女帝。先生程の人間なら既に知っていると思いますけど、二十二柱シビトの内の一体です」
音也が女帝について話すと、輝夜は納得したのか、
「あぁ、貴女がそうでしたか」
と短く口にした。
「初めまして」
女帝は一歩前に出て、頭を下げる。すると輝夜は、にっこりと頬を緩ませ、自己紹介を始めた。
「私は月華輝夜。最強の対シビト殲滅部隊ーー通称『AS』を指揮していた、特別顧問です」
特別顧問とは、つまり隊長であった椎名よりも遥かに偉い存在であり、同時に学園内でもかなりの権力者。
その実力もさることながら、イーター学園の生徒や卒業生、AS隊員で、彼女より勝る者は、誰一人居なかったと言っても良いだろう。
ある者は彼女を讃え、ある者は彼女を畏怖した。音也と女帝の目の前に立つ、一見か弱そうな少女は、そういう存在なのである。
「一つ、質問良いですか?」
輝夜の自己紹介を聞いて、何か不審な点があったのか、女帝が尋ねた。
「良いですよ」
「その⋯⋯輝夜さんは、音也さんに勝つ自信はありますか?」
その質問に、輝夜はおろか音也も訝しげに首を傾げた。
音也と輝夜の間にある戦力差は、正に天と地の差。幾ら学園で最も良い成績を収めていても、ASで副隊長を務めていたとしても、月華輝夜という人の皮を被った化物に、敵う筈が無かった。
しかし音也もまた、ただの人間では無い。その事は、恐らく権力者である輝夜の耳にも届いている。つまり女帝の質問は、間接的に、「音也の持つ、元は音也のものでは無い力に、勝てるかどうか」を、聞いていた。
「⋯⋯あぁ、そういう事ですか」
数秒間考えた末に、輝夜は漸くその答えに思い至り、笑みを溢す。
「そうですね⋯⋯まぁ、勝てると思いますよ?」
「えっ⋯⋯」
その根拠の無い答えに、女帝は驚きを禁じ得なかった。
閉じた扇子で手を叩くと、輝夜はおもむろに立ち上がり、デスクの前まで移動する。
「さて、本題に入りましょうか⋯⋯音也君、貴方はどうしてここを訪れたんですか?」
輝夜はまだ笑っている。にも関わらず、彼女が纏うオーラの様なものが、意志を持つように蠢いていた。
「輝夜先生は、最近、小桜町が変だと思った事はありますか?」
「⋯⋯っ」
音也の声を聞いた途端、輝夜はほんの一瞬だけ、ハッとした。
「⋯⋯⋯⋯あります。それも、一度や二度じゃありません」
「じゃあ輝夜先生は、その原因が何なのか、わかりますか」
「原因ですか。そうですね⋯⋯私が一番怪しいと思うのは、『デュアライズ』でしょうか?」
『デュアライズ?』
音也と女帝の言葉が、偶然にも重なる。恥ずかしくなった女帝が、僅かに頬を赤らめた。
「はい。詳しい説明は敢えて省きますが、とにかく私は、デュアライズが小桜町の異変の原因だと思っています」
「デュアライズ⋯⋯聞いた事無いな」
「右に同じく、ですね。私の場合、すぐに知る事も出来ますが、それじゃあ少し、つまらないですし」
「気になるなら、自分で調べてくださいよ? 私は答えを直接教えるのは、あまり好きではありませんから」
そう言って、輝夜は腕を組み口元を緩ませた。
「⋯⋯あぁそうだ、忘れていました」
突然何かを思い出すと、輝夜は俯き、表情を曇らせる。
「どうか、しましたか?」
「実はずっとお詫びしたいと思っていたんです」
「お詫び?」
「私、学園崩壊の時に、学園に居なかったじゃないですか。私がもし、あの時学園に居れば、もしかしたら状況が変わっていたかもしれない。だから、お詫びさせてください」
学園崩壊が起きたあの日。確かに月華輝夜という学園最強と言える人物は不在だった。偶然にも、その日は旅行に出掛けていたらしい。
思えばあの日は、偶然に偶然が重なり、音也を含めた実力者の半数が学園を離れていて、すぐに駆けつける事が出来なかった。まるで誰かが、そうなる様に仕組んだかの様に。
「お詫びなんて、別にいいですよ。それに謝るなら、あの時死んでしまった、多くの人達にしてください⋯⋯」
「それはもう、とっくに済ませてありますよ」
「そうですか⋯⋯」
音也は俯き、悲しげな表情を浮かべた。
息苦しい程の静寂が訪れる。シーリングファンの動く音だけが、耳に届いていた。
「その⋯⋯⋯⋯元気、ですか? 椎名さんは」
重苦しい空気から逃れようと、輝夜は半ば無理矢理に、話題を変えようとした。
事を察した音也は、作り笑顔を浮かべながら、それに答える。
「元気ですよ」
「そうですか⋯⋯良かったです」
安心したのか、輝夜はホッと胸を撫で下ろした。
彼女は、一度椎名が死亡しているのを知っている。自分が学園に居れば、死ななかったかもしれないと、重い罪悪感を背負っていたのだろう。
「それにしても、貴女の能力ーーシビリティって言うんでしたっけ? 便利ですね」
輝夜の視線は、メイド服を着た人外に向けられていた。
「便利過ぎて、使い難いですけどね」
女帝がこのシビリティを得てから、五年の月日が流れた。が、未だに力を使いこなせず、この先も出来ない気がしてならない。
「私、二十二柱シビトについて調べてた事があるんですよ」
「やっぱり⋯⋯」
音也は呆れる様に、ため息を吐いた。
二十二柱シビトの存在は秘匿扱いされており、聲凪はおろか、下手すれば全人類の内、ほんの一握りしかその存在を知らないだろう。仮にもAS副隊長を務めていた音也ですら、その存在は女帝と出会うまで知らなかったのだ。
「それでもし、二十二柱シビトのどれかと出会ったら、聞いておきたい事があったんです」
「何でも聞いてください。私は人間達の味方ですから」
そう言って、彼女は自分の胸に手を置く。
彼女はシビトでありながら、人間に憧れ、同時に愛し、同族を裏切った非常に珍しい存在。理由は明確にはわからないが、本人曰く「人間は、私達に無いものを持っている」から、好きらしい。
「では遠慮無く⋯⋯」
輝夜は軽く咳き込むと、一度目を瞑り、そして開いた。
「ーーシビトの統率者は、誰ですか?」
「ッ⁉︎」
電撃が迸ったかの様に、女帝は身体をビクリと動かす。
「統率者⋯⋯?」
音也は首を傾げ、目線で輝夜に説明を促した。しかし彼女はそれを知ってて無視し、話を続ける。
「その反応⋯⋯⋯⋯やはり知ってましたか」
「あはは。まさか、お母さんの存在にもう気付いてるなんて、思ってませんでした」
驚き半分、喜び半分の複雑な笑みを浮かべると、女帝はまるで降参を示す様に肩を竦めた。
「ちなみに、何処まで知ってますか?」
「殆ど知りません。最近、統率者の存在を知った程度です」
「そうですか⋯⋯なら教えておきますよ。お母さんは、私達二十二柱と同様に、人間の身体を乗っ取る事が出来ます。そしてそれだけじゃなくて、更に死者の身体を乗っ取る事も、可能なんです」
ーー死者の身体に⁉︎
音也は、彼女から告げられた言葉に、心底驚きを隠せなかった。
「二十二柱シビトの上位互換、みたいなものでしょうか?」
「上位互換どころじゃありませんよ。お母さんは文字通り、私達シビトの原点にして、頂点なんですから」
原点にしてーー頂点。それは即ち、全人類が倒すべき最後の敵という事だ。
シビトの存在が認知されてからかなりの月日が流れ、今漸く、敵の親玉の存在に一歩近づく事が出来た。それは嬉しくもあり、同時に恐ろしくもあった。
二十二柱シビトは、現時点では異能を持った人間ーー更に言えば神級異能を持った人間ですら、一筋縄ではいかない強敵。それらを統べる存在を、現時点で倒す事が、果たして可能なのだろうか。
「今、お母さんがどんな姿をしているかはわかりません。ただお母さんは、必ず少女の姿でしょうね」
「なるほど⋯⋯情報提供、ありがとうございます」
輝夜から礼の言葉を告げられると、女帝は恥かしげに「いえいえ」と手を振った。
「音也君」
「は、はい」
しばらく蚊帳の外だった音也は、突然輝夜から話しかけられて、やや動揺する。
「ここに来た用件は、他にありませんか?」
「まぁ当然、ありますよ?」
「やっぱり」
予想を当てた事に、幼い子供の様な喜びを見せる輝夜。
「女帝。ごめんけど、外で待っててくれないか?」
音也が女帝にそう耳打ちする。
「わかりました」
彼女はそれに素直に応じ、頭を軽く下げると、この部屋から出る窓を除いた唯一の手段である扉を開け、二人の視界からその姿を消した。
「さて、本題ですよ⋯⋯先生」
女帝の背中を見送ると、振り返り、輝夜の方を見る。その口元は、僅かに綻んでいた。
「安中家の事⋯⋯でしょう?」
輝夜は首を傾げ、扇子をバッと開くと、軽く扇ぎ始める。
「流石先生、察しが良いですね。その通りですよ。だから単刀直入に聞きますーー輝夜先生、貴女は何処まで関わってるんですか? あの事に」
室内に、只ならぬ雰囲気が立ち込めた。
次回は、視点が変わります。