第17話 研修の始まり
通知に言われるがまま、僕はGSO施設へ向かった。
──無視すれば、全部終わる。
──でも、終わらない。
頭の中で、そう繰り返す。
でも、結局、ここに来てしまった。
そんな自分が、嫌になる。
施設の受付を通り、案内された研修室に入る。
研修室は、学校の教室よりも少し広い。
ホワイトボードの前に、机が数台並んでいる。
既に数名が座っている。
見覚えのない顔が、数人。
奈津紀さんがいた。
いつもみたいに金髪を後ろに結んで、眼鏡をかけている。スーツ姿で、落ち着いた表情をしている。
その横に、関野美桜が座っている。
他にも、見たことのない顔が数人。
誰なんだろう、とぼんやり考えながら、視線が二人に留まる。
一人は、中性的な顔立ちの美青年。紫色の髪が肩にかかっていて、ゆるくウェーブがかかっている。常に飄々とした雰囲気を漂わせていて、軽口を叩きそうな笑顔を浮かべている。紫のパーカーに黒いスキニーパンツ、白いスニーカーという個性的なスタイル。
もう一人は、身長が小学生高学年くらいの女子、というより女の子って見た目だ。黒髪のボブカットで、前髪はぱっつん。大きな瞳は、無邪気さと同時に、底知れない闇を感じさせる。黒のワンピースに白いレースの襟付きブラウスを合わせ、黒い革靴を履いている。大人びた服装を好んでいるようだが、どこか子供っぽさが残っている。
彼らは「またこの説明か」とでも言いたげな、慣れた表情をしている。
僕だけが、場違いな気がして、どこに座ればいいのか分からない。
空いている席を探して、一番後ろの隅に座る。
でも、その席が、本当に自分の席なのか、よく分からない。
──僕は、ここにいるべきじゃない。
頭の中で、そう思う。
事実として、祈戦士のことを知ってしまった。
でも、完全には逃げられない、って言われた。その言葉が、まだ現実として受け入れられない。
──僕なんかが、祈戦士になれるわけがない。
──場違いだ。
逃げたい。でも、逃げられない。
その矛盾が、胸を締め付ける。
前方のホワイトボードの前に、スーツ姿の研修官が立つ。
中年の大人。落ち着いた声で、話し始める。
「今日から、このエリアの祈戦士研修を担当することになった、田村だ」
──研修官。
頭の中で、そう認識する。
研修官は、座っている面々を一瞥してから、続ける。
「今回、新しい祈戦士候補が加わったため、臨時で研修を組んだ。東郷勇気くん、君に向けて説明する」
研修官は、座っている面々に視線を向ける。
「まず、このエリアの祈戦士メンバーを紹介する。既存メンバーから自己紹介してもらおう。その後、東郷くんにも自己紹介してもらう」
──既存メンバーから、自己紹介。
ということは、ここにいるのは祈戦士やその関係者。
奈津紀さんが、少しだけ手を挙げて、立ち上がる。
その横で、関野美桜が小さくため息をついているのが見えた。
「改めまして、勇気くんよろしくね。神岡奈津紀って言います。いい加減名前は覚えたかな?一応、このエリアの祈戦士の管理者をやってます」
奈津紀さんは、そう言って、軽く会釈する。
その瞬間、僕の方を見て、小さく口を動かした。
──頑張れ。
口パクで、そう言っている。
でも、その一言が、かえって胸に重くのしかかる。
「関野美桜。祈戦士」
関野美桜は、立ち上がらず、座ったまま名前だけを言った。
声は、冷たく、短い。
次に紫色の髪の美青年が、立ち上がって、軽く会釈する。
「神崎恵太。祈戦士だよ」
飄々とした笑顔を浮かべている。
柔らかい声色で、僕の方を見て、続ける。
「よろしく、東郷くん。君のことは、奈津紀さんから聞いてるよ。まぁ、無理しなくていいからね」
──神崎恵太。
頭の中で、そう繰り返す。
飄々とした雰囲気。軽口を叩きそうな笑顔。
でも、その笑顔が、どこか作り物じみていて、不気味さを感じさせる。
「小池百合。祈戦士よ」
黒髪のボブカットの女の子が、立ち上がって、小さく会釈する。
大きな瞳が、こちらを見ている。無邪気さと、底知れない闇を感じさせる。
「あなたの心、見えてるわ。逃げたいんでしょ。でも、ここに来てしまった。矛盾してるわね」
──小池百合。
「そして、新しく加わった東郷勇気。候補生だ」
研修官は、僕の方を向いて、続ける。
「東郷くん、自己紹介を」
──自己紹介を。
でも、何を言えばいいのか、よく分からない。
「……東郷勇気です。よろしく、お願いします」
小さな声で、そう言う。
でも、その声が、どこまで届いたのか、よく分からない。
研修官は、座っている面々を一瞥してから、続ける。
「では、各メンバーの精霊について説明する。まず、関野美桜の《ストリング・セラフィム》からだ」
「《ストリング・セラフィム》は、細身の少女型の天使シルエットだ」
「背中の大きな翼は一本一本が細い光糸で編まれた羽根になっていて、羽ばたくたびに糸がほつれたり結び直されたりする」
「左腕側には、光糸で編まれた小型ハープとヴァイオリンの中間のような弦楽器を抱えている」
あの時、光の糸を足場みたいに渡して立っていた関野さんの姿が、頭の中に浮かぶ。
外から室内のダークメンシェを見下ろして、斜め上から光の矢を降らせていた光景。
今の説明と、あのとき目の前で見た「現場」が、ゆっくり重なっていく。
「弦を爪弾くと、音と一緒に淡い光が波紋のように広がり、味方の心を落ち着かせたり戦場の空気を整える」
「戦闘が激化すると、ハープの枠や弦、翼の一部がほどけて再構成され、弓矢やライフルのような銃モードに変形する」
「中〜遠距離から戦場を見渡し、支援と急所狙いの両方をこなすアタッカー兼サポートだ」
研修官は、区切るように一度息を吸ってから、次の名前を口にした。
「次に、神崎の《マエストロ・トリックスター》」
「仮面を付けた長身の指揮者、あるいは道化師のような姿をした精霊だ」
「片手にタクトを持ち、もう一方の手からは五線譜のような光の線が伸びている」
「足元には小さなステージライトが灯り、頭上にはミニチュアの舞台セットが回転し、仲間や敵の頭上に役割アイコンが浮かぶ」
役割アイコンとか、テンションコントロールとか、頭の中でゲームの用語みたいな言葉だけが並んでいく。
現実の戦場の話をしているはずなのに、どこか画面の向こうの出来事みたいだ。
「バフと結界、テンションコントロールに特化した祈戦士でありながら、自らも前線に出て殴り込める」
「仲間の精霊に今日の曲、役割を割り当て、そのターンのステータス配分を再構成する」
「敵ダークメンシェのリズムを外し、攻撃タイミングや動きのテンポをずらすことで、空振りやキャンセルを誘発する」
研修官は、ホワイトボードの前で位置を少し変え、視線を百合の方へと滑らせる。
「百合の《リブラリウム》」
「フードを被った小さな影の少女のような姿をした精霊だ」
「胸から下は空洞で、その内側や周囲を、開いた本やページの束、しおりがふわふわと回っている」
「ページには他人から向けられた視線や言葉が吹き出し付きの漫画コマのように映り、感情が高まると黒く焦げて灰になっていく」
今いちばん見たくない本音をページとしてめくられる、という言葉を思い出す。
自分の中にも、開かれたくないページが山ほどある気がして、ぞっとする。
「中距離からの幻惑、心理攻撃、デバフ特化型の祈戦士だ」
「敵ダークメンシェの今いちばん見たくない本音をページとしてめくり、動揺や自己否定を増幅させて弱体化させる」
「本棚の迷宮を展開し、敵の方向感覚や判断力を狂わせるフィールドを作ることができるが、百合自身も見たくないものばかり見えてしまう負荷を受ける」
──精霊ごとに、役割が違う。
特に2人の精霊がどんなものなのかまだわからないけれど、それだけはわかった。
研修官の視線が、今度は僕の方へと戻ってくる。
「最後に、東郷くんの精霊についても、現時点で分かっていることを共有しておこう」
「まだ正式なコードネームは決まっていないが、観測できた範囲では、鎖に繋がれた、機動力の高い巨人型精霊だ」
「巨体のわりに加速と踏み込みが速く、近接戦闘に特化した前衛アタッカー寄りの性能を持つ」
「一方で出力と再生能力も極めて高く、リンクが不安定で、祈戦士本人への負荷も大きい。当面の訓練では、制御と安全な出力の上限を探ることを最優先にしてもらう」
──観測できた範囲。
自分の中のものなのに、他人のレポートみたいな言い方で説明されて変な感覚だった。
僕は、その一つひとつの説明を聞きながら、自分の精霊のことを思い出していた。
──僕の精霊は、巨人だった。
──鎖に繋がれた巨人。
頭の中で、そう思い返す。
あのとき、暴走させた巨人。
あれが、僕の精霊なんだ。
でも、結局、僕の精霊は、何をするんだ。
鎖に繋がれた巨人。何をするんだ、あいつは。
研修官は、祈戦士の研修が本来は定期的に行われていること、
ただし今回は「新しい祈戦士候補が加わったための臨時セット」であり、
他のメンバーは復習と、新人のメンター役として参加していることをさらりと付け加える。
──僕のせいで、臨時研修が組まれたんだ。
頭の中で、そう認識する。
その思いが、胸に重くのしかかる。
研修官は、今回の研修が二段階で構成されていることを説明する。
「まずは基礎訓練で、自分と精霊の扱い方を体に叩き込んでもらう。それから、実戦訓練として、安全に封じ込めたダークメンシェを相手に、実際の流れを体感してもらう」
基礎訓練。実戦訓練。
頭の中で、その二つの言葉だけが浮かんでは沈む。
でも、それが何を意味するのか、よく分からない。
基礎訓練って、何をするんだ。実戦訓練って、何をするんだ。
自分も、ここにカウントされてしまっている――。
頭のどこかで、そう実感する。
その思いが、胸に重くのしかかる。
斜め前の席で、関野美桜が小さく呟いた。
「また、説明か……」
何が、またなんだ。
とにかく僕は思う。
──場違いだ。
でも、ここに来てしまった。行きたくないのに、来てしまった。
──僕は、どうすればいいんだ。
その疑問だけが、胸に残る。




