午前七時
時間が少し遡っています。
異能という、本来なら漫画やアニメにしか存在しなかった力を、約四割の人類が発現させたのと、ほぼ同時期に起きた『設定』。
『不老化現象』。全人類が突然、一瞬で中高生の姿となり、そこから老いる事無く、永遠の若さを手に入れた科学では説明出来ない現象。
現在、全ての人間が少年少女の姿をしていて、容姿での年齢の判別は不可能となった。
霧島アヤカも、容姿だけなら高校生か中学生に思える。しかし実年齢は、既に三桁を優に越していた。
ここで浮かび上がる、一つの疑問。この現象が見られるようになってから、この世に生を受けた人間は、果たしてどうなるのだろうか。
「ママ、おはよー‼︎」
目を擦り、階段を駆け下りながら、少女は高らかに愛すべき母へ、朝の挨拶を告げる。
紫がかった、艶のある長い黒髪。白い寝巻きを身に纏い、背は短く、胸の無さも母親譲り。
容姿は小学生であるが、『不老化現象』が原因で、本来はまだ生後七ヶ月程度。実際には、産まれてから一年も経ってはいないのだ。
そうこれが、「現象が見られるようになってから誕生した者が、どうなるのか」という疑問の答え。
産まれてから数日後に急激に成長し、一年も経たずに小学生くらいの容姿と知能、身体能力になる。そこから更に一年経てば、中高生と変わらぬ容姿となる。つまり今の人間は、僅か二年で、両親と同じ姿にまで成長してしまうのだ。
「おはよう、可憐」
階段の前で、可憐と呼ばれた少女を待っていたのは、腰まで伸びた長い黒髪をして、黒のセーラー服を身に纏った少女。胸は無に等しい。
文武両道にして、才色兼備の大和撫子。彼女の事を知る者は、誰もがそう褒め称えた。
「ママー‼︎」
可憐が、その少女の胸に飛びついた。少女は可憐を抱きとめ、髪を優しく撫でる。
五年前。聲凪の中心には、シビトを狩る存在であるカリビトを育成する学校ーー『イーター学園』が存在していた。
その学園の卒業生の中でも、特に良い成績を残した者のみが入る事を許される部隊ーー『AS』。
少女は、かつてその部隊の隊長を務め、そして五年前に起きた学園崩壊の、犠牲者の一人である人物、風切羽椎名。現在の姓は安中である為、正確には安中椎名である。
「あれ、パパは?」
周囲を見渡し、いつもなら一緒に挨拶を交わす父の姿が無い事に気付き、可憐の表情が曇った。
「パパは今、出掛けてるよ」
「こんな早くに?」
「えぇ⋯⋯さぁほら、早く朝ご飯食べましょ」
「うん‼︎」
基本的に、朝は四人で過ごす。しかし今日は、椎名と可憐の二人だけ。僅かに寂しさを感じたが、テーブルに並べられた朝食の数々を見て、そんな感情は彼方に吹き飛ばされていた。
「いつも、ママの手料理は美味しいねっ」
「ほんと? ママ、嬉しい」
右頬に手をやり、椎名は微笑む。
椎名は家事が得意で、料理も流石にシェフには劣るが、料理本を一冊程度出版できる程度には上手であった。そんな彼女が母である事を、可憐は同じ女性として誇りに思っている。
「今日、小学校でテストがあるんだ‼︎」
「そうだったね。昨日も言ったけど、まぁ適当に頑張りなさい」
今の人間が小学校に通うのは、僅か一年。そこから数十年のもの間、高校に通う事となる。これが昔で言う、義務教育。
成績は今も重要で、不老になったお陰で人類の数は増えていく一方、就職の難易度も日頃上がっていく。成績のインフレは、最早誰にも止められない。ならそのインフレに、追いつく必要性がある。
本来なら可憐も、毎日毎日勉学に励まなくてはならないのだが、彼女は生まれながらにして天才と言える人種だったので、凡人がする努力を、する必要が無いのだ。これは、イーター学園トップの二人の間に出来た子供だから持つ、最強遺伝子の一部と言えるのかもしれない。
「最近友達から聞いたけど、パパもママも、カリビトだったんだね‼︎」
一点の曇りの無い笑顔で口にする可憐。しかしそれを聞いた椎名の表情は、ほんの僅かに曇る。
「うん⋯⋯そうだよ」
「私も、いつかはカリビトの様な強い人間になりたい‼︎」
それは彼女にとっての、言わば将来の夢。人間の脅威であるシビトに立ち向かうカリビトという存在は、それ程までに憧れだったのだろう。
「ーー駄目だよ、そんなの」
決めつけたように、椎名は言い放った。
「えっ⋯⋯」
「そんなの、なっちゃ駄目。ママもパパも、それだけは絶対に許さない」
容姿は小学生と言えど、可憐はまだ産まれて一年も経っていない赤ん坊。そんな彼女が、自分の夢を、あろう事か愛する母親に否定されて、悲しまない訳がなかった。
「そんな⋯⋯⋯⋯どうして」
宝石の様に輝く瞳には、涙が浮かび上がる。可哀想だと思いながら、椎名はそれでも心を鬼にして、続けた。
「パパとママにとって、可憐はこの世で最も大切な存在なの。そんな可憐に、あんな辛い思いをさせたくない。あんな悲しい光景を、見せたくない」
椎名は五年前の学園崩壊。そして更にその前に起きた『第一惨劇』も、彼女は目の当たりにしている。
その時の記憶は、実は憶えてはいない。聞いた話によれば、学園崩壊までの記憶を、彼女は失っていたのだ。
しかし、記憶が無いのにも関わらず、その惨劇がどれほど悲惨だったのかを、身体は鮮明に憶えていた。
戦場は残酷だ。それを身を以て知った二人は、学園崩壊が起きた後、聲凪で最も穏やかと言われる小桜町に越して、二度と戦場には立たないと誓った。それなのに今、目の前の愛する娘が、その戦場に憧れの炎を、その瞳に灯している。それを、彼女が許す筈が無い。
「ねぇ可憐。このまま四人で、ずっと平和に暮らしましょ? 可憐が願うなら、学校も辞めちゃっていいから」
可憐は悩む暇もなく、首を振った。
「私は⋯⋯嫌だよ」
「えっ⋯⋯」
初めて娘から聞かされた、拒絶の言葉。元より心の弱かった椎名にとって、それは致命的な一撃となり得た。
「今の生活は幸せだよ。パパが居て、ママが居て、優しい桃花さんも居る。うん、平和だよ。私の日常は平和。この家庭に産まれてきてよかったって、心から思ってる」
「だったらーー」
「ーーでも!」
椎名の弱い言葉は、強い意志の籠った可憐の言葉によって遮られる。
「私たちが幸せに過ごす一方で、苦しんでる人が居る⋯⋯私は、そんな人達を助けたいんだよ」
ーーそっか。可憐は、あの人に似たんだね。
産まれてからまだ一年も経ってないのに、可憐は他者を救いたいという強い意志を持っていた。それは非常に立派な心意気だと言える。が、それは捉え方によっては自身の寿命を縮め兼ねない危険な意志。
彼だってそうだ。大事な者を救う為に、人間を半分辞めている。いや、最初から既に半分辞めていたのだから、正確には完全に人間を辞めているという事になる。
記憶を失う前から、椎名の友人だったという人から聞いた話によれば、第一惨劇の時、椎名を庇って彼は重症を負ったらしい。
自己犠牲。彼のたくましく、同時に最も危険な部位を、可憐は受け継いでしまっていた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯わかったよ」
それが、苦渋の決断の末に、椎名が出した言葉。
「沢山の人を護れる様に、いっぱいご飯を食べて、強くなりなさい」
彼女の言葉は震え、瞳からは一縷の涙が零れ、頬を伝って落ちる。
「うん⋯⋯私、強くなるから。だからママ、泣かないで?」
その日の朝は、いつもとは違った。その僅かな違いが、この後の日常に支障をきたさない事を、椎名はただ願うばかり。
*
ーーとあるチャットルームにて。
偶像「かつて最強と謳われた二人は、最初は犬猿の仲だった。けれど、死闘をくぐり抜けていく内に、互いに心を開く様になり、そして恋心を抱く様になった」
メガネ「急にどうしたんです?」
偶像「いや、こんな文章が、最近読んだ小説⋯⋯と言うかライトノベルにあったんですけど」
偶像「なんか、あの二人の事を思い出すなーっと思って」
金髪妹「思えば、五年ほど会ってませんね」
金髪兄「今頃、幸せに暮らしてるんだろうな」
冷徹「お前達やめろっ‼︎」
冷徹「人が折角忘れようとしてたのに‼︎」
エープリル「あーそうでしたね」
冷徹「全く‼︎ 私は激おこプンプン丸だよ‼︎」
ーー帝娘が入室しました。
帝娘「会いたいですか? 冷徹さん?」
冷徹「⋯⋯誰だ?」
メガネ「?」
偶像「なんかこの名前⋯⋯誰かわかる様な」
帝娘「あなたが願えば」
帝娘「すぐに会えますよ」
帝娘「ただ⋯⋯」
帝娘「彼が、再開を望んでいればの話ですけどね」
*
かつて、イーター学園で最も優秀な成績を残して卒業した少年ーー安中音也。運動神経抜群で、かつ頭も良く、顔立ちも良い。髪の毛が硬い事を気にしていて、毎日寝癖が絶えないのが悩みの一つでもある。
ファッションにはあまり拘らないのか、服装はとてもじゃないが似合ってるとは思えない地味なものだ。
学園崩壊の時、最愛の人を失う辛さが味わった彼は、記憶を失った椎名と婚約し、平和を求めてこの小桜町に越してきた。
武器を捨てて戦う事を辞め、そしてこの五年間、一度も戦闘することは無かった。
平和な日常。求めていた日々。
しかしそんな幸せが、壊れる気がして、ここ数ヶ月は夜も眠れなくなっていた。お陰で目の下に濃い隈が出来上がり、整った顔立ちも台無しである。
安心して眠りにつく為にも、音也はとある場所へと向かっていた。
ふと音也は、隣を歩くメイド服を着た少女の方を見た。彼女の手にはスマホが握られており、その画面に夢中になっていた。
紅色のショートボブ。背丈は低く、胸は椎名と同じく更地。両目は紫色の輝きを放っている。
彼女は、音也や椎名の専属メイドを務め、そして『二十二柱』と呼ばれるシビトの内の一体。名を『女帝』。
二十二柱とは、シビトの中でも特別な存在で、他のシビトとは異なり、人並みの頭脳を持つ。そしてただ洗脳し、支配するシビトとは違い、彼女達は負の感情に塗れた一人の人間の肉体を、乗っ取り、操る事が出来る。つまり今の彼女の肉体は、本来彼女のものでは無いという事だ。
「何やってんだ?」
音也が尋ねる。すると少女は、音也の方を向いて、笑顔で首を傾げた。
「何って、スマホですよ。見てわからないんですか?」
いちいち腹立たしい台詞を吐くと、女帝は可愛げに頬をさながら風船の様に膨らませた。
「そうじゃなくて、なんでお前がスマホを持ってるんだよ?」
「当然、私の力を使ったんですよ」
膨らみの無い胸を張り、女帝は自慢気にそう言った。
「相変わらず、便利な能力だな⋯⋯」
二十二柱には、一体一体が固有の能力を兼ね備えている。異能などとは異なり、女帝はこれを『シビリティ』と名付けている。
シビリティはどれも強力だが、発動するには人間の肉体を乗っ取っている状態でないといけない。つまり女帝は、この場で力を使う事が可能だ。
彼女の持つシビリティは、『万物創生』。簡単に言ってしまえば、どんな物でも作れる超便利能力だ。
音也も椎名も、女帝にはスマホを与えるつもりは無い。しかし彼女はそれを持っている。「力を使って作った」という簡単な答えに辿り着くのに、あまり時間は要さなかった。
「それで、そんなに画面に食いつきながら、何をしてたんだよ」
「どうして答える必要があるんでしょうか?」
「当たり前だ。だって俺は、お前のご主人様だからな」
そう言って、音也は自分を親指で差す。
「畜生⋯⋯私はどうして、こんな難聴系主人公みたいな男とそんな約束をしちゃったんでしょうか? 願うなら、あの時の私をがつんと殴ってやりたい」
その怒りの篭った台詞とは裏腹に、彼女の表情は喜びで緩んでいた。
「ーーどうして、あいつらと話してるんだ?」
「⋯⋯⋯⋯はい?」
音也が口にした言葉に、きょとんとする女帝。
「まさか、俺が知らないとでも思ったか?」
「そ、その⋯⋯どうしてわかったんですか⁉︎」
いつもは無理に笑顔を浮かべ、感情を表に出したりしない彼女が、珍しく狼狽していた。額からは、冷や汗も流れている。
「お前、平和ボケして俺の異能を忘れたのか? 『音速移動』。これを使って、お前に話しかける前に画面を見させてもらった」
『音速移動』。中級異能に属されており、五秒だけ音と同じ速さで移動する事が出来る。欠点は、連続使用が出来ない事だ。
「お、女の子のスマホを覗くなんて、最っ低のゲス野郎ですねッ‼︎」
自分の身体を抱き締める様に両腕を組み、顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
「お前は女の子である以前に、シビトだ」
「私は貴方のメイド以前に、椎名さんの命の恩人ですよ⁉︎ もっと敬えよ? ほらもっと称えろよぉ‼︎」
「ちょっとキャラ変わってません女帝さん? ⋯⋯ま、命の恩人なのは確かだな。お前は人じゃないから、「恩人」って言うのはおかしいかもだけど」
五年前、学園を襲った二十二柱の内の一体、『死神』。彼女の圧倒的な力を前に、当時在校していた生徒、そしてほぼ全員のAS隊員が、命を落とした。
隊長である椎名も、必死に闘ったが、敗北ーー殺害されてしまう。
一度は死んだ風切羽椎名という命。それを蘇らせたのが、他でも無い女帝だった。
どんな物でも作る事の出来る『万物創生』。万能な力かもしれないが、当然の様に欠点が存在する。
一つに、生命を創る事も蘇らせる事も出来るが、それは神への冒涜とみなされ、死にたくなるような激痛が、全身を蝕む。これにより、彼女は二度と生命を創生も蘇生もしないと心に決めた。
二つに、力で蘇った生命は、代償として、死ぬまでの全ての記憶を抹消されてしまう。幾ら万能な能力でも、人の生きた証とも言える記憶までは、創れはしないのだ。証明として、蘇った椎名は、死ぬまでの記憶を全て失っている。
「あれから、もう五年経ちました。この幸せな平和も、いつまでも続く訳ではありませんよ?」
「そんなの⋯⋯わかってる。だから今、こうして館の前に居るんだ」
気が付けば、目の前に少し不気味な雰囲気が漂う洋館が建っていた。
小桜町の中でも、あまり人が寄り付かない場所がある。それが、この洋館を中心とした、スラム街だ。
人口が増えるにつれ、失職者は増え続け、スラム街に住む人間は日に日に増えている。このまま行けば、小桜町のおよそ半分が、スラム街と化してしまうのではないかと思う程に。
「ここには⋯⋯一体、誰が住んでるんですか?」
怪訝な顔をしながら洋館を見上げる女帝が、音也に尋ねた。
「お前は初めて会うな⋯⋯学園在籍時に、お世話になった先生だよ」
「先生⋯⋯ですか」
本当に、彼の言うただの先生なら、仮にも化物である彼女にとって、何も恐れる事は無い。ただスラム街の中心に、しかも趣味の良いとは口が裂けても言えないくらいに不気味な洋館に住んでいる人間が、とてもただの人間だとは、彼女には思えない。
人間の身体を乗っ取った為に、感情を得た彼女は、今、恐怖という感情に支配されていた。
今日の天気は晴れだと、天気予報士は確かに言っていた。しかしスラム街の上空は、鼠色の雲に覆われ、陽の光が一切当たってはいなかった。