午前九時①
サブタイの時間は、この話の時間を表しています。これから、突然時間が遡ったりするかもなので、混乱防止です。
北側にある街、小桜町。聲凪の数ある街の中でも特に穏やかで、過ごしやすい。名前の通り桜の名所として有名で、春になれば沢山の人が訪れる。犯罪も他の町に比べれば比較的少なく、特に平和な街だと言える。
桜の木々に囲まれた、小さくは無いが大きくも無い、ごく普通の公園。
遊具はそれなりに充実していて、夕方には多くの子供達によって賑やかになる。
そんな公園の隅に一軒、小さな小屋があった。遊んでいる子供達も、そこには怖がって、一切近寄ろうとはしない。小屋の方に転がっていたボールは、誰も取りに行かない程。
その小屋には現在、一人の少女が住んでいる。
部屋の中は、入念に掃除しているのか、汚れ一つ見当たらない。
真ん中には、長方形のテーブルを挟んで、迎え合わせに置かれた黒いソファ。かなり長い間使われている様で、既にボロボロだ。
この小屋にはキッチンがあり、風呂場もある。トイレは無いが、それは公園のを借りれば問題無いので、十分に人が住める。と言うより、現に住んでいる。
「⋯⋯⋯⋯暇」
部屋の奥にあるベッドの上に寝転がりながら、一人の少女は嘆いた。
澄んだ水色のショートボブは、寝癖が所々跳ねている。童顔で、背は低め。胸には一切の膨らみが無く、本人はそれがコンプレックス。
服装は純白のワンピース。オシャレに興味は無いが、何故かワンピースだけは気に入っていて、同じのを数着持っている。
首には、お気に入りのヘッドホンが常に掛けられている。ただ、彼女がそのヘッドホンを使って音楽を聴いている姿を、誰も見た事は無い。
名前は霧島アヤカ。この小屋の住居者にして、かつて聲凪に建っていた、カリビトを育成する為の学園。通称イーター学園の卒業生。現在は探偵事務所を営んでいる。
つまりこの小屋は、彼女にとっての帰るべき場所であり、それと同時に仕事場だ。
「あぁ暇ね。暇ったらないわ。とても暇⋯⋯⋯⋯俳句になっちゃったわね」
今日も小桜市は平和だ。網戸の窓から入ってきた生温い風が、彼女の肌を刺す。
平和なのはとても良い事なのだが、しかしトラブルが無ければ、探偵にとっては仕事のない苦痛な時間なのだ。
「もう何でもいいから、依頼来ないかしら⋯⋯」
アヤカは基本、シビトに関わる依頼を優先的に引き受ける。しかし助手の男がかなりのお人好しであるが故に、アヤカの承諾無しに何でもホイホイ引き受け続けていると、いつしか探偵では無く、『便利屋』と呼ばれる様になっていた。
ーーこの前は、ベビーシッターとかやったわね⋯⋯あの依頼人、探偵を何だと思ってるのかしら‼︎
頬を膨らませ、数日前の出来事を思い返して立腹していた。
小屋の扉が、突然開け放たれる。一人の少年が、靴を脱いで部屋の中に足を踏み入れた。アヤカは静かに舌打ちし、入ってきた少年を見据えた。
艶のある、サラサラで整った黒髪。中性的な顔立ちをしていて、細身。背は高い。
白い文字で、『睡眠魂』と縦に書かれた黒のTシャツを着ていて、ジーンズを履いている。ジーンズはまだ普通だが、シャツに書かれた文字が、全てをぶち壊している事に、彼が気付く事は無い。
名前は伊勢崎蓮兎。アヤカが営む探偵事務所の助手であり、二人しか居ない所員の一人。大のお人好しだ。
ーーいや、『睡眠魂』って何なのよ。
心の内でアヤカは、蓮兎の服装に文句を垂らした。
蓮兎の意味不明な言葉が書かれているシャツには、かなりのレパートリーがあるらしく、アヤカの記憶が正しければ、一度として文字が被った事が無い。ちなみに昨日は『油蟬』と書かれていた。十分意味不明だが、まだ夏のイメージがあった。しかし『睡眠魂』は、本当にわからない。わからないから、無性に腹が立つ。
「アヤカちゃん、依頼だよ」
息をする様に爽やかな笑顔を浮かべる蓮兎は、手に持っていた一枚の用紙を掲げる。
「え、依頼⁉︎ 本当⁉︎」
表情が一瞬で無邪気な笑顔へと変わったアヤカが、ベッドから降り、急ぎ足で蓮兎の元まで来た。
蓮兎の手から奪う様に用紙を取ると、書かれていた内容を黙読し、頬を僅かに緩ませる。
通り魔犯の確保。
依頼内容には、短くそう書かれていた。報酬金が高いわけでも無いが、低くもない。しかし何より、暇を潰すには十分すぎた。
「通り魔事件⋯⋯確か、最近ここら辺で多発しているヤツだったかしら?」
顎に人差し指を当てながら、アヤカは首を傾げた。
「そうだよ。被害者は六名。全員、意識不明の重体らしい。これ以上被害が広がる前に、通り魔犯を確保しないとね」
「その通り魔⋯⋯強いのかしら?」
そう尋ねる彼女の表情は、不気味なくらいに口元を緩ませた。
「さぁ? ⋯⋯って、何でそんな楽しそうな顔してるの?」
「だって強い相手と戦うのって、最高の暇潰しだと思わない?」
「⋯⋯アヤカちゃんは、いつからそんな戦闘狂になったのかな?」
頭を抱えて、蓮兎は肺の中にある酸素を全て、ため息として吐き出した。
「レディーに戦闘狂とか、セクハラね」
「戦闘狂って言葉はセクハラに入るんだろうか⋯⋯」
「私が今決めたわ」
「ですよねー」
そう言いながら、蓮兎は精一杯の笑みを浮かべた。しかしそれはぎこちなく、無理に浮かべているのがアヤカにはバレバレだ。
「それじゃあ今から出る準備するから、外で待ってて頂戴」
「え、どうして外で待つの?」
「はぁ? 決まってるじゃない。着替えるのよ。まさか、私の美しい柔肌を見たいのかしら?」
すると蓮兎は顔の前で手を振り、口にした。
「いや、アヤカちゃんの一切の膨らみの無い胸なんて見たくなーー」
言い終える直前、アヤカの目一杯の殺意が籠った拳が、蓮兎の顔目掛けて飛んでいく。
「ぐッ⋯⋯‼︎」
アヤカは、心底悔しそうに歯を食いしばった。彼女の拳は、蓮兎の目の前で停止してしまっている。
「たまには、殴らせなさいよ‼︎」
「そんな事言っても、しょうがないじゃないか。これが僕の『異能』なんだから」
『異能』。シビトの存在が人々の目に映る様になったのとほぼ同時期に起きた、『設定』の一つ。その名の通り、人知を超えた特殊な能力の事を指す。
現在、全人口の約四割がこの異能を持つ『異能力者』となっている。
異能には個人差があり、世界を滅ぼし兼ねない危険なものもあれば、何の役にも立たない小さなものもある。
現在この異能を使った、即ち『異能犯罪』が多く、世界政府はそれを未然に防ぐ為に、異能の管理に力を入れている。それこそ、危険な異能を持つ人間は監視したり、最悪の場合は隔離したりもする。
蓮兎の持つ異能は、『絶対障壁』。精神的、肉体的、更には病気さえもを防ぐ、透明でドーム状の障壁を発生させるもので、例えどんなに強力な攻撃ーーそれこそ、世界を破滅し兼ねない規模のものも、絶対に防ぐ。例外は一切として存在しない。つまり彼と喧嘩したとして、彼に傷一つ付けることは叶わないのだ。しかし蓮兎自身は非常に弱く、彼が戦いに勝つ事も、また無いのだが。
「今日こそ⋯⋯今日こそ、そのヘラヘラした顔を、殴ってやるわ‼︎」
アヤカは異能の性質を知りながら、無駄だとわかっていても、何度も何度も蓮兎に殴りかかる。当然、一撃たりとも蓮兎には届かない。
「その、もう諦めたら?」
「諦めないわよ‼︎ 私が負けず嫌いな事くらい、知ってるでしょ‼︎」
そう言うアヤカの息は、既にあがりきっていた。
「ぐぅ、どうしてアンタのバリアを破る異能が無いのよ‼︎」
やっと殴るのを止めたかと思えば、蓮兎をビシッと指差す。
次の瞬間、彼女は緑色の光に包まれたかと思うと、乱れていた呼吸が整い、表情からは疲労の色が消えた。
「⋯⋯仕方ないよ。この世に存在しない異能は、アヤカちゃんにも使えない」
「はぁ、神級異能と呼ばれる割には、アンタに傷一つ付けられないのね」
アヤカは後ろ髪をかきながら、呆れ口調で言った。
異能には、大きく分けて四つのランクが存在している。
一つに下級異能。前述した、何の役にも立たない異能や、規模が極端に小さい異能などは、これに含まれる。
二つに中級異能。規模は下級異能よりは大きいが、人を殺傷する程強力では無いのが、これに含まれる。
三つに上級異能。規模が絶大で、何より人を殺傷し兼ねない超強力なものが、これに含まれる。
四つに神級異能。たった一人で全世界を敵に回せるくらいに強力で、最早神の力と言っても過言では無いほどの異能が、これに含まれる。
神級異能力者は、全世界で八人しか確認されていない。いや、世界を簡単に破滅できる人間が、八人も居ると考えれば、逆に多いのかもしれない。
上級異能力者は世界政府に監視され、神級異能力者は、場合によっては特別な施設へ隔離される。ちなみに現時点で、政府に隔離されている神級異能力者は、八人中四人。
アヤカの持つ異能は、この四つのクラスの中の、神級異能に当たる。しかし彼女は、把握されている八人の神級異能力者の中には含まれていない。
理由は、彼女の持つ異能にある。
「『異能全集』だっけ? アヤカちゃんの異能って」
『異能全集』。世界政府が把握出来ていない最後の神級異能で、その概要は、「この世に存在する全ての異能を使う事が出来る」というものだ。彼女が世界政府に把握されていない理由は、この異能を用いて、『隠蔽工作』という、あらゆる存在を、特定の人物達の脳内から抹消する異能を使い、霧島アヤカという存在は、世界政府の人間からは既に居ない存在だと認識させているからだ。
彼女の異能はあまりにも卑怯で、そして同時に最強の異能。数え切れない程ある異能を全て、それも自由に使えるのだから。
ただし欠点として、一つに神級異能の使用は、一日に一度までしか使えず、二つに身内の異能は使用できなくなる。つまりアヤカは、蓮兎の『絶対障壁』を使う事は出来ない。
彼女の異能を含め、全ての異能に確かに欠点は存在する。それは強力であれば強力な程、その欠点は大きいとされる。なら、これ程強力な異能が、上記の欠点だけでは無いことくらい、本人も重々承知している。しかし真の欠点は、他人には勿論、本人にも未だわからないままだ。
アヤカは両腕を組んで、何度か頷く。
「確かに、私はどんな異能も使えるわ⋯⋯なのになんで、アンタを殴れないのよッ‼︎」
強く握りしめた拳を、もう一度蓮兎に向けて振り翳した。
結果は同じ。その拳は、蓮兎に当たる直前で、無色透明の障壁に遮られた。
アヤカが障壁を破れない。という事は、自然と「蓮兎の異能で作られた障壁は、現在この世に存在する如何なる異能でも破壊できない」という結論に至る。
本当に誰一人として、蓮兎を傷付ける事は出来ないのだろうか。
「と、とにかく‼︎ 今は部屋を出て頂戴ッ!」
「わかったよ〜」
蓮兎は陽気に両手を挙げ、踵を返し、鼻歌を歌いながら小屋を後にした。
「⋯⋯⋯⋯はぁ」
視界から蓮兎の姿が見えなくなると、アヤカはため息を吐く。そして次に、自分で自分の頬を叩いた。それは眠気を覚ますためか、はたまた気合を入れる為か。どちらにしろ、その両方がこの行為の結果として得られる。
ーーさて、さっさと着替えちゃおうかしら。
心の中で呟き、微かに笑みを浮かべると、早めに着替えようと純白のワンピースを脱いだ。そしてそれとほぼ同時、扉が向こうから開いた。
「あ、そういえばデルちゃんは⋯⋯⋯⋯あっ」
扉の向こうから微笑みながら現れた蓮兎の笑顔は、下着姿のアヤカと視線が合った瞬間、一瞬で潰えた。そして暫くの間、居心地の悪い静寂が流れる。
「あ、その⋯⋯平たいねぇ」
その言葉は、アヤカが顔を真っ赤に染めて、怒りを露わにするには、あまりにも十分過ぎた。
「ーー地獄に落ちなさい、この屑ッ‼︎」
「なんでさ⁉︎ 僕は僕の目に映った真実をただ口に出して言っただけなのに‼︎」
「真実を言うなぁぁぁぁ‼︎」
アヤカの周囲に出現したサッカーボールくらいの大きさをした無数の火球が、蓮兎に向けて飛んでいく。
それすらも、障壁の前では無力。
「アヤカちゃん⋯⋯それじゃあ僕を傷付けられないーーと言うか、どんな手段を用いても、僕は傷付けられないよ?」
「知ってるわよっ‼︎ あぁぁ! イライラするわねぇ‼︎ でも良い暇潰しになるわッ‼︎ どうもありがとう‼︎」
「怒ってるのか、喜んでるのかわからないよ⁉︎」
小屋のみならず、公園全体にまで響き渡る二人の叫び。
風が吹き、桜の木の葉が揺れた。今はただの、緑色の葉。春になるまで、彼らは見向きもされない。悲しい存在だ。
『神級異能』を持った、探偵業を営む少女ーー霧島アヤカの日常は、確かに賑やかで、しかし退屈な平和に包まれていた。しかしそれが崩壊するのに、あまり時間は要さなかった。