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第5話 嫌な予感



校門の外の空気は、教室の中より少しだけ冷たかった。

昼間の熱気がまだアスファルトに残っているのに、胸のあたりだけ、ひんやりとした冷気がまとわりついている気がする。


通りの脇に、黒いセダンが一台、ぽつんと停まっていた。

校章も、送迎バスのロゴもついていない。窓ガラスは濃い色で、車内の様子はほとんど見えない。威圧感のある車体だった。


昨日の黒い影とは形も大きさもまるで違うのに、胸の奥に広がる嫌な予感だけは、あのときと同じだった。


その車の横に、見覚えのある人影が立っていた。


紺色のスーツ。タイトスカート。胸元の、見慣れない紋章みたいなピン。

髪をひとつに結んだ女性が、こちらに気づいて手を軽く振る。


「おー、ちゃんと歩けてるじゃない。勇気くん」


奈津紀さんだった。 昨日、祈戦士たちの拠点の医務室で会ったばかりの人。

会ったばかりなのに随分と親しげな口調だった。


「……どうも」


奈津紀さんは少しだけ目を細めた。

その目つきは鋭いのに、口元は相変わらず人当たりのよさそうな笑顔を形作っている。


「美桜ちゃんも、お疲れさま。学校はどう? ちゃんと普通の高校生ごっこできてた?」


「最悪のタイミングで呼び出してくれたわね、奈津紀。せっかくいい夢見てたのに」


彼女が、いつもの無表情にうっすらと眉をひそめる。

さっきまで教室で見せていた他人行儀な顔じゃない。

少なくとも、僕に向けるよりはずっと素の口調だった。


「それはごめん。でも、こっちもタイミング選べないのよ。分かっているでしょ」


「勉強なんて、私にはいらないし」


「はいはい、そうやって昔からテスト勉強サボってきたでしょ。あのとき誰の答案写して乗りきったんだっけ?」


「うるさい。昔の話は忘れて」


二人のやり取りは、ただの親戚か、近所のお姉さんと話しているみたいに軽かった。

祈戦士だとか、ダークメンシェだとか、そういう物騒な単語が似合わないくらいに。

その普通さが、逆に場違いで、胸の奥にこびりついている不安だけを、かえってはっきり浮かび上がらせた。


「で、勇気くん」


奈津紀さんが、今度は僕の方をまっすぐ見る。

その視線が、ほんの一瞬だけ、僕の胸のあたりに落ちてから、また目に戻ってきた。


「昨日よりは顔色、いいわね。花江さんの言う通り、本当に目がそっくり。千穂さんに」


千穂。

母の名前を口に出されて、胸の奥がきゅっと縮んだ。


「あ、そうだ。昨日はバタバタしてて、ちゃんと名乗ってなかったわね」


奈津紀さんは、内ポケットから小さな名刺入れを取り出した。

そこから一枚抜き取って、僕に差し出す。


「改めまして。GSOの神岡奈津紀です。なつきさん、とかお姉ちゃんとか好きに呼んでくれて良いわ」


「お姉ちゃんとか初対面のこいつが呼ぶわけないでしょ」と関野美桜が言う。


名刺には、シンプルなロゴと名前だけが印刷されていた。

アルファベットの三文字と、その下に小さく並んだ日本語の肩書き。

「GSO」。

聞いたことのない名前だった。


「GSO……って、何なんですか」


気づけば、口が勝手に動いていた。

自分でも、こんな場所でそんなことを聞いていいのか分からないまま。


「その話は、ここじゃ長くなるからね」


奈津紀さんは、ちらりと校門の方を振り返った。

校舎の窓から、何人かのクラスメイトがこちらをそれとなく見ているのが分かる。


「ここで立ち話してると、他の人にいろいろ目をつけられちゃうから。詳しい話は車の中で」


そう言って、黒いセダンの後部ドアに手をかける。


「学校には、家庭の事情でって、いい感じの理由を出しておいたから大丈夫。勇気くんも」


「……そんな事情、僕にはないですけど」


反射的に、そう言いかけて、喉の奥で言葉が止まった。

「うちには、迎えに来る親なんていないんで」

そう続けたくなって、やめる。


「とにかく、今はそういうことになってるってだけ覚えておいて」


初対面だが、奈津紀さんは、自分のペースに話を持っていくのが上手い。

知らぬ間に、車に乗る流れになっていたことに気が付く。



「き、昨日ちゃんと言えなかったんですけど、その……僕、祈戦士とか、よく知らないですけど、なるつもりないです」


胸の奥でずっと引っかかっていた言葉が、勝手に口からこぼれていた。

昨日の医務室でだって、本当はそう言いたかったのに、うまく言葉にならなかったやつだ。


「うん、そのあたりのどうしたいかの話も含めて、ね」


奈津紀さんは、軽く手をひらひらさせる。

「今日いきなり『祈戦士になりなさい』なんて誰も言わないわよ。ただ、あんなののど真ん中にいた子の体を、そのまま放っておくわけにはいかないだけ」


ど真ん中、という言い方に、胸の奥の痛みがじりっと反応する。


「……じゃあ、なんで僕なんですか」


聞いた瞬間、自分で自分の首を絞めているような気がした。

答えを聞きたくない気持ちと、聞かずにはいられない気持ちが、ごちゃごちゃに絡まっている。


「理由はいくつかあるけど、ここで全部話しても混乱するだけ。少なくとも、昨日たまたま通りかかっただけの人では済まなくなってる、ってことだけは確かね」


はぐらかされたようでいて、逃げ道だけをきれいに塞がれた気がした。


──なんで、僕なんだろう。


頭のどこかで、冷めた自分が呟く。

昨日、あの場所にいたから?

母の息子だから?


理由をひとつに決めてしまえば楽になりそうなのに、どれも決定打にはならない気がして、余計に落ち着かなかった。


「行くの? 行かないの?」


関野さんが、短くそう言ってこちらを振り返る。

表情はほとんど変わっていないのに、瞳の奥には少しだけ苛立ちと不安が混ざっているように見えた。


「なんで、こんなパッとしないやつと一緒なのよ」


その一言は、小さく吐き捨てるみたいな声量だったのに、刺さるところだけはやけにはっきり届いた。


本当は、「僕は関係ないですよね」とか、「昨日のはたまたま巻き込まれただけで」とか、何か言い訳を探したかった。

けれど、ここで立ち止まったところで、流れが変わるとは思えなかった。


これ以上、抵抗しても仕方ない。

そう思った瞬間、諦めにも似た感覚が、足の裏にじわりと重さを足してくる。


「……分かりました」


自分でも驚くくらい小さな声で、そう答えた。

それが「行きます」と同じ意味の言葉になっていることに、言ってから気づく。


奈津紀さんが、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「話が早くて助かるわ。じゃ、乗って」


関野さんが先に後部座席に乗り込む。

その背中を追うようにして、僕もドアの縁に手をかけた。


校門の向こうの通りでは、いつものように車が行き来している。

黒いセダンのドアが閉まれば、その景色は窓ガラス一枚越しの別世界になる。


──自分が望まなくとも何かすごい力に引っ張られていく。


そんな予感だけを胸に抱えながら、僕は車の中へと身を滑り込ませた。



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