-訪-
【衣塚 翔】
小学四年生。男。
がさり。
手に持っているチラシが風に吹かれ、音を立てる。
「……………」
いいのだろうか? 本当に。
もしかしたら、自分はこのチラシの言葉に騙されているのではないのだろうか? …だけど、背に腹はかえられない。
一つ深呼吸をして、【わらべや】の引き戸に手をかけた。
「昼間からサボりか? 最近の小学生は怖いものだな」
「!!?」
背後から急にかけられた声に驚きばっと後ろを振り向くと、紅い着物を肩から羽織った、中学生くらいの奇麗な女の子が、にたにたと笑いながら立っていた。
「……………」
雪よりも真っ白い肌に、弧を描くように笑んだ紅い唇。
耳よりも高い位置で結い上げられた二つの真っ黒い髪の毛が、春風に揺らめいている。
(奇麗だ)
無意識に開いてしまっていた口を慌てて押さえる。
頬が一気に熱を帯び、赤くなっていくのが解る。
こんなに奇麗な人、初めて見た。
女の子の方をちらりと見ると、僕のことを下から上まで、まるで蛇の舌の様に舐め上げるかのごとく見定めていた。
そしてふっと妖艶に笑むと、僕の横に立ち【わらべや】の扉をがらりと開けた。
「…入りたまえよ。君はこの店に入る資格を得た」
「え?」
「ようこそ、わらべやへ」
にっこりと笑いながら、女の子が手を差し伸べる。
……僕はこの子に逆らえない。
絶対に離さない、逃がさないとでも言うかのように僕の手を握る女の子の手はとても力強く、そしてとても冷たかった。
ああ、捕まってしまった。もう逃げることは出来ないんだ。
身体中をを染め上げる恐怖が、そう自分に語っていた。
「いやーまさかこんな紙切れに誘われて客が来るなんて、微塵も思ってもいなかったから何も用意していなかったよ悪いね」
ひらひらと、僕が持ってきたチラシを揺らしながら、少女が詫びる。
…本当に申し訳ないと思っているのだろうか?
ソファーに身体を横たえながら詫びるその姿は、何ともふてぶてしい。
「ちなみにこの紙切れね、限定5枚の内の1枚なんだなー。君ね、ラッキーだよ。だって、たった5枚の内の1枚をゲットしてこの店に辿り着いたんだから!」
「え、何で限定5枚なんですか?」
「この紙切れ見て解らない? これ手描きなんだよ。本当は1000枚くらいばら撒こうと思っていたんだけどね、途中で飽きちゃった」
「はぁ…」
本当に信用していいのだろうか?
「いらっしゃいませ」
不意にかけられた声にどきりと身体が跳ねる。
店の奥に目を向けると、暖簾を片手で持ち上げながら、お盆に二つの湯飲みと茶菓子を乗せた高校生くらいのお姉さんが出てきた。
(この子の、お姉さんかな?)
しゃがみ込みながら、お姉さんが僕の前と女の子の前に湯飲みと茶菓子を置く。
「あ、ありがとうございます」
吃りながらそう言うと、お姉さんは「いいえ」と僅かに微笑んだ。
そして立ち上がり、ソファーに横たえる女の子の傍に足早に近付くと、持っていたお盆で女の子の顔面をがつんと縦に叩いた。
「いった! 鼻いった!? お前仮にもボクは店主だぞ!」
「お客様に失礼な態度を取る店主を、私は店主とは呼びません」
「て、店主!?」
思わず飲んでいたお茶を噴出しそうになる(お茶がとても苦かったのと熱かったのもあるが)
中学生くらいかと勝手に思ってはいたが、まさか目の前にいるこの女の子が【わらべや】の店主だというのか?
「…露季さん? 私がお茶を用意している間に、お客様に自己紹介すらしていなかったのですか?」
「尋ねられていなかったからな」
ふてぶてしい態度でお姉さんに答えた店主さんは、再びべしりと、お盆でお姉さんに叩かれた。