第15話 逃れられない運命
「実はね、あの日、あなたを襲ったマザー級の痕跡が、まだ体の中に残ってるかもしれないって、検査で分かったの」
マザー級。
その言葉が、胸に突き刺さった。
あの日、交差点で襲ってきた、あの巨大な怪物。
──マザー級。
──強大な存在。
「……その痕跡って、何なんですか。体の中に、何が残ってるんですか」
「詳しいことは、まだ分かってないの。でも、その痕跡があるせいで、あなたの力は強くて、同時に危なっかしいのよ」
──僕の中に、あのマザーの、何かが残ってる。
頭の中で、そう理解した。
でも、その理解が、戦慄に変わっていく。
「でも、その痕跡が本当に残っているかどうか、確証がなかったの。だから、車の中で、ドリンクを飲ませたのよ」
ドリンク。
頭の中で、そう思い返す。
確かに、車の中で、渡された薬みたいなドリンクを飲んだ。
「あれは、精霊を具体化させるために祈戦士に伝わる特殊な薬。あなたの中のマザーの破片を確認するための薬だったの。後日、詳しく検査するために」
──マザーの破片。
「……でも、あなたは美桜ちゃんが危ない時、助けなきゃって本能と言うべき心が動いた。それがきっかけで精霊を呼び覚ましてしまった」
「でも、それは僕だって知らないし、何がなんだか分からなくなって」
「そう、つまりあなたが望まなくとも心の本能がそうさせてしまった。私も想定外だったの」
──想定外。
その言葉がだんだんと、怒りに変わっていく。
「……なんで、勝手に」
「ごめんね。でも、マザーの破片が本当に残っているかどうか、確認する必要があったの。それが分からないと、あなたの安全も守れないし」
その言葉に、少しだけ、後悔がにじんでいた。
──勝手に、試された。
頭の中で、そう思う。
でも、その怒りも、すぐに無抵抗な諦めに変わっていく。
頭のどこかで、「どうせ、何も変わらない。大人は全部、そういうものだ」と冷めた自分が呟く。
その言葉が、胸の奥に沈んでいく。
奈津紀さんは、タバコの煙を吐き出してから、僕を見た。
少し間を置いてから、奈津紀さんは付け足すように言った。
「そして今、祈戦士が足りない状況なの。美桜も、最近ずっと立て続けで疲れている。だから、あなたに、お願いしたいことがあるの」
──お願い。
「……僕に、ですか」
「うん。あなたは、千穂さんの子。そして、素質もある。だから祈戦士になってほしいの」
──祈戦士に、なってほしい。
嫌だ。と思った。
さっきまでのあんなことを聞いて、なりたいです、なんて言う人がいるのか。
「……僕、無理です。あんなの、見てられない」
僕ははっきりと言った。
「祈戦士とかそういうのとの関係、今日で、終わりにしたいです」
その言葉を聞いた奈津紀さんは、少しだけ間を置いてから、答えた。
「だけれど。精霊を呼び覚ました以上、もう戻れないのよ」
──戻れない。
どういうことだ。
「……戻れない、ってことですか」
「戻れない。もうあなたは、自分の精霊を呼び出した。あれは偶然じゃない。そして、あなたは、千穂さんの子。逃れられない運命なのよ」
「……精霊って、そもそも何なんですか。なんで、僕の中にいるんですか」
「精霊は、その人の心の最深部にいる存在よ。本来、その人を守るためにいるの。だから祈戦士はそれを目覚めさせて怪物と戦う」
けれど、と奈津紀さんが付け足す。
「でも、心が大きく歪むと、精霊もダークメンシェに変わってしまうこともある。つまり、精霊の力は強力だけど、その分扱いに気をつけなきゃいけない」
──心の最深部。
──守るために。
「勇気くん、あなたに宿されたのは、巨人の精霊だったのよ。鎖に繋がれた巨人。あれが、あなたの精霊なの」
精霊。
鎖の巨人。
あれが、僕の精霊だったのか。
「精霊は、持ち主が完全に無視していると、ゆっくり弱っていく。たまに"メンテナンス"してあげないと、死んじゃうの」
「……メンテナンス、って、どういうことですか」
「精霊を使うことよ。精霊と契約して、その力を顕現させる。それがないと、精霊は弱っていくの」
──精霊を、使う。
頭の中で、そう理解した。
でも、その理解が、恐怖に変わっていく。
「精霊が死ぬとき、一番傷つくのは持ち主の方。心のどこかが、ぽっきり折れる」
──精霊を、無視できない。
頭の中で、そう理解した。
でも、その理解が、恐怖に変わっていく。
「……つまり、メンテナンスをしないと、僕が生きられないってことですか」
「そう。精霊を呼び覚ました以上、メンテナンスをしないと、あなたが壊れてしまう。だから、完全には逃げられないのよ」
その言葉が、冷たく響いた。
「……でも、なんで僕が、こんなことに巻き込まれなきゃいけないんですか」
「みんな誰しも思っているよ。私だって辛いさ。でも、誰かが救わなければ、あの怪物がいる。放っておけば、もっと多くの人が傷つく」
その言葉に、少しだけ、疲れがにじんでいた。
──誰かが、救わなければ。
頭の中で、そう理解した。
「……苦しんでいる人がいる。勇気くん、あなたはその事実から、目を背けられる?」
その言葉が、胸に突き刺さった。
──苦しんでいる人が、いる。
頭の中で、そう思い返す。
あの電車の中の男。
あの人の苦しみ。
それを、見て見ぬふりをできるか。
──分からない。
「あなたは、千穂さんの子。そして、同じ優しい目をもっている」
千穂さん。
その言葉が、胸に突き刺さった。
母の名前。
母の優しさ。
──僕は、母と同じ目を、もっているのか。
頭の中で、そう思う。
──僕は、優しくない。
──優しさなんて、持たなくていいんだ。
頭の中で、そう思う。
でも、その思いが、胸の奥で揺らぐ。
「そしてあの時、あなたは本能的に美桜ちゃんを守ろうとした。あんな怪物を前にして」
──関野美桜が危ない時、僕の本能と言うべき心が動いた。
──精霊を、具体化させてしまった。
頭の中で、そう思い返す。
あの瞬間、何かが、僕の中で動いた。
それは、優しさだったのか。
それとも、別の何かだったのか。
それは良かったことだったのか
──分からない
頭の中で、そう思う。
その思いが、さらに混乱を生む。
「……おかしいです。なんで、選ぶ権利がないんですか」
その言葉を聞いた奈津紀さんは、少しだけ間を置いてから、答えた。
「そうね、無理もないわ。ただ、そんな理不尽さがこの世界を構築しているのよ」
その言葉が、冷たく響いた。
──理不尽さが、この世界を構築している。
少し間を置いてから、奈津紀さんは視線を夜の街に向けたまま、付け足すように告げた。
「それに、あなたはもうダークメンシェの正体を見た。"噂のバケモノ"がただの怪談じゃなくて、人の行き着く先だってことも」
「ここまで知ってしまった人間が、完全に逃げ切れた例を、私は見たことがない」
──逃げられない。
頭の中で、そう理解した。
でも、その理解が、諦めに変わっていく。
胸の奥の痛み。
あの日、感じた焼けるような感覚。
全部、あれのせいだったのか。
「それって……脅しですか」
「脅しでもあるし、現実でもある。どっちにしても、私は嘘はつかない主義だから」
その言葉が、冷たく響いた。
──完全には、逃げられない。
頭の中で、そう理解した。
でも、その理解が、諦めに変わっていく。
「今すぐ祈戦士になれと言うつもりはない。でも、完全に何も知らなかった頃には戻れないし、"それ"ごと放り出すわけにもいかない」
──祈戦士に、なる。
その言葉が、頭の中で響く。
でも、その言葉を、受け入れることはできない。
──僕なんかが、祈戦士になれるわけがない。
──僕には、何の取り柄もない。
──戦ったり、救ったりそんな勇気も度胸もない、
頭の中で、そう思う。
でも、その言葉も、何の意味もない。
頭のどこかで、「どうせ、逃げられないのかもしれない」と冷めた自分が呟く。
これも無駄な抵抗なのかもしれない。
──完全には、逃げられない。
──逃れられない運命。
その感覚だけが、胸に残る。
──でも、苦しんでいる人が、いる。
──その事実から、目を背けられる?
頭の中で、そう問いかける。
でも、その答えが、見つからない。
分からないことばかりだった。
今後の自分がどうなるかさえも。
しばらく、沈黙が続いた。
夜風が、缶の表面を冷やしていく。
僕は、缶を握りしめたまま、言葉を選んだ。
「……でも、関野さんって、優しくないですよね。なのに、なぜ祈戦士になれたんですか」
奈津紀さんは、少しだけ間を置いてから、答えた。
「そう見えるのね、無理もないわ。でもね、優しさにはそれぞれ色々な形があるんだよ」
「……それに、なんで、関野さんは、祈戦士をやっているんですか」
奈津紀さんは、少しだけ間を置いてから、答えた。
「それは、彼女に聞いてみると良いよ」
その言葉が、濁っている。
本当のことを、言っていない。
でも、その言葉が、次への繋がりを感じさせた。
──次に、彼女に、聞いてみる。
しばらく、沈黙が続いた。
夜風が、缶の表面を冷やしていく。
奈津紀さんは、タバコの火を消してから、付け足すように言った。
「それと、美桜ちゃんと仲良くしてほしいの」
──関野美桜。
頭の中で、そう思い返す。
確かに、あの人の姿を知った。
でも、その姿を知ったけれど、仲良くやれる気がしなかった。
僕は、人と打ち解けるのが苦手だ。 それに、あの子も、同じようなタイプだった。
──結局、僕は、どうすればいいんだ。
その疑問だけが、胸に残る。
夜風は暖かさを連れ去るばかりで、不安や疑問を連れ去ってはくれなかった。




